子犬のワルツ

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※暴力描写注意

家の住所、兄さん達の生活習慣、望月信用調査の幹部の構成、秘密裏に四ツ橋重工と進めている契約の内容、営業情報、エトセトラ。知らないし、知っていたとしても兄さんを不利にすることは絶対に話すもんか。

頭を殴られ、腹を蹴られ、気を失ったら水をかけられる。一方的に暴行を受けるのは初めての経験だ。正直めちゃめちゃ辛い。やめてと言う声が悲鳴とともに出そうになる。

「子供みたいに泣いちゃって可愛いねえ。助けてくださいと言えば助けてあげてもいいんだよ」

痛いのも辛いし、いつ終わるか分からない、殺されるかもしれない恐怖を抱えるのも嫌だけど、一番辛いのは、自分が無力どころか、兄さん達のリスクを増やしてしまっている。絶対これ以上は迷惑をかけない。私は歯を食いしばって耐えること、永遠のような地獄の数時間。

「見上げた忠誠心だなあ。でもそういうのウケないよ。もっと泣いて喚いて苦しまないと、見ている方もつまんないから」

そう言って男が私の後ろに回る。身をよじる私の右手を掴み、もう片方の手で人差し指を握ると一気に捻りあげる。

「ああああああっ!!」
「なんだ、出るじゃん、悲鳴。いいね、そういうのが聞きたかったんだよ。そっちのほうが絵になるじゃん」

楽しげな彼の言葉の半分も入ってこない。痛い、痛い、辛い、逃げたい、やめてほしい……でも、兄さんに迷惑なんてかけられない。唇をぎゅっと噛みしめると、血の味が滲み出た。

「歯ぁ食いしばってねーで、もっと聞かせろよ、ほら」

中指を同じように掴まれ、痛みも堪えて無我夢中で必死に身をよじるが、彼には抵抗のうちに入らないようだ。

ぼきり。

「あああああ!」
「あははははは! 見てるか、早坂兄弟! おまえらの馬鹿な妹がおまえらの報いを受けてるぞ!! 見ろ! 無様に這い蹲って、本当に哀れだな! あはははは!」

男が監視カメラに向かって笑い叫ぶ。

「にい、さん……?」
「ほら、そのぐちゃぐちゃな泣き顔を兄さんに見せてやれ。助けてくれと泣き言1つ零してみせろ」

髪の毛をぐっと掴まれ、上方を向かされる。

「いやだ……兄さん、ごめん、なさい……役立たずで、迷惑かけて、ごめんなさい……」

「そういう言葉が聞きたいんじゃねーんだよ! 命乞いでもしてみせろっつってんだよ!」
「もうやだ……迷惑かけるくらいならいっそ、殺して……」
「そんなんじゃ取引材料になんねーだろうが! くそ!」

掴んでいた頭を床へと投げ捨てられ、倒れ込んだ私の右手を蹴り飛ばす。あまりの激痛に意識が飛びそうになった。


「……何やってんの?」
「ああ、斉藤さんじゃないか。丁度いい、彼女が兄さんに迷惑かけるくらいなら殺してほしいんだとさ。まあ、殺すのは本意じゃないが、良い感じに半殺しにしてやってあげてくれないか?」

斉藤……って、斉藤銃一? 霞む視界と激痛の中、目を凝らして入口に立つ男へ目を向ける。背が高く、黒いスーツに身を包んだ男。どことなく奔放でのんびりしたその男の顔を、私はよく知っている。

「おー、な……?」

射撃場のオーナーだ、間違いない。何でここに。混乱する私を他所に、彼は銃を持つ手を上に掲げる。
対象物も見ずに引き金を引くと、それは監視カメラに直撃し、パラパラとガラスの破片が落ちてきた。

