子犬のワルツ

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「嫌。絶対無理」
「じゃ、このままだな」
「あんたこんなことしてどうにかなると思ってんの? 覚えてなさいよ、痛い目に合わせてやるから! やるって言ったらやるんだから!」
「本当にしそうで怖いな」

喚き睨み殺気を放つが、笹塚さんは態度を一切変えない。この人、サイコパス? 流石に少しは怖がって欲しいんだけど。

「てか、兄さん達にこんなとこ見られたらあんたこそただじゃすまないから!」
「君が今からしようとしてることを話せば、むしろ感謝されるかもな」

そんなやりとりをし、喚き散らし、疲れ果て沈黙になること早1時間。笹塚さんは飽きもせず紫煙を燻らせながらじっと私を見つめている。

「ちょっと、トイレ行きたいんだけど」
「電話するか、漏らすかだな」
「変態!」

ムカつくやりとりをしてからさらに2時間。

「楽しそうなことしてるね、あんたら。拘束プレイ?」
「ちょっとオーナー、警察呼んで」
「はは、意外と面白いことを言うじゃない」

やっとこちらに顔を出したオーナーに向かってそう叫んだら冗談扱いされること更に1時間。
そろそろユキ兄から電話が来る時間だ。これ以上はやばい。ユキ兄から電話が来たら私は出られない。きっと目の前の男が電話に出て、ユキ兄はめちゃめちゃ不機嫌になる。この状況を見たら発狂して笹塚さんを嬲り殺し、私に苛烈なお仕置きを与えるに違いない。そしたら計画はパーだし、嫌なお仕置きも待っている。笹塚さんも黒い一面が見えたとは言え、一応私の銃の師とも言えなくはない。さすがに死なせるのには忍びない。
ここは肉を切らせて骨を守るしかない。私は長い沈黙の後、笹塚さんにこう持ちかけることにした。

「せめて片手だけ外して」
「片手を外して何をするんだい」
「電話かけるから」
「本当に?」
「嘘じゃない」

誰にとは言わない。私の嘘はバレやすいらしいから。片手だけ解放してもらった瞬間、彼を殴って鍵を奪い取ろうかと考えた。ただ、この底の知れない人間、敵う気はしない。他に確実な手段があるなら、そちらを優先すべきだ。ぐっと堪え、携帯電話に一方的に話しかける。

「もしもし、兄さん。迎えに来てくれる? ちょっと動けなくて。場所は……」




「で? 何やってんだてめーは?」

そう、呼んだのは過保護な兄貴分である吾代さん。私が手錠にかけられてるのを見てその元凶を丁度良い塩梅でボコボコにしてくれるであろう人間。今だってそう、メンチを切りながらヤクザよろしく笹塚さんの胸倉を掴んで殴りかかり……

「悪いけど、そんな簡単にやられるつもりはないんだよね」

決して柔くない拳を真正面から片手で受け止められてしまった。
吾代さんもはっとし間合いを取り睨みつける。

「てめー……何もんだ?」
「それはこっちの台詞」

吾代さんと私を交互に確認し、眉根を寄せる。

「彼、本当に君のお兄さん?」
「んなわけないでしょ、私の兄さんはもっと格好良くて強くて優しくて完璧なんだから」

ソーダヨ。ね、ニーサン。

うっかり心の声と実際の声を逆にしてしまい、吾代さんが青筋を立てる。

「あ? てめー何言ってんだ」
「兄さん、ひどいよ、こんな状況で意地悪なんて言わないでよ」
「てかどこの誰かは知らねーが、ヒトの妹分をよくもこんな目に合わせてくれたなァ? いたいけな少女の両手を封じて一体ナニやろーとしてくれたんだ? あ?」
「何って、銃を持ってどこかの誰かを殺しに行きそうな雰囲気だったから、危ない目に遭わないように留めておいただけだけど」
「あ?」
「あんたももし本当に彼女の兄さんなら、少しは気付いて止めてやれよ」

吾代さんがこちらを見やる。その顔には「どうもおかしいと思ったらそういうことかよ」と言いたげな表情が浮かんでいる。

「このじゃじゃ馬娘、やっぱりてめー何か企んでやがったんだな!」
「失礼ね、別に企んでなんかないし」
「分かったぞ。斉藤銃一を殺しに行く予定だったんだろ、そうなんだろ!」
「斉藤銃一って、あの、有名な殺し屋の」

