子犬のワルツ

□種をまく人
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柚子が仕事を始めて2ヶ月。事務所の雰囲気は大分変わった。

「吾代さん。一丁目の集金行くなら、この資料持ってったらいいよ」
「あ?」
「過去の履歴を見ると、合弁会社友愛の上納金がここ3ヶ月遅れたり少なかったりしてるけど、資金繰りがうまくいってないならここのリース会社と契約を切って……」

今までウチの事務所は、荒い計算と勘と力で仕事を回していたが、柚子が入ったことで緻密な計算と情報という力が加わり、集金の選択肢が広がった。デスクワークもいつのまにか片付けるから、他の社員からの評判も悪くない。現場ではハラハラさせられるところも多いが、まァ死にゃしないだろう。
無愛想なのは相変わらずだが、吾代が面倒を見ている甲斐あってか、口数も増えてきた。今だって2人で和気藹々と……

「なるほどな……ってわかるか! こんな小せー数字!」
「わかんなくてサラ金勤めてるの? 大丈夫?」
「おまえの資料が分かりにくいんだよ!」
「専門用語が分からないの間違いじゃ?」
「うっせー! こんなことしなくても一発殴りゃどーにかなるんだよ!」

……和気藹々と盛り上がっている。
こういう時は大体は吾代がキレて中指突き立ててドアを乱暴に閉めて出てって終わるぞ。ほらな。ほんと分かりやすい。
対する柚子もなんだあいつという顔で眉根を潜めて終わる。通じるものがないわけじゃないんだろうが、能力のベクトルが違う分反発も多いらしい。

「あれでいいの、社長?」
「いーんだよ、柚子。あいつの本領は現場で暴れるとこだし」
「暴れるのは構わないけど、根拠が勘や相手の態度にしかないから、たまに間違えて大損害出してるじゃない」
「そういう意味じゃ確かにおまえの資料は助かるが、ちと吾代には扱いづれーんだよ。見てみ。計算式も判例も難しい言葉もいらねー、あいつにはただ一言こいつはクロだ、罪状はこれ、でいんだよ。残りの理論はあいつが暴力でぶっ飛ばす」

柚子がふうんと生返事をする。

「納得いかねーか?」
「別に。ただ、兄さんたちに出す資料だったら、そんな雑な資料作りたくないなと思っただけ」

まあ別にいいけど、と呟く。きっと本当に別にいいんだろう。コイツは自分のアニキ達のこと以外に極端に興味が薄い。会計知識もパソコンの知識も裏社会のことだって全てアニキの役に立つと思ったから異様なスピードで吸収しただけ。無意識だろうが、俺たちのことも手段でしかない。

あぁ、でもそいつァ癪だな。

「柚子、おまえ、自分のアニキに英語で資料作るか?」
「え、なに、突然。作るわけないじゃん」
「英語の資料を作って、アニキが読めなかったら馬鹿にするか?」
「するわけない!」
「アニキに出すなら読みづらい資料と必要のない完璧な資料、どっちがいい?」

柚子の動きが一瞬止まる。考え込むように目を細めた後、唇を尖らせた。

「吾代さんに合わせろってこと?」
「その練習をしたほうがいいってことだ。おまえは人間に興味がなさすぎる。その人間を見て、言葉や言動からどういう人間なのかを把握して、そいつに届く分かりやすい言葉を使ってそいつを動かせるようになったほうがいい」

たとえばコイツに効く言葉は、意外にも簡単だ。

「おまえの兄さんは英語が話せるか?」
「もちろん!」
「企業の財務諸表はどの程度読める?」
「完璧に読めるはず」
「パソコンは分かるか?」
「知らないけど出来るに違いないし出来なかったら私がやるからオッケー」
「テロリストに襲われた場合どの程度なら対応できる?」
「その前にユキ兄と私でテロリストを爆破するから」
「おまえ、兄さんが絡むと途端に根拠とかどうでもよくなるのな」
「兄弟の絆!」
「馬鹿が」

書類で柚子の頭をはたく。

「肝心なもん何も見えてねーじゃねーかよ」
「ていうか、私兄さんとまだ一緒に働いたことないし」
「だから働き始めた時に短時間でアニキの要望が察せるように今から訓練しとくんだろ」

柚子がきょとんとする。

「おまえの資料はそりゃよくできてるさ。でも、誰にでも好みや癖がある。それを理解して穴をカバーしたり納得のいく資料を作れるようになってみろ。おまえのアニキたち、すげーおまえを重宝するぞ」

見えない尻尾がピンと立つようだ。

「だから、相手が言ってなくても自分なりに相手を見て、考えて、ちょっと先回りして配慮してやる練習をあいつら相手にしてみろ。絶対に役に立つから」

柚子がちらっと時計を見やり、少し考え込むと、机に出してた書類を軽く整理をし、ペンを片手に読め直し始めた。
コイツを動かす言葉は簡単だ。「兄さんの」「役に立つ」。シンプルだが、あいつの行動を変えるには十分だ。どこまであの馬鹿どもに寄せられるかは見てのお楽しみだが。

「大人気なくて悪いな」

兄さんのためと思い人の観察をすれば、それは他人への興味に変わっていく。興味はやがて好意に変わるはずだ。
悪いが、手段なんて関係で終わってやる気はさらさらない。

事務所の空気は大分変わった。今度はおまえ自身も変わってみろよ、柚子。




「吾代さん、資料作ったんだけど」
「おう、見せてみろ」
「どう?」
「……一つ聞くが、なんで全部ひらがなとカタカナなんだ? それとこの注釈」
「あんたに理解しやすいかなと思って」
「舐めてんのかてめーは!」

……対人関係・人間観察能力がマイナススタートだから、いつ人並みに育つかはさすがの俺もわかんねーわ。

(20190216)

灰色の寄り道
 

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