子犬のワルツ

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毎日18時前後、ユキ兄から電話がかかってくる。今日も例外ではない。

「もしもし、ユキ兄?」

その時間に合わせて私は事務所を出る。

「今? 帰り道だよ、もう直ぐ家に帰るから」

私の嘘は分かりやすいらしい。バイト先にいることはあまり言いたくないが、バイト先にいないという嘘もつきたくない。そんな私に吹き込んだ社長の入れ知恵は、悔しいが役に立っている。

「夕飯何食べたい? 兄さんの食べたいもの作るよ。シチュー? おっけー、愛情込めて作るからね」

車の音がして、私は道の脇に寄る。ちらりと背後に目をやった時、見覚えのある車に思わず「え」と声に出す。

「あ、ううん、なんでもないよ、ユキ兄。私も大好き。また後でね」

電話を切ると、運転席の窓がすっと開く。

「何でいるの? 吾代さん」
「集金のついでだよ。いいから乗れや。送ってってやる」
「集金、お昼に行ってきたばっかじゃん。今日は後は溜まってた経費精算を片付けるだけじゃないの?」
「おめー、他人には興味ないくせに仕事関連のとこだけは無駄に見てるのな」

舌打ちをすると、いいから乗れと不機嫌そうに言う。私は少し迷うが、いつまでも押し問答するわけにもいかない。それにシチューにするなら煮込む時間が欲しい。助手席に回ると、ドアを開けて乗り込む。

「吾代さん、近くまででいいよ」
「あ? 近くも目の前も変わんねーだろうが」
「良いから、近くのスーパーで降ろして」

そう言うと、吾代さんはそれ以上は何も言わなかった。けど、おまえの考えは分かってんだぞと言いたげに鼻を鳴らした。

「大学はどうだ?」

しばらくの沈黙の後、吾代さんがぶっきらぼうに話を振る。

「教授の話が面白い」
「つまんなそーな顔でよく言うよ」
「話としては面白いよ。生物の知能を電気信号で再現するとどうなるかって話」
「日本語で話せ」
「さいきんわだいの ブイアール とか あるじゃない。あれにちかいんだよね。没入感、あ、むずかしい ことばを つかってごめんね」
「小学生に向けて話すような話し方をすな!」
「人間のアウトプットもインプットも全て脳内で発生する電気信号の賜物なわけ。だから、理論だけで言ったら人間の脳もパソコンで再現可能だし、それを応用すれば電気信号だけで理想の状態や人間を現実として再現・知覚できるってこと」
「ふうん」

聞いてきた割に、興味のなさそうな反応。

「よく分かんねーけど、そんなまどろっこしいことをしなくても、生きてる人間相手なら思い通りにする方法なんていくらでもあるだろ」
「え?」
「簡単だよ。どんな人間でも極限状態に閉じ込めて暴力振るえば、いつかは言うこと聞くようになるぜ」

吾代さんが目を細める。

「単純ね」
「人間の体は単純なんだよ。精神なんて後からいくらでもついてくる。まァ、そこまでしなくても、日々の刷り込みや脅しである程度コントロールは効くかもな。その辺は俺より自分のアニキのほうが詳しいんじゃねーの?」
「どういうことよ」
「おまえ、最近全然楽しそうじゃねーぞ」

吾代さんが、まるで社長と同じようなことを言う。

「大学もちろっとしかいかねーし、仕事中もずっと終わりの時間を気にしてる。アニキの話題になっても前ほど食いつかねえし。それに、仕事も単純な経理や資料作成ばっかで、ハッキングを一切しなくなった」

最後の一言にどきりとする。まさか、表情だけじゃなくて、仕事内容のさりげない変化まで見られていたなんて。

「ぶっちゃけかまやしねーよ、ハッキングなんてしようがしまいが。元々おまけみてーなもんだしな。だけどな、バレバレなんだよ、あのもやし野郎やアニキどもと何かあったことくらい」

社長にした刑事云々の話は吾代さんには伝わっていないらしい。なのにここまで推察できるなんて、正直吾代さんを見くびってた。

「別に自分の好きなようにすりゃいい。けど、飯くらいは食え」
「……え?」

ぶっきらぼうにそう言い放つ吾代さんに、私は思わず聞き返す。

「なんで急にご飯の話?」
「おめー今日昼飯食ってねーだろ」
「食欲ないし」
「鏡見ろよ。おまえ、だいぶ痩せたぞ」

それはダイエットの成功を祝うような口ぶりではなかった。

「見てらんねーんだよ。役に立ちたいとか言うならまず食って動けるようになれや。飯食わねーから注意力も散漫になるんだよ」

むっとする私に手元のビニール袋を放って寄越す。広げると、おにぎりやパンや肉まんやら色々ごっちゃに入ってた。

「奢り?」
「たまにはな」
「私、梅干し嫌いなんだけど」
「いいから黙って食えや!」

吾代さんの顔は赤い。面倒見がいい割に照れ隠しが乱暴だ。ほんの少しだけ、頬が緩んだ。
結局食欲がないので、飲むヨーグルトに手を伸ばす。口の中に広がる甘みは、疲れた体にじんと染み渡った。

「あんたもよく私に構うよね」

変なやつ、と口の中で呟けば、「ほんと、なんでだろーな」としみじみ同意される。

「おめーなんてただの馬鹿で頑固で無愛想で口が悪くて突っ走ってばっかのじゃじゃ馬なのにな」
「しょうそつなのに わるぐちの ボキャブラリーだけは おおいね」
「おめーの煽りには負けるよ!」

吾代さんが乱暴にエンジンを蒸す。私はヨーグルトにまた口をつけた。甘い。
前によくつるんでいた、無愛想で口の悪い私に構ってばかりの友人を思い出す。彼も私みたいな無愛想な人間によくああも構ったものだ。でも、正直なことを言うと、おかげであの頃は、本当はとても楽しかった。勉強も仕事も練習も遊びにも全力投球で、兄さんや事務所の同僚や友人にも恵まれて。

匪口とはあの日以来会っていない。3月の頭に仕事場と大学の中間地点に引っ越したことや、思い出の携帯やパソコンを見たくなくて買い換えたことで、彼に私の消息を知る手段が断たれたからだ。
いや、本当は大学のキャンパスに遊びに来ようと思えばいくらでも遊びに来られる。学部は知ってるはずだから、会おうと思えばいくらでも来られるのだ。私だってちょっと調べれば、彼の居所くらいすぐつかめる。

彼にとってそれをするだけの価値が私にはなく、私にとってそれをする勇気がないってだけで。

自分で切り捨てたくせに、別れ際にあんな酷いことをしたくせに、寂しいと心が泣き叫ぶ。兄さん以外のものに心を許したくないと思っても、心は勝手に匪口を求める。

「……チッ」

吾代さんが舌打ちし、助手席と運転席後ろの窓を開ける。

「うるせー、ただの空気の入れ替えだよ、馬鹿」

何も言ってないのに、風に負けないよう大きな声でなじられる。私はため息をつくと外に顔を向けた。強い風が雫を吹き飛ばしていった。

(20190224)

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