笹塚さんが険しい顔をする。

「あんたには関係ないでしょ。いいからこれ、さっさと外してよ」
「ダメだ、君は嘘をついたろ」

元々信じていなかったくせに、笹塚さんはそう首を振ってみせる。

「さすがにいつも嬉しそうに電話するのと様子が違いすぎる。君は嘘が下手だな」

その口ぶりはむしろ同情していて、それが私には腹立たしい。

「吾代さん、あとで覚えてらっしゃいよ」
「俺のせいかよ!」

吾代さんが何やら文句を言いかけたその時。
ポケットに入れていた私の携帯電話が音を鳴らした。
18時。兄さんからの電話だ。

3人が同時に固まる。電話は鳴り続ける。笹塚さんが少し躊躇いながらも私の携帯に手を伸ばした。

「笹塚さん、お願い、やめて、」

いざ本当に兄さんがここに来るかもしれないとなると、普段は兄さん以外には見せない弱気な自分が出てきてしまう。その声に自分だけでなく2人も驚いたようにこちらを見る。特に笹塚さんは普段とは違い瞳の奥を僅かに揺らめかせている。

「ごめん。これも君のためだ」

そう思ったのも束の間、笹塚さんは私のポケットからするりと携帯を取り出すと、受信ボタンを押し、耳に当てた。

「もしもし」

自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。匪口を家にあげた時のユキ兄や、嘘をついた時の怒ったユキ兄を思い出して吐きそうになる。少しの沈黙の後に、低く怒気を孕んだユキ兄の声が聞こえてきたが、何と言っているかまでは聞き取れない。

「いや、ただの知り合い。……だから、ただの知り合いだって。あんたの妹さんがやんちゃしそうだったから、保護してるだけ。……指一本触れてねーよ。……ああ、迎えに来てくれ。場所は……」

笹塚さんが淡々と告げると耳から携帯を離し、「切れちまった」と呟く。項垂れる私を見て、「まあ多少叱られるかもしれないけど、突っ込んでって死ぬよりマシだって」と慰めた。

「多少叱られるで済むわけないじゃない」
「どういう意味だよ」

そう口走った私に、吾代さんが詰め寄る。その顔には、集金の際に怪我しそうになった私に向けるものと同じ……多分、焦りや心配に似た表情を浮かべている。

「まさか、おまえ、あいつらに手出されてるわけじゃ、ねーよな?」

何かされてるかと訊かれて、返答に困る。兄さん達が私に危害を加えるわけがない。
でも、行動範囲を制限されたり、言うことを聞かなかったらネガティブな感情を爆発させたり、お仕置きと称して色々されるのは、「何かされてる」に相当するのだろうか。でも、それを吾代さんに言ってどうなる?

ーー「そいつに届く分かりやすい言葉を使ってそいつを動かせるようになれって」
ーー「おまえの同級生だろうがあいつだろうが、おまえが助けてって一言言えば喜んで飛びつくだろうよ」

違う。助けてほしいわけじゃない。
いくらユキ兄に違和感があっても、それは一時的なものだし、ユキ兄が悪いことなんて一つもない。
悪いとしたら、兄さん達の言いつけ通り大人しく出来ない私が悪い。でもそれだって、私がうまく立ち回り、計画を成功させれば良いだけの話だ。結果が全て、そう思う。
こんなところで諦めてたまるもんか。

「そんなことより、これ、外してよ」

弱々しい声で手錠をアピールする。

「こんな情けない姿、兄さんに見られたくないよ。お願い。もう逃げないから」
「ああ……」

兄さんが来るともう分かったからか、さすがに可哀想に思ったからか、笹塚さんが近付き、手錠の拘束を解いていく。鍵を差し込みながら「君の兄さんって、いつもあんな感じなの?」と聞いた。

「あんな感じって?」
「君が自分以外の人間と少しでも関わりを持つのが許せないって感じだったけど」
「……そうかもね」

ユキ兄が私を心配してるとか、他の人間を警戒してるとか、今の状態をそんな風に捉えてきたけど、他人からはそんな風に見えるのか。家族愛を無視した無粋な表現だけど、あながち間違ってもいないように感じる。

右手の手錠が開けられ、意味のない鉄の塊が右の手首にぶら下がる。左手もお願いと拘束具をガシャガシャ揺らせば、笹塚さんはつられるように左手首に手を伸ばしながら口を開く。

「君の兄さん、めちゃめちゃ怒ってたけど、」

1メートル先で、複雑な表情で少し考えている様子の吾代さんが目に入る。こんな結末で本当に良かったのか、ユキ兄の様子を見て不安に思っているらしい。

「あの怒りが君に向くなんてこと、ないよな?」

ユキ兄のお仕置きを思い出す。この間、嘘をついたのがばれた時は子どもみたいにお尻を叩かれた。痛くて情けなくて恥ずかしさに顔を真っ赤にしながら涙を堪えていた。弄りまわされ散々なじられ罵倒された記憶は思い出したくもない。
あんなことはもう二度としたくないけど、叩いてる時のユキ兄は加虐を楽しんでいるような風ですらあって、今度またやらしたら、同じかもっと酷いことをされかねないと思う。そんな想像をしただけで、情けないことに手の震えが抑えられなくなってしまう。

