子犬のワルツ

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最初に議事録を見る。兄さんの下で大きな案件がいくつか動いているようだ。自社ビルの引越し作業、有名ハリウッド俳優とのコラボCM企画、日本きっての大企業・四ツ橋商社との大型取引。脈絡はないが、どれもこの会社にとって大きな案件なんだろう。さすがは久兄。誇りに思うよ。

更に遡ると、4週間前から2週間前にかけて、出席者の一覧に久兄の名前がなくなっている。4週間前の久兄の予定を確認すると、四ツ橋商社との商談、接待が入っていた。この時期に撃たれ、療養していたのだとしたら辻褄があう。四ツ橋商社との絡みで襲われたのだとしたら、一体なぜ。

議事録にはそれ以上大した情報は出てこない。私は視点を変えて、組織図に戻る。トラブル処理班の名前を探すが見当たらない。ユキ兄の名前を検索すると、ようやく社長直下の「警備対応処理チーム」を見つける。何を対応処理させるつもりなんだか。胡散臭いことこの上ない。
ただ、こちらは組織としての指揮系統が確立しているわけではないらしく、総務部と違い定期的な会議や情報共有はなされていない。業務内容も同じ社内とはいえ謎に包まれているようだ。体制図を確認し、ユキ兄の他の構成員にあたりをつけると、彼のメールボックスをざっと確認する。

もっとも、下っ端の中の下っ端だ、重大な情報が降りてくるわけじゃない。
ただ、最近はやたらと長畑建設の人間を付け回しているようだ。毎日飽きずに尾行しては、そこの部長の様子を詳細にユキ兄に報告している。ユキ兄はあまりメールを返さないが、先週の木曜日に一回だけ彼にこう忠告している。

ーー斉藤銃一を見かけたらすぐに連絡しろ。また襲撃される前に、仇は俺が討つ。

「仇」なんて言っているくらいだ。ユキ兄は長畑建設と斉藤銃一を犯人だと仮定して動いていると言って良さそうだ。なるほど、あの長畑建設と斉藤銃一が、ね。

……いや、長畑建設とか斉藤とか誰よそれ。

別窓で長畑建設と検索する。一部上場の大企業で建設業界の大手企業に位置しているらしい。検索候補に「長畑建設 ヤクザ?」と出てきて苦笑する。皆考えることは同じかな。
斉藤銃一も検索してみたが、簡単に情報は出てこなかった。裏社会の人間がよくアクセスする掲示板に入り、再度検索する。大企業との法人契約で食いつないでいると噂の殺し屋で、大した情報はなかった。

頭の中を整理する。久兄は4週間前、四ツ橋重工の商談中に撃たれて2週間療養した。おそらくユキ兄は、その襲撃犯を長浜建設と斉藤銃一と仮定し、トラブル処理班にその後を追わせている。

ーーまた襲撃される前に、仇は俺が討つ。

ユキ兄の言葉を思い出し、胃袋がずんと重くなる。久兄がまた襲撃される可能性があるの? 今度こそ殺される?

「さて、次回からはチームを組んで、いよいよ電気信号による知能を再現していこう」

そんな教授の言葉とともに授業終了のチャイムが鳴り、私ははっと顔を上げた。
気づけば数十分が経過していたらしい。ハッキングにのめり込んでいて全然気付かなかった。

「高い倍率を潜っていわゆる難関大学に入学することが出来たんだ、技術に自信のある者も多いだろう、精々詰め込んだ知識が発揮されることを祈ろう……」

生徒たちが顔を輝かせるが、私は最早授業にはなんの興味もなかった。
必要な情報は揃った。斉藤銃一が本当にやったのか、それとも憶測なのかは分からないが、裏を取る時間的余裕はない。私は立ち上がり、乱暴に荷物を詰める。出口へと向かう瞬間、教授と目があった気がした。

「だが、自分の能力を過信するあまりに、現実世界でも電子世界でも溺れないように。20年そこそこの経験など、社会の闇に比べたらちっぽけなものなのだから」

不気味な笑い声とねっとりした視線が妙に纏わり付いている気がして、私は足を速めた。




「柚子じゃねーか」

繁華街を歩いていると、社長と吾代さんにばったり出くわした。

「学校はもう終わったのか?」
「……そんな感じ。2人は集金?」
「いや、これから上との会合だ」
「だから吾代さんがそんなに嫌そうなのね」
「自分以外の人間をクズみたいに切り捨てるあいつらを好きなやつなんているかよ」

吾代さんは親会社の本筋の人間をあまり良く思っていない。普段は着ないよそいきのジャケットに身を包み、苛々と肩を縮めていた。

「そう。頑張って」

去りかけてふと「社長、」と声をかける。

「ん」
「斉藤銃一って知ってる?」
「ああ……あんまり表には出てこないが、腕は良いらしいな」
「そうなんだ」
「どんな重警備でも確実に殺してさらっと逃げるらしい。海外の大物も何人かやったって話だ。あと、ターゲットの死体は確認の後回収しているとか。収集癖があるのか死体愛好家なのかは分からんが、やばい奴には違いないな」

そんなに凄腕かつサイコパスな殺し屋に狙われて無事だった久兄はやっぱり凄い。ただ、そんな人間が失敗を失敗のままにしておくとも思えない。ユキ兄が急ぐ気持ちも分かる。

「ふうん。そんな大物を雇えるなんて、さぞかし長畑建設も立派な企業なんでしょうね」
「立派だぁ? 裏じゃヤクを見境なく捌いて骨の髄までしゃぶりつくただのハイエナどもだぜ」

ハイエナはあんたでしょ、と突っ込みたくなるのを抑え、「そうなの?」と話を促す。

「おうよ、あそこのシマは見境なくばら撒きやがる。最近じゃ小中学生にも売りつけるらしいぜ。しかもよ、」
「吾代」

社長がいつになく低い声で遮る。

「喋りすぎだ」
「あ?」
「柚子、随分興味持ってんじゃねーか。長畑建設も斉藤銃一もうちの事務所とは一切関係ないのに、どこでそんな情報を仕入れてきた?」

社長が鋭い目で私を見透かす。私は目を逸らしたくなるのを抑えて「別にいいじゃん」と口を尖らせる。

「普段なら別にいいぜ。ただ、昨日まで腑抜けてたくせに、妙に生き生きしてると思ったらやたらと関わったことのない危ねえ組織の話を振ってきやがる」

社長が私に手を伸ばし、私は咄嗟に吾代さんの後ろに隠れる。

「お嬢ちゃんよお、一体何を企んでやがる?」
「何も」
「んなわけあるか、怪しさマックスだっつーの」

まさかの吾代さんに首根っこを掴まれ、私は裏切り者を見る目で吾代さんを見つめた。

「お、おい、そんな目で見んな! 俺が悪いことしたみたいだろ!」
「吾代さんは私の味方だと思ったのに」
「うっ……」
「味方だよ」

声を詰まらせる吾代さんに代わって、社長がさらりと言ってのける。

「だからこうして首を突っ込んでんだよ。てめー1人じゃ暴走して突っ込んで痛い目にあうのがオチだ、違うか?」

教授の不吉な言葉も思い出し、私は顔をしかめる。

「吾代以上の味方なんてそうそういねーぞ」

分かっている。
でも今必要なのは、危ない道に進もうとするのを止めてくれる優しい同僚じゃない。情報と戦力だ。

「本当に何もないって。それより遅れるよ」

私は身を捩り吾代さんの腕を振り解くと「じゃあね」と歩き出す。彼らは会合の時間も迫っていたからか、深追いはせずじっと視線で私を追うだけだった。

(20190322)

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