子犬のワルツ

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最近のユキ兄は寒がりだ。室内では流石に脱いでいるが、代わりに人間カイロのように私にくっついている。寝るときも一緒だ。
ユキ兄のことは大好きだけど、最近はいつにも増してスキンシップが増えて、どことなく落ち着かない。
ユキ兄に抱きしめられながら寝る時は決まって夜中に目がさめる。寝返りが打ちにくく、暑いからだと思う。ユキ兄は逆に遅くまでは起きない。喉が渇いた水を飲みに行こうとユキ兄の両手をやっとの思いでくぐりぬけ、リビングに向かう。

「柚子」

バスルームのドアが開いて、スラックスにバスタオルを引っ掛けた状態の久兄が出てきた。ぱぁっと嬉しさがこみ上げ「久兄!」と飛びついた。

「わあ、久兄だ! 元気にしてた?」
「ああ、柚子、久しぶりだね」

こらこら静かにしなさい、とどこか困ったように笑うと、上半身にバスタオルを巻きつけた。

「元気にしてたかい? 少し痩せたんじゃないか?」
「ううん、久兄に会えたから元気いっぱいだよ!」
「そいつは光栄だ」

おどけた久兄に笑みがこぼれる。いつもの、優しくて格好いい大人な久兄だ。うふふと笑うと、久兄にまとわりつきながらダイニングテーブルへ向かい、彼の分までコップに水を注ぐ。はいと差し出すと、久兄はありがとうと受け取った。

「久兄こそ、最近全然家に帰ってきてないよね? たぶん12日ぶりくらいじゃない?」
「よく覚えているな」
「だって寂しいんだもん。久兄もいないと退屈だよ」
「すまないな。秋頃になったら大きな取引が落ち着く予定だから、それまでもう少しだけ我慢してくれ」
「うん」

久兄に言われると、ユキ兄も私も自然と聞き分けの良い幼子のようになる。でもそういうのも嫌いじゃない。家族以外にはなかなか気を許せないし、最近はユキ兄ともぎくしゃくしている。心のしこりが解ける気がして、私は久兄にじゃれついた。

「学校はどうだ? 新しい友人はできたかね?」
「ううん。出来てない」
「そうか」

久兄は意外にも残念そうな顔をしなかった。

「まあ友人なんていつ裏切るか分からないからな。やはり真に信用できる相手は家族だけだ」
「うん。そうだよね」

ユキ兄の発言を思い出し、同意が少し弱くなる。何か思うところがあったのか、久兄は瞬きをすると「ユキとは仲良くしているかい?」と優しく尋ねた。

「うん」

そう言ってはみるものの、体はユキ兄のことを思い出すだけでどうしても表情が強張ってしまう。久兄は苦笑した。

「相変わらず嘘の分かりやすい子だ。どうした?」

久兄の声は優しい。私は少し考える。兄はそこまで私の行動に制限をかける様子もない。ユキ兄は久兄の言うことに絶対逆らわない。久兄から直接ユキ兄に言ってくれれば、私も少しは動きやすくなるかもしれない。

「ユキ兄ね。最近ちょっと変な気がするの。そうは思わない?」
「何がだ?」
「なんか妙に寒がるし、前より笑わなくなったし、怒りっぽくなった気がする。バイトをするとすごく怒るし拗ねるし、嘘をついたとき、」

それを口実に痛くて恥ずかしいお仕置きをする。

「うん」

久兄は優しくうなづき私の頭を撫でた。

「まあ確かに春だというのにコートは着ているが、それは彼の武器の特性にも由来するから気にしなくていい。笑わなくなったとは言うがただ社会に出て落ち着きが出てきただけだろう。怒るのも、君が危ないバイトをした時や嘘をついたときくらいだろう? 心配なんだよ、彼は。あまり責めないでやってくれ」
「うん……」

久兄の言葉は不思議だ。そう言われてみると、確かに私がわがままな気がしてくる。

「ねえ久兄」

せっかくなので、恐る恐る、ずっと気になっていたことを訊いてみた。

「久兄はやっぱり私がバイトするの、嫌?」

頭を撫でる久兄の手が一瞬だけ止まる。

「……賛成とは言えないがね。君の意思を尊重するよ。自分で納得した上で選んで欲しいからね」

まるで久兄に1人の人間として尊重された気がして、私はくすぐったく笑う。

「久兄ったら大人だなあ」
「柚子はいつまでも子どもみたいに甘えてくるな」
「違うもん、もう子どもじゃないもん」
「拗ねないでくれ。いつまでも可愛い柚子でいてくれるのは嬉しいものだよ」
「えへへ」

