子犬のワルツ

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桂木弥子探偵事務所に雇用されてから3日目。ネウロの要求レベルはかつてないほど高く、早くも私は疲弊していた。日本の主要上場企業の経済情報を一通り調べるように言われ、連続でセキュリティレベルの高い企業のデータベースに何とか忍び込み情報をまとめる日々だ。

「ネウロ。ここの台所に片栗粉が大量にあったんだけど……何に使うのかな?」
「さあ。とろみをつけたかったのではないか?」
「……うん。たしかにとろんとはしそうだけど」

一方、手持ち無沙汰な女子高生、桂木弥子は旧早乙女金融事務所を捜索しては色々なものを見つけている。今度は壁の中に人型の何かが埋まっているのを発見して1人でガタガタ震えているらしい。

「そんなことよりもヤコ、貴様もこっちへ来てページをめくるのを手伝え」
「ページ?」

彼女との会話にも上の空だったネウロがそう呟く。

「目は足りているが、手が足りんのだ」

魔人ネウロは髪の毛から無数の目を生やし、手下の魔界の虫を使って複数の紙や本、パソコンを閲覧している。自分の能力限界ギリギリの仕事をしているが、さすがは魔人、彼の処理速度は社長よりもずっと速い。常に「まだか」という無言のプレッシャーの下で自分の能力ギリギリの仕事をするのは正直かなり消耗する。

「柚子、もっと早くならんのか」
「通信速度の問題だから、これ以上は早くならないよ」
「チッ。それが終わったら国家機関だ。国会と内閣の基本情報と現状を調べろ」
「ちょっと、さすがに政府のデータベースに侵入するのはきついよ。セキュリティも厳しいし下手に目をつけられたら、」
「出来ないのか?」

なら何のために貴様はここにいる、と言いたげなネウロ。私はぐっと堪えて、「やるわよ」とだけ言うと今まで以上にタイピングの速度を速めた。

「人間は大変だな。たかが電子の世界に入るにも、機械語を使わないと進めもしないとは」
「うるさい」

パワーも能力も規格外な魔人は、電子の世界ですら圧倒的だった。いわば海の上を、人間が緻密な計算を使って、やっと細い細い糸を張りその上をゆっくり渡れるようになるのに対し、彼はまるで水面を大股で闊歩するようなものだ。昔は少しの努力で何でもこなしてしまう天才を妬ましく思ったものだけど、ここまで桁外れだと羨ましくすら思わない。

「うわーすごい、速ーい。仕事ができる人って感じ!」

桂木弥子が感嘆する。彼女には恨みもないが、興味もない。こんな化け物と一緒にいるくらいだから肝は座っているようだけど、中身は普通の女子高生だ。ぼんやりこっちを見る余裕があるくらいなら、ページを捲ってやるなりすればいいのに。ただいるだけで役割を果たせるなんて、逆に羨ましい。

「ね、ね、柚子さん。何でそんなにパソコン出来るの? まだ私とそんなに年変わんないでしょ?」
「集中してるから静かにしてくれる?」
「あ、ご、ごめんなさい」

しゅんと大人しくなると、黙ってページをめくりだす。私は苛々と大企業のセキュリティをぶち破っていく。しばらくは私やネウロの作業する音が続いたその時、桂木弥子が再び「ネウロ、何作ってんの?」と口を開いた。

「何か変なの映ってるけど」
「客寄せの手段、ここのホームページだ」
「そんなの作れるんだ。どれどれ」

覗き込み、声を詰まらす。

「何このカルトなページ」

隣のパソコンから彼女の声で「お好きな場所をクリックすると私の体が飛び散るよ!」という明るい声が聞こえてくる。それからクリック音と、ドブシッというエグい効果音も。

「あんたの趣味って本当最悪。魔人て皆そうなの?」
「何を言う。確かに我が輩は拷問を好むが、残虐なのは魔人に限ったことではない。貴様ら人間の方が特殊能力を持たない分、かえって想像力豊かに同族をジワジワ苦しめているぞ」
「そうなの? たとえば?」

恐々と、でも身を乗り出して尋ねる桂木弥子。本当に図太いというか。

「やはり三大欲求に関わる拷問が地味だが効果的ではあるな。三角馬など思いついた人間とはぜひ話をしたかったものだ。食に関しては、食べさせて吐かせてを繰り返したり、口の中に蜂蜜を入れて野外に放置するなどはぜひいつか試してみたい。他には熬鷹という拷問があってだな。要は睡眠剥奪で、外傷は残さないが恐ろしいことに、」
「あ、もういいです十分です」

桂木弥子が溜息をつく。

「普通の人の感性じゃそんなこと考えられないから。第一、誰がこんなホームページを見てここに来たいって思うのよ?」
「その点は抜かりない。謎に訴えかけるサブリミナル画像を仕込んである。身近に謎の気配がある者がこれを見れば、無意識のうちにこの事務所へ引き寄せられるのだ」

