子犬のワルツ

□三つ糸のマリオネット
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「柚子! 何でこんなところに……」

レストランの扉を荒々しく開けて入るユキ兄は、部屋の惨状を見て口を閉じる。床に散らばった料理、銃痕が食い込み壊れたテーブル、そして流す血も尽き壊れた人体の山。

「ユキ兄、早かったね」

私はカウンター席に腰掛け、ユキ兄に微笑みかける。結局、手の震えは治らないままだ。せめて表情だけはきちんと繕い、うまく笑えているだろうか。

「柚子……おまえ……、」
「斉藤銃一はその、一番端に倒れてる奴だよ。意外と無抵抗で呆気なかった。でももうこれで安心だね。久兄を襲う奴はもういないよ」

ユキ兄はまだ混乱しているようだ。死体と私を見比べた後、「おまえが、やったのか?」と声を絞り出した。

「うん」
「……どうやって?」
「ハッキングして長畑建設が斉藤銃一を雇って兄さんを撃ったことを知ったから、とある人から情報を買って、会合場所に乗り込んだの。で、撃った」

手の中で銃を弄りながら私は笑ってみせる。そうだ。今回撃ったのは久兄のため。彼らは久兄を殺そうとする悪い奴らだったんだ、死んで当然だ。何度も頭の中で繰り返した言葉をもう一度、脳に焼き付ける。

「怪我してんじゃねーか。なんでこんな……無茶しやがって……」
「でも私は生きてるし、日本でも有数のヒットマンをちゃんと殺した」

ユキ兄は戸惑っているからか、いつものような迫力はない。チャンスだ、と私は詰め寄る。

「ユキ兄、私はハッキングも出来るし度胸もないわけじゃない。銃だってちゃんと扱えるよ。ユキ兄は出来るわけないって思ってたみたいだけど、私はその気になれば、兄さん達の役に十分立てるよ。今回はそれを証明できたと思う。ね、だからユキ兄、お願い。私を一人前として認めてほしいし、兄さん達の仕事も手伝わせて」

ユキ兄としては散々言いたかったことがあるだろう。こんな危ないことをしやがって。この上さらに危ないことに首を突っ込むつもりか? ダメに決まってんだろ。第一、今回は運が良くて無事だったかもしんねーが、次もそうとは限らない。もうこれっきりにして、良い加減俺を安心させてくれ。とかね。

口を開いたユキ兄が逡巡し、そっと言葉を飲み込む。しばらく黙り込んだ後、そっと私の肩を抱いた。

「しょうがねーな」

てっきりもう少し言い争うと思っていたユキ兄から、まさかの言葉。私はぱっと顔を上げた。

「良いの?」
「ああ。ここまでされちゃ、認めねーわけにはいかねーからな」

私は信じられなくて、嬉しくて、思わず涙ぐんでしまう。

「もちろん、アニキの許可が第一条件だけど。それと、俺の言うことはちゃんと聞いて、無闇矢鱈と危険に首を突っ込まないって約束できんならな」
「する、するよ! ユキ兄、やった! ありがとう!」

ユキ兄に抱きつくと、昔みたいに「ったく、しょーがねーな」と苦笑しながら髪を優しく撫でてくれた。温かい腕の中で、私は人を殺した衝撃も恐怖も虚無感も全て忘れて、齧りつくように抱きつき、少し泣いた。ユキ兄は私を抱きしめながらも、少し嬉しそうに笑っていた。




それからの日々は順調だった。久兄は私が殺したと言う報告を聞いてかなり驚き、戸惑っていたように思う。ただ、望月社長の力添えとユキ兄の面倒見るという言葉に、最終的にはしぶしぶ了承し、ユキ兄の監督下かつインターン生という形ではあるが、私は望月信用調査の一員となれた。

念願の夢が叶い、私は夢を見ているかのようだった。兄さん達が認めてくれて、兄さん達の役に立つ仕事が出来る。基本的には久兄の指示の元、ユキ兄とトラブルの元凶を締めにいき、最終的にはそれを久兄に報告する。たまにハッキングを行うこともある。何の業務内容だったとしても、「よくやった」という久兄の言葉と、ユキ兄のご褒美のハグがあれば、全てが吹き飛び、また次も頑張ろうと思える。

