子犬のワルツ

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アヤ・エイジア。本名は逢沢アヤ。謎の自殺を遂げた2人のプロデューサーの死の真相を探して欲しくて、「なんとなく」この事務所を選んだのだと言う。

「美味しい」

コーヒーを口に含むと、彼女はにっこり微笑んだ。桂木弥子もつられて飲み、「ほんとだ、良い香り!」と目を丸くする。私はどうも、とだけ短く答え、自分の作業に戻った。

「……始まりは3年前だった」

一息ついたアヤ・エイジアが語り始める。
7カ国を回るツアーの最終日、ライブが終わり楽屋に戻ると、無名の頃からの音楽プロデューサー台島が死んでいた。自殺の理由も見当たらなかったが、自殺以外の証拠も出てこない。結局自殺で片付けられた。
2人目は大泉。新人の頃からの付き合いで、落ち込むアヤを辛抱強く励ましてくれたのだと言う。その彼女も、新作のアルバムのレコーディングを終えて戻った時には首を吊って死んでいた。

「なるほど。2人ともあなたが一番大事な時に同じ方法で自殺している。不審に思って当然ですね」
「ええ。……ちょっとまってね」

アヤが携帯の振動に気づき、電話に出る。席を外している間、ネウロは桂木弥子の首をさすりながら「この客は逃すわけにはいかないぞ、ヤコ」と語りかける。

「有名人のあの女の謎を解いたとなれば、貴様の名は一気に知れ渡る。その後の貴様は、謎を引きつける素晴らしい餌となるはずだ」

ネウロは単純に目の前のチャンスに大はしゃぎ。一方の桂木弥子は、あまり乗り気じゃないようだ。知名度を上げたくないとも言っていたが、どこか同情するような眼差しでアヤを見つめていた。

「どうしよう、ちょっと用事があったの忘れてて、事務所に戻らないといけないんだけど……」
「もちろんご一緒しますとも! そちらで話の続きはできますし!」

2人が颯爽と出掛ける仕度を進める。桂木弥子が私を見て首を傾げた。

「柚子さんは行かないの?」
「あんまり興味ないし、仕事が残ってるから」
「ほう。もう直ぐ終わりそうだな」

ネウロが覗き込みふむとうなづく。

「では、政府の情報収集をする前に、アヤ・エイジアに関係する2つの事件の資料を用意しておけ」
「え、そんなこと出来るの?」
「警視庁のデータベースにハッキングすればね」

警視庁には今は匪口がいる。能力を買われたのだから、配属先は情報セキュリティ関連のはず。もう警察学校を出たかどうかは分からないが、どちらにせよ難易度は高い。

「おや、柚子、その程度のハッキングも出来ないのか?」
「……やるわよ」

馬鹿にするように笑うネウロを睨み返す。

「うむ、期待しているぞ」
「む、無茶はしないでね」

馬鹿にしているのか本当に期待しているのかは分からない。私は去りゆく3人の後ろ姿を睨みつける。ネウロも桂木弥子も、警視庁にハッキングするということがどういうことか分かっていない。ネウロが言うほど簡単には出来ないし、桂木弥子が言ったように無茶をしないで入れないほど甘い場所ではないのだ。それを思えば早乙女金融では楽だった。社長は私に能力面で無理をさせようとはしなかったから。
私が警視庁のデータベースに侵入したのは、匪口の誕生日以来だ。それも彼がほとんどやったようなもの。

「私に、出来るかな」

仕事への責任感か、負けず嫌いの性格か、横暴な上司への諦めか。どちらにせよやるしかない。とりあえずは今の警察がどれくらいセキュリティ意識が高いか様子を見よう。手早く今の仕事を片付けると、警視庁のホームページを確認する。更新内容は保守的だ。フォーマットも古いまま。表向きは革新したようには見えない。
次に広報ツールを確認すると、ヘッドブックは更新が1年前で止まっていた。こういうまめじゃないところは入りやすい。少し希望を抱いて、警視庁のアカウントを探し始めた。
トゥイッターは企業アカウントがユニークな呟きをするのが少し前に流行ったからか、警視庁も比較的ライトな文面で情報を拡散している。更新頻度もなかなか高い。その軽いノリが何となく懐かしい気もする。何の気なしに流し読みを進めて……ふとスクロールする指を止めた。