久兄の長身に擦り寄ると暖かく感じた。バスタオルがずれて、私は一瞬にして笑みを失った。

「久兄、この傷、どうしたの?」
「ああ。なんでもない」
「でもこの傷新しいよね」

久兄はさりげなくバスタオルを羽織り直すが、私はバスタオル越しに注視する。白い体についた傷は生々しく、私は顔を歪める。

「銃創だよね? ねえ、久兄、誰がこんなことを」
「柚子」

ようやく私は気付く。久兄の声が底冷えしたように冷たいことに。

「これは君が心配することじゃないよ」

久兄は笑っていた。
垂れ下がった眉尻と吊り上がった口の端。
でもその実、全身からこれ以上首を突っ込むなという威圧が放たれている。
この人は、こんな笑顔を貼り付けて突き放すような人だっただろうか?

「柚子」

久兄の声じゃない、不機嫌な声。振り返ると、寝起きでむすっとしたユキ兄がこちらを睨んでいた。

「ユキ兄」
「寒くて目が覚めた。アニキも疲れてるんだから、話しかけて困らせんな」
「……ごめん、なさい」

久兄もそれ以上何も言わない。私はユキ兄に急かされるまま布団に戻り、横になる。壁越しに久兄が自分の寝室に引き上げていく気配を感じた。しばらくして、小声でユキ兄に話しかけてみる。

「ユキ兄、起きてる?」
「ん」
「あのさ、久兄の傷のことなんだけど」

ユキ兄の絡みつく腕が強張った気がした。

「誰がやったの?」
「……おまえには教えねーよ。言ったら復讐しに行くだろ」

ユキ兄の答えに私は唇を噛む。犯人に報復したのならそう答えるはず。復讐しに行くことを想定するということは、犯人の名前は分かっているが、まだ犯人は生きているということ。

「あれ、どうしてあーなっちゃったの? 犯人に報復しに行かないの?」
「俺が守りきれなかったから、とでも言わせてーのか?」
「違う! 誰がいつ何のために襲ったのかとか、」
「それを知っておまえは何するつもりだよ?」

ユキ兄がぴしゃりと遮った。

「社外のろくに戦えない人間が首突っ込んでも何にもならねーし、むしろ俺たちの心配事が増えるだけだろ。ちょっとサラ金に出入りしてるからって、本筋の人間や殺し屋に勝てるとわけねーだろうが。大人しく家にいろ」
「……分かった」

ユキ兄の言葉が心を抉る。私の身を案じてわざと素っ気ない態度を取っているんだとは思いたいが、それでも傷つくものは傷つく。

「そんなに言うなら、ユキ兄に久兄のことは任せるよ。久兄にもユキ兄にも何か考えがあって行動してるんだよね?」

一瞬の間。ユキ兄は即答しない。

「もちろん、アニキの頭の中にはあるだろうよ」

それって、ユキ兄は計画を何も知らないってことなんじゃ。
更に質問しようとするが、ユキ兄は「寝ろ」と有無をも言わせない。しばらくすると、ユキ兄の寝息が首筋にかかる。本当に眠ってしまったらしい。
ただ私は、絡みつくユキ兄の腕の重さを除いても、目が冴えてとても寝付ける状態じゃなかった。

夜遅いし久兄が疲れているのは分かる。でも、前だったらあんな風に不機嫌そうに割って入ることもなく、3人で仲良く話してただろうし、苛々と私の手を掴むこともなかったはずだ。
久兄にしてもそうだ。家族が一番信頼できると言いつつ、あんな大きい傷のことを家族に隠して、笑顔で人を拒絶する。

私が悪いのかもしれない。でもやっぱり、少しずつ歯車が狂ってきている気がするのは、ただの思い過ごしだろうか。

その日、いつのまにか眠っていた私が目を覚ましたら、久兄もユキ兄もすでに出発していて、冷え切ったシーツとカーテン越しの薄暗い光だけが残されていた。

(20190302)

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