よくもまあ、私の進捗管理や資料確認もしながらサブリミナルまで仕込めるものだ。やっと30%程度をこなした私が肩で息をつく。

「そして我々のまずやるべきことはヤコ、探偵役の桂木弥子の知名度を上げることだ。最終的には世界レベルにまでな」
「世界ぃ?」
「知名度は高いほどいいのだ。それだけ多くの謎を抱えた人間が寄ってくる。世界中から選りすぐりの謎が揃えば、我が輩の脳髄の空腹を埋める究極の謎は必ずその中に潜んでいる」

へえ。謎を食べるために魔界からやってきたと聞いてはいたけど、究極の謎なんてものを求めてやってきたわけなのね。実在するかすら怪しいもののために、よくもまあそんなにひたむきになれたものだ。そこまで考えいつのまにか止まっていた手に気付き、慌ててタイピングを再開する。

「ネウロ。百歩譲って、探偵役はやってあげるとして、知名度を上げるのは勘弁してよ!」

ページめくりに飽きたのか、テレビのスイッチを入れる桂木弥子。

「嫌なのか?」
「当たり前だよ! ろくなことないもん、有名なんかになったって……」

その時、テレビ越しに澄んだ歌声が響いた。桂木弥子は会話を、私は作業を一瞬止めて、その声に意識を傾ける。

「アヤ・エイジアだ。またテレビに出始めたんだ….…」
「ほう。この女の知名度は高いのか?」

地上に出たばかりのネウロだけが新作の映画の感想を聞くような軽いノリでテレビを見ている。高いなんてものじゃないよ、と桂木弥子はテレビから目を離さずに答えた。

「日本人の歌手でね、歌詞も全て日本語にも関わらず、世界中に狂信的なファンがいて、アルバム3枚の売り上げは3億枚。ホラ、客がどんどん減ってるでしょ。彼女の歌で感動して、聞いてる側から失神していってるの」

少し前にユキ兄がアヤ・エイジアのCDを熱心に集めていたのを思い出す。好きなの、と聴いたら好きじゃねーけど、と言葉を濁していた。

「ふむ、興味深いな。人間にはこんなことが出来る者もいるのか」
「でもね、いろいろ大変だったみたい。彼女と仕事をしていたプロデューサーが相次いで不可解な自殺を遂げてるの。その影響でその頃は出す曲も不評で長期休業」

ただ最近復帰してからは盛り返していると桂木弥子は言う。

「たぶんこれも久々のテレビ出演だから、視聴率もすごいと思うよ」
「視聴率? 我が輩、まだよくわからんのだが、実は私もうすぐ死ぬんだよね……と言ってれば安易にキープできるという、あの視聴率か?」
「……まあそうね。皆観るからね……」

2人が話す間に私はようやく言われた仕事量の中間地点に到達する。まあ上場企業の中でもトップ企業の情報は入手したから、後は消化試合かな。小さく伸びをした瞬間、ふと外にいる人の気配に気付く。ヒールの音、相手は女性か。隠れている様子はない。

「なるほど、視聴率が高い番組は皆が観るということか」
「そう。有名になるってそういうことだよ。何をするにも騒がれて晒されて、服を買うのも食べ歩きも何もできなくなっちゃうよ」
「そうでもないよ。サングラスで結構バレないし」
「いやいやいや、オーラがバリバリ出てるもん!」
「そうかな?」
「うん、だってほら、テレビと全然変わらない……え?」

そこまで話して、桂木弥子はようやく、自分が今誰と話しているのかを自覚した。

「ほら、気付くの時間かかったでしょ?」

さりげなく事務所に立ち入り、簡素な事務所ね、なんて辺りを見渡している女性。豊かに伸ばした髪の毛にすらりとしたスタイル、上質な衣服。お金と時間をかけて丁寧にメンテナンスをしているのが伺える彼女は、サングラスを外し微笑んだ。

「人間はそう簡単には、自分の意識に他人なんて容れないもの」

桂木弥子は、世界的スターが目の前にいる事実とそのオーラに圧倒され口をぽかんと開けている。一方のネウロは少し眉を釣り上げて、その緑の入り混じった不思議な双眸でじっと女性……アヤ・エイジアを見つめていた。

「突然お邪魔してごめんなさい。ホームページを見て来たんだけど」
「ようこそ、魔界探偵事務所へ! 先生に捜査のご依頼ですね? 柚子さん、忙しいところ悪いですけど、お客様にお飲み物を!」

テンパっている桂木弥子に代わりにネウロがソファに彼女を勧め、私に向かってそう言う。こんのクソ忙しい時にそれ私に振る? と一瞬ブチ切れそうになるが、お客様の手前、桂木弥子「先生」にお茶汲みさせるわけにもいかない。短く溜息をつくと使い慣れたキッチンへと向かった。
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