「柚子」
「分かってる」

この日もそう。廃ビルの地下駐車場に散らばる、無数の死体の中に、私たちは立っていた。彼らは敵対組織のメンバーで、彼らが「生きている」と望月社長が「困ったことになる」らしい。相手組織がどんな人間で何をしていて、彼らが生きているとどんな具合で「困る」のか、私たちは一切知らない。知らなくて構わない。
ところで、獲物の数が言われていたものより1人少ない。今までの経路と出口までの地図を頭の中で開き、隠れていそうな場所を何点か抽出する。

私は手元の銃の安全装置を外したまま出口に向かって歩き出す。左数百メートル先の柱の陰から視線を感じる。三歩踏み出した瞬間、左手を持ち上げ、一発の弾丸を放った。
それは男の脳天に食い込み、男は血を噴き出しながらゆっくり倒れる。

「おまえ、本当に外さないな」

ユキ兄は微笑み、私の頭を撫でてくれる。

「兄さん達のためだからね」

彼がなぜ死ななければならなかったのか、この死が久兄にどう役に立つのかすら知らないまま、私は今度こそ銃を仕舞い、ユキ兄の腕にぎゅっとしがみつく。兄さんのためという言葉で頭をいっぱいにしないと、余計なことまで考えてしまい、情けないことに手が震えてしまう。

「よし。帰ってアニキに報告するか」
「うん」

ユキ兄はめっきり優しくなった。もう事務所に寄るなとも他の男と話すなとも言わない。意地悪もお仕置きも癇癪もない。ただ、インターンの仕事が忙しすぎて、結局早乙女金融のバイト自体辞めてしまったけれども。吾代さんは最後まで私を心配し、行くな、やめろ、と言っていたけどおかしな話だ。兄さん達の役に立つことは私の人生の意義であり喜びなんだから、もう少し応援してくれてもいいのにな。

廃ビルを後にし、私たちは繁華街を歩く。会社に向かう途中でふと私は足を止めた。

「ここ……」

かつて通った射撃場を前に、懐かしい思い出が蘇る。早乙女金融でバイトし、ここで練習し、匪口とハッキングをしていた日々。今はあの頃の夢が叶った形になるのか。

「ん」
「懐かしい。ここ、よく通ってたんだ。ユキ兄、ちょっと寄っていい?」
「いーぜ。ちょっとだけな」

了承を得て中に入る。内装はほとんど変わっていない。受付のオーナーが気付き「やあ、久しぶり」とにっこり笑った。

「活躍は聞いてるよ。頑張ってるみたいじゃない」
「おかげさまで」

短く頭を下げ手続きをすませると、射撃場に進む。平日はやはりまだらで、人影は全然ない。
ただ、1人。ベンチに座り、撃つわけでもなくぼうっと煙草を蒸す男がいるだけだ。