「な……何しやがる!」
「あんた、ちょっとやり過ぎなんだよね」

オーナーがのんびりとした口調で肩についたガラスの破片を払う。

「普通、女の子を誘拐したら椅子に縛り付けてナイフ突きつけるとかさ、ヒーローが入ってくるタイミングでげへへ犯してやるきゃー助けて! みたいな茶番をするとかさ、その程度に留めるじゃん。ここまで殴る蹴るのガチな暴行を加えちゃ、月9で放送できないよ」
「何を、」
「まあでも」

オーナーが銃口をこちらに向け、ひやりと内臓が冷える。

「これはこれで、シスコンたちを焚きつける材料になって面白いかもね」

銃声が空気を切り裂き、一瞬の静寂の後に、私の側にいた男が倒れる。額には小さな穴が開き、そこからどす黒い血がたらりと流れ出していた。

「……ひ、」

修羅場は潜り抜けてきた方ではあるが、目の前で人が殺されるのは初めてだ。さっきまで喋っていた人間が動かなくなる呆気なさ。

久兄の仇を打とうと決意していたはずなのに、いざ敵の死体を見るとこんなに動揺するなんて。覚悟の足りなかった自分が情けない。

「うわあ、痛そう」

オーナーが歩み寄り、私の側にしゃがみ込む。死体には見向きもしない。

「改めて見ると、ひっどいねえ。大好きな兄さんにそっくりな顔が台無しだよ」
「……なんで。仲間だったんじゃ、ないの?」
「仲間? まさか。ただの依頼人だよ」

依頼人という言葉に、彼の正体を再度確信する。

「斉藤銃一は……あんた、だったのね」
「うーん。半分正解」

情報を流した彼自身がまさかの黒幕だったとは。掌の上でまんまと踊らされていたことに気付き精一杯睨む私を見て、オーナーはくすくすと笑う。

「俺は違法射撃場のオーナーであり、斉藤銃一であり、その2人の誰でもないんだ」

意味がわからないのは、体力が削られ、理解能力が著しく低下してるからだろうか。

「何なの、あんた……何がしたいの」
「ただあんたらの家族愛の行方が観たいだけだよ」

彼が私の後ろ側に回る。恐怖に身を固くしたが、彼は手首の縄にそっと触れただけだった。それでもジンジンと痛みと熱を訴える右手は悲鳴を上げる。

「っつ、」
「あ、ごめんね。指の骨、折れてるんだったね。でも、あんた、左手でも撃てるでしょ」

手首に触れる振動ですら辛いが、何の気まぐれか、拘束を解いてくれるらしい。
確かに、いざという時のために私は両利きに矯正し、銃に関しては一応どちらの腕でも撃てるように訓練していたけれども。

「何のつもり?」
「いやあ、抱えている顔が多すぎてね。あんたの兄さんのせいで斉藤銃一の名前にも傷がついちゃったし、面倒だからこの顔はこのまま処分しちゃいたいんだ」

訳の分からないことを言うと、オーナーは自由になった私の左手に銃を握らせた。

「あんた、自分の兄さんの仇を討ちたかったんだろ? 撃たせてあげるから、一思いにやっちゃってよ」

ほら、早く。そう急かす彼は正気の沙汰とも思えない。

「……な、」
「ほら。あんたの兄さんを殺しかけた憎き仇だよ? 斉藤銃一を殺したとなれば、あんたの兄さんもあんたのことを認めて一緒に働かせてくれるかもよ? 夢が叶うんだよ?」

オーナーが私の夢を甘く語る。そうだ、私はそのためにずっと勉強もバイトも銃の練習もしてきた。今日この日のために。そもそも彼は久兄を殺そうとした。そんな奴を生かしておく価値なんて、ない。
震える指で安全装置を外す。ゆっくり持ち上げ、至近距離で今か今かと待つ彼の脳天に照準を合わせ。

ーー「殺した後元の生活には戻れなくなる」

笹塚さんの言葉が脳裏に蘇った。
敵の死体を見ただけでもぞっとするのに、顔見知りの彼の死体なら余計に目に焼き付いて離れなくなるだろう。それが自分自身によるものだとしたら尚更。

