子犬のワルツ

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「敵わないなあ」
「何がだ?」

ちょうど帰ってきたネウロと桂木弥子。話を聞くだけにしては遅い。日が暮れてから大分経っている。

「何でもない」
「で、頼んでおいた企業情報は?」
「ここ」
「ふむ。アヤの資料はどうだ?」
「ほら」

デスクトップにコピーしたファイルを開いてみせる。ネウロがスクロールして、ざっと眺める。

「企業情報はまあいいだろう。アヤの資料はこれだけか?」
「これだけって、これで全部だけど」
「なら、その資料に用はない」
「えっ」
「ネウロ! ごめんね、柚子さん、出先で知り合いの刑事さんが資料を取り寄せてくれたんだ。多分全く同じの」

何だって。

「じゃ、私は骨折り損ということ?」
「貴様がそれ以上の情報を掴んでいないというのなら、そういうことになるな」
「掴むも何も、これが警察の握っている全ての情報だけど、他に何を探せって言うわけ?」
「うむ。確かにあの刑事に会わなければ役に立っていたかもしれん。だが、結果が全てだ。能力値としては合格かもしれないが、結果としては役立たずという奴だ。残念だったな」
「ネウロ!」

役立たず。今まで貰った評価点の中で最悪かもしれない。込み上げる怒りを胃の中でこなしながら、私は彼らから背を向ける。難易度の高い仕事を振っておきながら、別の人間にも仕事を依頼して楽々入手し、きちんと言われた通りの仕事をしてきた私に向かって役立たずの烙印を押すなんて。だったら最初からそいつに頼めばいいのに、ああもう、腹がたつ。こんな会社辞めてやる。もう二度と、彼らと関わってやるもんか。

「あ、柚子さん! もうパソコン使わないなら、借りてもいい?」
「ネウロから借りれば」
「そうしたいのは山々なんだけど……」

スクリーンセーバーで桂木弥子の死体が浮かんでおり、吹き出しに「触ったら本物の脳みそも吹き飛ぶぞ!」と書いてある。私は溜息をついた。

「変なとこ触ったらぶっ飛ばすからね」
「ありがとう。わー、子犬の写真、かわいい! 柚子さん、意外と可愛いもの好きなんだ」
「私の趣味じゃないわよそれ」

え、と首をかしげる桂木弥子。私はそっぽを向き、ソファに沈み込む。彼女の調べ物が終わったらさっさとこんな事務所からおさらばしよう。

それにしても匪口、してやられた。あっちの罠に食らいついてやったつもりなのに、彼はいつもその斜め上を行く。きっと、私の新しいパソコンのIPアドレスやら何やら、必要な情報はばっちり掴んだんだろう。それでもすぐに連絡を取らず、デスクトップの壁紙をこんな犬に変えたのは、彼なりのいたずら心か。

でも、少しだけ、匪口が自分の職権を利用して私をこの広いネットワークの海から探し出そうとしてくれたのは、嬉しかった。
あんな風に銃を突きつけて一方的に縁を切ったにも関わらず、私だけにわかる言葉で呼びかけ、引き寄せた。ハッキングも見逃し、些細な悪戯を残して。

匪口は許してくれるんだろうか。
許してくれた後、前みたいにふざけて笑いあう日々に、戻れるんだろうか。
その時は、兄さん達とも仲直りして、うまくやっていけるんだろうか。

「言ってみろ」

パチンという大きな音で現実に引き戻される。振り向けば、ネウロがテレビ雑誌で桂木弥子の頬を挟み込んでいるのが見えた。

「何をよ!」
「らしくない調べものに考え事。この謎に思い当たることでもあるのだろう?」

私は顔を上げる。桂木弥子はただの傀儡で、謎解きは全てネウロが行なっているはず。謎を解く能力が、彼女にあるのか?
しかし桂木弥子はいつになく真剣な顔で、ネウロの発言を否定しない。

「ネウロ、ネウロはもうこの謎の犯人が分かってるんでしょ?」
「当然だ」

桂木弥子の目は確信の色に染まっている。やがて彼女はそっと口を開いた。

「犯人はアヤさんだよね。違う?」

アヤ・エイジアが犯人? 大切な人を失って、なおかつ死の真相を暴きたいと言っていたアヤ・エイジアが?
眉をひそめる私と対照的に、ネウロは瞳に光を宿し、ほうっと眉を釣り上げた。

「黒目に確信の色が宿っているな。手段はどうあれ、謎の形を捉えた者しか持たない目だ」

暗に桂木弥子の答えを認めるネウロ。信じられない、どうやって、何を調べたら、警察が調べても辿り着けなかった真実に近付けるのか。

「でも、私は資料を見てないんだけど、アヤさんにもアリバイはあるんでしょ?」
「貴様にそれを崩すことまでは求めていない。だが……喜べ! 貴様をゾウリムシからワラジ虫に昇格してやろう!」
「えっ、ゾ、ワラ……どっちが大きかったっけ」
「さて。行くぞ」

混乱する桂木弥子の頭をネウロが鷲掴む。

「行く? どこへ?」
「とびきりのレストラン……我が輩が謎を食うのに絶好の舞台だ」

出口へと桂木弥子を引きづるネウロが、振り返り、こちらを見やる。

「柚子、貴様は来ないのか?」

2人を見つめ、逡巡する。仕事は残っているし、兄さん達のことがある以上、下手に目立つところには行きたくない。
けれど、それに勝るちょっとした好奇心がむくむくと湧き上がってきている。
それは魔人ネウロの推理や世界的歌姫の犯行手口も気になるけれど、何より、普通の女子高生である桂木弥子が、どんな情報を掴み、どのようにして事件の真相を掴んだのかという一点に対してだった。
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