「笹塚さん」
「……柚子ちゃん。久しぶりだな」

ゆっくり顔を上げ、少し驚いたように眉を釣り上げる。色々言いたいことがあったのだろうが、逡巡した後、言葉を飲み込んだ。

「ちゃんと寝てる?」
「それはこっちの台詞」

互いの不健康さを揶揄する冗談が懐かしい。私は表情を少しだけ緩めたが、笹塚さんは私の足元を見て眉を潜めた。

「……怪我してんの?」
「違う」

さりげなくコートの裾を引っ張り返り血を隠したが、おそらく全て伝わってしまっていることだろう。

「そうか。遅かったか」

私があの晩、斉藤銃一を仕留めたことも、その後何人も闇へと葬り去っていることも。多分彼には筒抜けだ。

「ごめんな」
「何であんたが謝るの」
「止めてやれなかった」
「むしろ感謝してる。あんたのおかげで、兄さんの役に立ててる。私は幸せだよ」

その言葉に笹塚さんが初めてはっきりと、顔を歪める。

「幸せなら、そんな下手くそに笑うなよ」

側に立つユキ兄を睨むが、彼は悠然と微笑むだけ。

「ちょっと。兄さんを睨まないでよ」
「……」

そう笹塚さんに怒ってみせるが、彼は今度は謝らない。重く横たわる沈黙を破ったのは、笹塚さんの携帯の着信音だった。

「お疲れ。……事件が。場所は? ……」

笹塚さんがビルの名前を復唱する。さっき私たちがいたところだ。偶然とは思うが、心臓がどきりと跳ねる。

「分かった。すぐ行く」

電話を切ると、「もう行かないと」と出口に向かいかけ、ふと足を止める。
そして私の服の裾についた血をまじまじと確認して、眉根を寄せた。

「それ……まさか」

彼の視線の色が疑惑から確信に変わる。さっきまでの自分の行為がバレた気がして、私は僅かに身を硬くした。

「何よ」
「……いや、何でも。傷、ちゃんと手当てしなよ」

笹塚さんが足早に去っていく姿を見つめながらも、心臓はまだうるさく脈打っている。彼は言及しなかったが、どうも全てを気付かれた気がしてならない。

「柚子、撃たねーの?」

ユキ兄が声をかけ、私は我に返る。

「……ううん、撃つよ」

定位置に立つと、銃を取り出し身構える。安全装置を外し引き金を振り絞ると、振動と反響音と共に、遠くの的が焦げた。
何度も穴をあけては、弾を装填する。動かず、攻撃もしてこない的への攻撃など、何の難しさも感じない。幼い私は何も知らなくて、あの的にうまく当てられるようになればなるほど、兄さん達の役に立てるようになると信じてひたすら練習を重ねていた。
人を傷つけ、時には息の根を止める。兄さん達がそれが求めているなら、私はいくらでもそうしよう。そう思っていたはずなのに。

ーー「人を殺して帰ってきた時、あんたはその笑顔で私を抱きしめられる?」

匪口に以前放った言葉が脳裏に蘇る。その時の彼の言葉を失った様子も。
刑事になった彼は今、どうしているだろうか。風の噂は聞かないが、きっとそのキャラクターとずば抜けた能力で、人々から愛され活躍していることだろう。

ふと、彼にはもう二度と会えないな、と思った。会う勇気がないとか、会いにくいとかでもなく、会えないという冷たい確信。

「柚子?」

撃ち止めた私を見て、ユキ兄が怪訝そうに声をかける。

「どうかしたか?」
「ユキ兄。幸せ?」

振り返り問うと、彼は少しきょとんとした後、「当たり前だろ」と口の端を吊り上げた。

「柚子と一緒にアニキの仕事を助けてさ、これ以上の幸せはないだろ」
「……そうだよね」

私はうなづく。
兄さん達と一緒にいて、その役に立てる。その記号の中に全てを押し込めてしまおう。人を傷つけ殺す意味も、その背景も、この裏社会じゃ考えるだけ無意味だ。私は兄さんの腕に自分のを絡めて「もう行こっか」と出口へと引っ張る。

「もういくの」
「うん」

残念そうなオーナーにお金を払う。

「そう。また遊びにおいでね」

お釣りを私の手に握らせた時、耳にそっと口を寄せる。

「出来れば壊れる前に再会したいな、可愛いマリオネットさん」

はっとして顔を上げる。オーナーは口元を綺麗な弧で描いている。

「行くぞ、柚子」

ユキ兄には聞こえなかったらしい。こんなところには用はないとばかりに私の腕を引っ張ってこの場を後にする。
後ろ髪を引かれる思いで外に出ると、やけにパトカーがうるさくサイレンを鳴らし、往来していた。向かう方向は、さっきの廃ビルだ。

「大丈夫、うちの社長は警察OBだから、ちょっとやそっとじゃ捕まんねーって」

私の表情を見たユキ兄がそう囁き、私は笑顔でうなづいてみせる。でも、胸にとぐろを巻いているのは、別の疑問だ。

私たちに事情の背景を細かく説明せず、こいつを痛みつけろ、あいつを殺せと端的に指示する久兄。
私の我儘を聞いて会社の一員として招き入れた後、妙に殺人の依頼ばかりを振り与え、手元で任務をこなす私を見て嬉しそうに微笑むユキ兄。
そして、無関係を装っていたはずなのに、ある日突然久兄を撃った仇の情報を与え、私を裏社会へと名実ともに引きづりこんだ、射撃場のオーナー。

もし私が仮に操られ人形なのだとしたら。
その糸を握っているのは、一体誰なんだろうか。

(20190501)
 

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