子犬のワルツ

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「前々からお礼が言いたかったんだ。妹と仲良くやってくれているようだね。おかげで柚子も色んなやんちゃを楽しんでいるようだ」

笑顔を貼り付け和やかな口調で語りかけてくるが、言外に匂わせる威圧とユキの指圧で全然和やかじゃない。これは脅しだ。吾代の時を思い出す。負けるもんか。

「彼女は優秀だから」
「君の方こそ優秀だろう? この国での特例刑事なんて、ちょっとやそっとじゃなれやしない」

ちょっと待てよ、何で内々ですらまだ秘密にされている俺の人事について知ってるんだ?

「おや、驚いているようだね。まあ仕事柄、耳が早いんだ。特に可愛い妹にはなかなか構ってやれないから、その分周辺の状況はちゃんと把握するようにしているよ」

俺のことも情報収集された上で、手のひらで転がされていたというわけか。口の中に苦い味が広がる。

「本題に入ろうか。今後、彼女とは一切関わらないでくれ」
「何だって?」
「良いだろう? 本人も顔も見たくないと言っていたことだし」

ちくちくと人の痛みにつけ込む話し方をする男だ。

「我々にとっても柚子は可愛い妹でねぇ。身内びいきだが、私もユキも心配なんだよ。危ないことはしてほしくないし、嫌な人間には関わって欲しくない。大切に箱に入れて育ててやりたいんだ」
「そういうことは刑事になる俺よりもサラ金で働かせているチンピラに言った方がいいと思うけど」
「彼の上司には釘を刺しておいてある。長い長い釘をね。だから、両親を死に追いやった天才ハッカー君にも、刺しておかないと平等じゃあなくなるだろう?」
「……何だよ、それ」

どうやって嗅ぎつけたかわからないが、よりにもよって、一番触れられたくない過去を抉られる。怒気が伝わったのか、弟が肩に爪を突き立てた。

「両親にネグレクトされた人生を送り愛に飢えているのは分かるが、だからと言って愛情深い妹に寄生しないでほしい。あれは我々のものなんでね。女が欲しければ、いくらでも代わりは与えよう」

メンタルがガンガンに削られていく。急所を的確に狙った容赦のない口撃。あながち外れているわけでもない。でも、この1年間の間は、紛れもなく俺もあいつもお互いに心を開いていたことだけは、否定させたくない。

「俺たちは一緒に馬鹿やるのが純粋に楽しくて、一緒にいたんだ。絆や義務感に縛られていたあんたらとは違う」
「でももう出来なくなるだろう、特例刑事くん」

呼び名で自分の立場を思い知らされる。そうだ、俺は刑事になり、あいつは裏社会に進む。彼女を守るつもりで刑事になる道を選んだのに、皮肉にもそれがきっかけで仲違いをしてしまった。いや、でも。

「……そんなの関係ない。俺はあいつが好きだし、俺は俺のやり方のやり方であいつを守る覚悟がある」
「そうか」

アニキは笑顔を崩さず、ゆっくりうなづいた。

「でも柚子は結局のところ、我々が一番好きなんだ」

男は胸ポケットから質の良い黒の長財布を取り出すと、そこからくしゃくしゃになった紙を見せた。
小さい子の落書きで、3人の似顔絵と「いつまでもいっしょ およめさん」の文字が書いてある。

「あの子は我々が絡むと本当に馬鹿になる。まあそこもとても愛しいがね。馬鹿な子ほど可愛いとはよく言ったものだ。聞くところによると、進路希望も同じことを書いたそうじゃないか」

忘れもしない、中間試験後のとある一日。あいつと俺が両親がいないという共通点から少しだけ距離を縮めた日。確かあの日に進路希望の紙を彼女が落とし、拾う時に何気なく入ったところにも書いてあった。「兄さん達の隣」。あの時はギャグかよと思ったが、幼い頃からの願いの強さを見せつけられた気がして、言葉がそれ以上出なくなる。
口を閉ざした俺を見て、アニキが同情するよとでも言うように首を振る。