「柚子ちゃん?」

左の拘束具が外れ、笹塚さんが前屈みになって私の顔を覗き込む。

「大丈夫。ただめちゃめちゃ怒られた後、お仕置きされるだけ。でも笹塚さん、お願い……出来るなら、私を……」

笹塚さんがはっとしたように顔色を変えると、少しだけ戸惑いながらゆっくり私の顔へ手を伸ばした。完全に彼が無防備になった瞬間。私は少し微笑み囁いた。

「……ありがとう。騙されてくれて」

その手を左手で掴みぐいっと引き寄せ、さっきまで自分にかけられていた手錠をかける。据え置きのベンチの淵にもそれともう一つの手錠も括り付けると、その音を誤魔化すように同時に悲鳴をあげる。

「おいどうした?!」

我に返った吾代さんが血相を変えてこっちに近づく。吾代さんは粗雑だが、面倒見が良く懐に入れた人間に対してはとことん甘い。その分、本当に引っかかりやすくて、騙すのが申し訳ないほどだ。

「ごめん」

吾代さんにもう一つの手錠で拘束すると、掴もうとする笹塚さんの手を逃れてその場から離れ、手のひらからこぼれ落ちた手錠の鍵を2つとも拾い上げる。

「……やってくれたね、柚子ちゃん」
「おい、柚子、このじゃじゃ馬娘、ふざけんな、これ外せ!」
「怒鳴らないでよ、これが一番被害の少ない方法なんだから」

計画が成功しようが失敗しようが、私はどうやったって怒られる。ただ、笹塚さんが携帯電話の相手だってことさえバレず、目の前に現れすらなければ、彼らがボコボコにされることもないだろう。

「大丈夫、ユキ兄が来る前に逃がしてあげるから」

これから起きうることを想像する、ユキ兄がどこにいるかにもよるが、職場からここまで急けば30分。それまでに私も彼らもここを離れれば問題ないはずだ。
ただ彼らも素直に解放してはくれないだろうから、ここで大人しくしてもらうため、若干手荒な方法を取った。決して、笹塚さんへの意趣返しではない。ホントに。

「それじゃ、私のことも兄さんのことも探さないでね」

2人が騒ぐのも気に留めず、荷物をまとめて練習場を後にする。ロビーではオーナーがのんびりと銃の手入れをしていた。

「あれ、お嬢ちゃん、もう拘束プレイは終わったの?」
「オーナー、悪いけど、後10分経ったら、この鍵をあの人たちに渡してもらえる?」

冗句を無視して、少し多めのお札と手錠の鍵を渡す。

「流血沙汰になりたくなかったら、必ず渡してね」
「はは、良いよ。それで君はどこに行くの? 飼い主の待つ家? それとも斉藤銃一のところ?」

出口に向かいかけていた私の足がピタリと止まる。

「斉藤銃一のこと知ってるの?」
「君たちが騒いでるのが聞こえてね」

オーナーの口ぶりは軽く、慣れた手つきでお札を弾いている。わたしは戻ると、財布から更に数枚お札を抜いた。

「何か言いたいことでも?」
「今日ね、彼は神楽山のブラッスリー中村で商談をするらしいよ。19時に待ち合わせなんだって」

神楽山なら、ここから大体30分あればいける。45分には着いて、周辺の地形を確認して、サクッと撃つ。無理なら帰りに狙えば良い。
今日を逃したら当分動きづらくなるだろうし、練習場にも来られないだろう。準備不足は否めないが、殺せるだろうかなんて悩んでいる余裕はなくなった。今日殺って成功させ、ユキ兄達を納得させるしかない。

おっと、一番肝心なことを忘れてた。

「斉藤銃一の見た目って、どんなのか知ってる?」

オーナーはにたりと笑った。

「行けば分かるよ」

私は財布の中を覗いた。荒稼ぎをしているとは言え、私はただの女子大生。もうお札はなかった。ダメ元で500円玉をカウンターに置いてみる。オーナーはにっこり笑った。

「黒いスーツを着た男だ」
「聞かなくてもわかるわ!」

もう時間がない。私は「役立つ」情報を提供してくれたオーナーに「この守銭奴め」と言い、心の中でありがとう、と呟く。あ、表と裏間違えた。オーナーは苦笑いしていた。

「鍵、絶対忘れないでよ」
「はいはい」

私は踵を返すと駅に向かって駆け出した。自分の選んだ道は正しいと信じるしかない。

(20190330)

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