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ノリノリな文章に、布面積の少ない女性の体を強調した不適切なアダルト写真。リトゥイート数は5万を超えた今もどんどん増え続け、コメント欄では警視庁のアカウントが乗っ取られたか、壊れたかなどと盛り上がっている。
ただ、私にはわかる。単純だけど欲望を焚きつけるこの手口は、傍で何度も見てきた。

「匪口……」

間違いない。彼の仕業だ。彼はもう研修などを終え、警視庁で働いている。
一体、普段はどんな仕事をしているんだろう? どの程度までセキュリティを強化した? あの皮肉屋な性格で上司から嫌われていないだろうか、それともどこか憎めない愛嬌でうまくやっているんだろうか。

「骨が折れそうだな」

匪口にはどうやっても正攻法では勝てない。肉を切らせて骨も断っても勝てるかどうか。何しろ、彼はハッキングにおいては、いつでも私の前を軽々進んでいく。

私は少し考える。それから、昔使っていたアカウントにログインする。早乙女金融時代に情報収集やデマの吹聴に役に立ったアカウントだ。そこに、私が普段メールで送りそうな文言を考え、入力した。

「今から帰るよ。ユキ兄夕飯何がいい?」

そしてそれをすぐに消す。
その後、警視庁のアカウントを探し出し、先ほどのトゥイートをクリックした。
トゥイートのアクティビティを分析すれば、エンゲージメント数、つまりアカウントをクリックし詳細表示した回数などが確認できる。匪口レベルならそこからさらに解析し、どのアカウントがいつ見たのか、というところまで踏みこめるはずだ。

私はその間トゥイッター社のサーバーに侵入し、メモリの動きをこっそり盗み見る。あれほど拡散されたトゥイートを解析するには、随分なメモリを食うはずだ。そしてそこから更にハッキングして詳細のデータを確認する時も。
私は残ったコーヒーを口に運びながら、静かにその時を待つ。1時間、2時間。そろそろ3時間が経つという頃に、一瞬トゥイッター社のサーバーの負荷が一気に跳ね上がった。
念のためにトゥイッターのタイムラインを確認するが、一般的には仕事や学校に行っている時間で、衝撃的なニュースが発表されたわけでもない。

かかったな、匪口。

私はすかさずトゥイッター社のサーバーにウイルスを送り込んで、サーバーの負荷を上げておく。ほんの時間稼ぎだ。
それから警視庁のサーバーに入り込み、突き進んだ。

リモートデスクトップを使い、以前匪口と使った環境からログインする。IDとパスワードはさすがに変わっているようだ。ファイアーウォールでアクセスを制限されるが、自分で開発したウイルスで無効化する。

「あんたが遊んでいるうちに侵入させてもらうわ」

ファイアーウォールの無効化が完了した。私は警視庁のサーバーに侵入完了する。
さて、資料はどこか。膨大なデータ量の海を彷徨っている時間はない。捜査データのあたりをつけて奥の階層へと潜り込んでいく。いつ追い出されるか気を張りながらの作業だ。幸い、データはわりとすぐに見つかった。ここからデータを持ち出して、すぐにおさらばしよう。

データのコピーには少し時間がかかり、私はせかせかとそれを見守る。コピー完了。私は最後にリモートデスクトップを閉じると、自分のローカルのフォルダにデータを落とし込んだ。意外なほど簡単に任務完了だ。一息つき、デスクトップに切り替え、息がとまりそうになった。

「なにこれ」

色気のない真っ青なデスクトップだったはずが、なぜか自分の尻尾を追いかけくるくる回る、子犬の愛らしい写真に切り替わっていた。

「匪口….…」

いつのまに侵入されていたんだ。ツイッターのアカウントから、今までの活動記録などは掴まれてもいいとは思っていたが、活動の拠点までばっちり押さえられるとまでは思っていなかった。目眩しの罠にかけたつもりが、逆にここで尻尾を掴まれるなんて。
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