子犬のワルツ

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「最近早ぇな」

事務所に着くと、社長がちらりとこちらを見てそう言った。

「やっぱ大学は高校に比べて自由なんだな」
「まあ最低限の授業だけ受けておけば問題ないし」
「お、丁度いい。じゃもっと事務所来いや。月末で事務仕事溜まってんだよ」
「てめぇが計算ミスしなきゃいい話だろーが」

口を挟んだ吾代さんの頭に社長がぐしゃぐしゃにした紙のボールを投げつける。吾代さんがキレて「んだよやんのか!」と喧嘩を売り始めた。

「でも柚子、確かに来てくれる回数か時間を増やしてくれると助かるよ。最近取引先が増えたから、正直手が回ってないんだ」
「うん……」

鷲尾さんの丁寧な依頼に私は言葉を濁しながらコートを脱ぐ。この事務所にはずっと世話になってきた。力になりたい気持ちはある。ただ、ユキ兄が良い顔をしない気がする。そのことに想いを馳せるだけで胃の底にズンと重いものが落ちていく気がした。

「まああんませっついてやんなよ」

社長がそれとなく助け舟を出してくれた。

「こいつは一応バイトなんだから、時間内でしっかりやってもらって、後の仕事は社員でなんとかするのが筋ってもんだろ。あんまり遅ぇとこいつの兄貴どもが騒ぎ出して面倒だしな」
「けっ、シスコン共が、気持ち悪ぃ」
「ついこないだも、弟の方が事務所に挨拶に来てたぜ」
「え、ユキ兄が?」

そんなの初耳だ。何で、と社長に目線をやると、彼はタバコに火をつけようと苦戦していた。

「あぁ。苛々した様子であんまり遅くまで働かせるなだの、妹に手を出すなだの脅してきやがった」
「けっ、誰が出すかよ」
「特に吾代、一番若いおまえのことを目の敵にしてたぜ」
「冗談じゃねえ、誰がこんなガキ!」
「安心しな。そう言うと思ったから、吾代の好みは年上のガチムチのおっさんだってちゃんと伝えといてやったぞ」
「安心できるか! ふざけんな!」

私がそっとため息をつくのを社長は見逃さなかった。

「心配すんな。おめーのアニキ共が挨拶に来たのなんて一度や二度じゃねえ」
「え、そうなの?」
「バイト始めて一週間後には来てたぜ」
「そんなに前から」

そんなに前からバレていたのは知らなかった。言い方を変えれば、兄さん達の手のひらの上でずっと滑稽に踊っていたということ。そう考えると、兄さん達には決して敵わないと感じる。

「あんな嫉妬に狂った青二才、別に何回来ようが屁でもねーよ。ガキはんなこと気にすんな。時間だけ決めたら後は仕事を終わらせることだけ集中しとけ」

社長はそう言ってくれたが、私はそんな簡単に割り切れない。ただ、気持ちは気持ち、仕事は仕事だ。
陰鬱な気持ちを振り払うと、いかにも普段通りですよとばかりに表情を殺して、ノートパソコンを開いた。
吾代さんが自席からチラチラ目線を送るのには気づかないふりをした。




鷲尾さんが集金に向かい、吾代さんが休憩を取る。飯行くか、と声をかけられるが食欲はない。いらない、と答えれば吾代さんは不機嫌そうに去っていった。
社長と2人で仕事を黙々と片付ける。時計の針の進む音がやたらと響き、それすらも苛だたしい。集中できていない証拠だ。

「おまえさぁ、最近あいつとはどうなの」

不意に社長が沈黙を破る。タバコの香り。私はキーボードを叩く手を止めない。

「あいつって?」
「あのメガネで調子のいいおまえの同級生だよ。よくつるんでハッキングしてた」
「別にどうも」
「別にどうもっておまえダチいねーんだからよ、使える奴は側に置いときゃいーじゃねーか」
「友達なんていらないし、あいつなんてどうでもいい」

計算ミス見つけ、眉根を寄せる。やり直しだ。該当データを消去し、データを上書きする。

「あいつ私のこと友だちとか好きとか言っておきながら、スカウトされたからってホイホイ刑事になったんだよ」
「だから?」
「だから、て」

社長にすら腹が立ってくる。

「私が裏に進む人間だってことを分かってて刑事になったんだよ。無理じゃん、一緒にいるなんて。警察と犯罪者がどうやって一緒になるっていうの」
「おまえ肝心なとこ分かってねーなあ」

社長が呆れたように紫煙を吐き出す。

「俺たちみたいなサラ金だって税金を納めるし、警察とヤクザも持ちつ持たれつの仲良しこよしだ。おまえ、そいつが刑事になったっつーんだったら、そのコネを盛大に利用してやりゃいーじゃねーか。その方がむしろそいつも喜んだんじゃねー?」
「はあ?」
「大体、おまえんとこのアニキの会社の社長だって警察OBのコネを存分に利用してデカくなったようなもんじゃねーか」

キーボードを叩く手が思わず止まる。

「……え? そうなの?」
「そうだよ。おまえ、本当必要最低限にしか人間に興味ねーのな」

だからおまえはダメなんだ、と社長は灰皿にタバコを押し付けた。

「言ったろ。他の奴に興味を持て。言葉や言動からどういう人間なのかを把握して、そいつに届く分かりやすい言葉を使ってそいつを動かせるようになれって。周りの人間なんてもっとうまくやってるぞ。自分の世界に篭ってたらおまえ、食われるぞ」
「そんな簡単には食われないよ」
「いや、もう食われかけてる」

社長が私をまっすぐ射抜く。その黒い双眸が警告するように光った。

「おまえ、最近笑わねーだろ」
「元々兄さん以外に笑わないよ」
「口数も減った」
「元々少ない」
「おまえが本当にアニキの人形なりペットなりになりたいなら俺は構わねーよ」

社長の言葉に一瞬固まり、ムッとする。

「人形でもペットでもない、妹だよ!」
「妹にしては束縛が異常だからおまえが今悩んでんじゃねーの」

自分が悩んでいることをあまりにも正確に当てられて、二の句が継げなくなる。

「なんで分かったって顔だな。見てりゃ分かるんだよ、おまえもおまえのアニキも。それは俺だけじゃねーってこたぁ、おまえにも分かってんだろ」

社長の視線が吾代さんのデスクに移動する。

「相手がおまえの同級生だろうがアニキだろうが、おまえが助けてって一言言えば喜んで飛びつくだろうよ」

私は吾代さんのいないデスクを見つめた。いちいちうるさいし乱暴だし仕事のスタイルは合わないけど、面倒見はいいし、嫌いじゃない。一番最初に私を集金に連れ出してくれた人だし、その後も現場での集金の仕方や動き方を教えてくれた。乱暴なくせに、私が傷つくと私よりも感情的になる、変な同僚。
面倒見のいい彼なら確かに、私が助けてと言ったら助けてくれるかもしれない。

「……別に助けてくれ、なんて思ってないけどね」

デスクから視線を外す瞬間、社長が呆れたように肩をすくめるのが目に入った。

「ッとにおまえは、かわいくねーやつだな」

言葉とは裏腹に、響きが優しい。でも、どうすればいいのか分からなくて、私は仕事に集中しているふりをした。

生き方は、簡単には変えられない。
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