「君のことは気の毒に思う。だが、楽しい時間も愛情も得られないんだ。妹のことは諦めてくれ」

腕時計にちらりと目をやり、うんとうなづく。5分以内には終わったらしい。
ベンチから立ち上がり、公園の出口へと歩き出す。ユキが俺を突き飛ばすように肩から手を離すと、アニキに追従して歩き出す。ちらりと俺を見やった瞬間に薄く笑う。その笑みを俺は見たことがある。体育祭の時に柚子と喧嘩した時もあいつはあんな風に笑っていた。俺を脅し、噛み付いたところを柚子が庇い、その後の喧嘩も口を出すことなく静観し、自分を取り俺を切り捨てる一言を吐いた柚子と傷つく俺を見て、今みたいに瞳に仄暗い光を灯しながら笑っていた。

俺と友だちでいることを責めるような冷たい表情、柚子に触るなと囲い閉じ込める仕草。それと同時に、柚子が何度も呟いた、「兄さん達が私の全て」「兄さん以外に大切なものなんていらない」という言葉を思い出す。

全てが繋がった。

多分柚子は、あいつらにマインドコントロールされている。

「満足かよ」

俺は奴の背中に向けて吐き捨てる。2人が振り向く。俺は奴を……特にユキをにらんだ。

「血の繋がった妹を縛り付けて、自分たちの箱に閉じ込めて、愛でる。そんな一生で満足かよ?」

ユキの目はどこまでも暗く、光が見えなかった。長いコートを不穏に揺らめかせたが。

「ユキ。時間だ」

アニキに呼び止められた。アニキはもうとどめを刺した獲物には興味がないらしい。
ユキは歩き出したアニキをちらりと見た後、ポケットから何かを取り出し俺に見えるように指でつまんで見せた。

「あ、」

思わず声が出る。あれは、彼女へのプレゼントのリボンだ。
パッと手を離し、ひらりとリボンが落ちていく。地面につくかつかないかというタイミングで、ユキがぐしゃりと踏みつけた。

ぐりぐりと、ユキは俺から一切目を離さないまま、地面に靴を擦り付ける。

「楽しいよ。赤の他人にゃ理解できねーだろうが、これが俺たちの幸せなんだ」

靴をどかすと、泥にまみれてぐしゃぐしゃになったリボンが露わになる。
俺はカッとなるが、ユキの歪んだ笑みが目に入りゾッとして言葉を無くす。次はおまえの番だと言われた気がして、背筋に冷たいものが走る。

「ユキ」

遠くでアニキが呼びかける。今度はやや強めの口調だ。ユキは逡巡した後、くるりと背を向ける。

「助かったな」

そんな一言だけ残して、2人は去っていった。

俺はしばらく放心していたが、やがて風の冷たさに我にかえると、プレゼントに用意したリボンを拾い上げる。
あの瞬間に踏みにじられたのは、このリボンだけじゃない。彼女への愛情であり、彼女からの信頼であり、俺たちに結ばれた繋がりであり、未来だった。

「くそっ!」

地面を殴りつけるが、今更何もかもが遅い。
柚子の兄さん達。ユキは異様な執着をしていると思ったが、もう1人の方も大分頭がキレる上にユキよりもずっと腹黒い。
家に帰った後もきっと何かを吹き込むだろうし、柚子は頑なに俺を拒むだろう。大学に入学した後もこれまでのように、柚子の努力やもがきも全て知った上で檻の中で泳がせ、最終的には自分たちの元に帰ってくるよう仕向ける。そうやって自分たちに依存させて、可愛い忠実な愛犬を育て上げる。
アニキの諦めろの言葉、ユキの威嚇を思い出す。俺より頭脳も人脈もパワーも上だ。敵うはずがない。でも。

「諦められるかよ」

汚されたリボンを拾い上げる。顔は上げない。
今の俺の情けない顔は、春の寒空にすら見せたくなくて、俺はひたすら震える手でリボンを握りしめていた。
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