斉藤銃一は殺さなきゃだめだ。その答えに変わりはない。

でも、射撃場のオーナーは、三年間、一応世話になった。そこまで親しくはなかったけれど、顔見知りと呼ぶには少しかかわりを持ちすぎた。

 暴行を受けて心身ともに弱っていることも原因かもしれない。ただ、一度忌避感を憶えた体はもう銃口を向けることが出来なくなっていた。

「……やっぱ無理」
「えー」

 オーナーがあからさまにがっかりする。

「そんなのってないよ。俺の計画がパーになっちゃうじゃんか。第一、あんた兄さん以外はどうなってもいいとか言ってたくせに、兄さんを撃った相手を殺せない訳? あんたの兄弟愛ってその程度なの?」

 心ない言葉に胸がずきりと痛む。そんなこと、私自身が一番幻滅している。

「……何とでも言えばいいよ」

 私は変な方に折れ曲がっている右手を庇いながら横を向く。痛みはどんどんひどくなる一方で、熱も全身に広がっている気がする。酸素が薄い。

「その男だったらもしかしたら勢いで殺せたかもしれないけど……曲がりなりにも三年間顔を突き合わせた相手を、私は殺すほど図太くなかったってだけ」
「……ふうん。あんた、意外と甘っちょろいんだね」

 オーナーは意外にも、機嫌を損ねた様子はなかった。目をぱちくりした後、何かをごまかすかのように咳払いをする。

「まあ。本人がそういうならしょーがないか。じゃ、あんたらの兄さんに殺されてやることにしよう」
「兄さん……」

 ユキ兄のメールの文章。それに、捕まる直前にかかってきた大量の着信。ユキ兄なら本当に彼を殺しかねない。

「この男さ、長畑建設の社員なんだけどさ、取引材料にしようとして、監視カメラの映像をあんたの兄さんに送ってるんだよ。兄弟は大激怒さ。特に弟の方は周りに見境なく当たり散らして大変そうだったよ」

 そんな2人の様子がまざまざと思い浮かぶ。

「ここの場所を教えてあげたら喜んで乗り込んで、全員片っ端から締めていくだろうね。俺なんて弟が生かしちゃおかないだろうしね。その後、兄弟はあんたを家に連れて帰るだろうけど、さて、その後は一体どうなるかな」

 彼はどこか楽しむような表情を浮かべている。兄さんの仇を打つこともできず、ただ心配と迷惑だけかけた役立たずの妹。ユキ兄は呆れ、怒り、今までの比じゃないくらいきつい罰を与えるんじゃないか。

「……やっぱあんたの首を取ってユキ兄に許しを請おうかな」
「気が変わっちゃったの? でももうダメだよ。あんたがどんなお仕置きを受けるか観たくなっちゃった」
「何をどこまで知ってるか分かんないけど……人のトラブルを楽しんでない?」
「楽しんでるよ。兄妹の愛憎劇なんて滅多に見られるものじゃないからね」

痛みのストレス反応か、吐き気が込み上げてくる。視界がふらりと揺れた瞬間、「おっと」と小さな手が私の体を支える。

「やっぱキツイよね。大丈夫だよ、後のことは俺が何とかしておくから」

ゆっくりと床に横たわらせる。床に寝そべると今までの疲労が蘇ってきてもうダメだ。重い瞼を必死にこじ開けようとする。

「あんた……」
「目を開けたら、幸せな我が家に戻ってるよ。あ、それとも首輪のついた犬小屋かな?」

霞む視界の向こう側では、スーツ姿のオーナー……ではなく、色素の薄い少年が携帯を弄っているのが見えた。

「……あ、れ」

気のせいかと思いもう一度瞬きをしたが、もう視界は戻らない。意識を手放す瞬間、誰かの手がそっと髪を撫でた気がした。

(20190407)

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