子犬のワルツ

□放課後の変遷
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「申し訳ございませんでしたー!」

動き出すタクシーに向けて山口らが頭を下げる。俺は「教育」の結果に満足しながら「もらってきた」山口の財布を覗き込む。上納分を除くとほとんど残らない。

「チッ、タクシー代にしかなんねーなこりゃ」

ぼやいて見せるが、隣に座る新入りは何も言わずに俯いている。

「おい」

新入りが僅かにこっちを見る。眼差しは心なしか暗い。

「ツラ貸せや」

つんと顔を背ける。いつも以上に駄々っ子みてーだ。
山口に待って来させたペットボトルの水を手元に放る。キャッチした後新入りは不審げにこっちを見たが、喉が渇いていたのか蓋を緩めると一気にあおった。
その瞬間無防備になった腹に手を伸ばし、服をめくった。

「……っ!」
「あーあ、ひでーなこりゃ。痣になってる」
「っにすんのよ!」

新入りが俺を突き飛ばそうと突き出した左手を逆に捕まえる。いつもより動きが鈍い。

「飲んでもいいけど、まずは冷やせ。長引くぞ」

その言葉に新入りが瞳を揺らした。

「顔、ひどい?」
「容赦なく殴られたからな」
「……どうしよう」

今更女の子ぶるのかと思ったが、新入りはペットボトルを頬に当てるとブツブツ「兄さんが心配する」と呟き始めた。
腹の痣の方がずっと痛いだろうに。

「おまえ、一体なんなんだよ」

そんな言葉がつい口から飛び出る。

「怪我したくねーなら最初からこんなとこ来んなよ。パワーも修羅場の数もちげえんだからまともにやりあって勝てるわけないだろ。2.3発腹に食らってわかったろーが。なのに何で止めるんだって顔しやがって」
「じゃああんたは勝てないと思ったらすぐ諦めるの?」

新入りが俺を睨む。俺がちょっと怯んだのは、新入りの目が若干潤み始めていたからだ。

「私は、勝てないと分かったら諦められるようなそんなことできない。久兄は、諦めないで雪崩で潰れた家から私たちを助けてくれたし、ユキ兄だって私のために何度も喧嘩して怪我してきた。兄さんたちのためなら怪我をしようがさせようがなんだってやるって決めてる」

声の端が震えている。新入りは完全にそっぽを向くと、「次も行くから」と呟いた。肩は小さく震え、窓ガラスに映る顔に雫が溢れるのが見えた気がして、俺は視線を反対側の窓に移した。しゃくり声は聞こえなかった。
こいつと俺は真逆の人間だと思う。無愛想で何考えてるかわかんねーしインドアだし準備型だ。愛想がいいとは言わないがどちらかという感情直下型で行動派でその場で臨機応変に対応する俺とはスタイルが全然違う。
でも、自分が決めたことには一直線に突き進むところは多分俺と同じだ。そのためにはどこまでも非情に攻撃できるところも。俺もガキの頃は、喧嘩に負けた時、コイツみたいに……
社長がコイツを「覚悟を持った目をしている」と言った言葉の意味が少し分かった気がした。

「大人しくすっこんでりゃ、楽な生き方できんのにな」
「そんなのやだ」

最早口調は駄々っ子のようだ。

「第一今回はあんたが表に出ろって言ったんじゃない」
「表の仕事をチラッと見せたらビビっておまえも引っ込むかと思ったんだよ! でも引っ込まねえ! おまえほんと馬鹿だな! フツー女子高生があんな風に男に容赦なく股間を蹴るか? 目ん玉突き刺すか?」
「それくらいしないと勝てないじゃない」
「馬鹿か! 掴まれたら今回みたいに終わりだよ。パワーがねーんだから、次やる時は穏便に済ませられるなら頭使って言いくるめろや。喧嘩するにも回りこんで隙を見つけるようにしろ」

新入りが顔を上げてこっちを見やる。

「次も、いーの?」
「ダメっつってもついてくるだろ、おまえ」

ため息をついてみせる。

「資料係と荷物持ちとしてな。ダメっつったらいつか爆発して勝手についてきそうだしおまえ」

だったら手元に置いておいたほうがいい。

「まあ、最低限は動けっし、弱いなりに急所を容赦なく狙えるのは、馬鹿は馬鹿だが、悪くねー……って、社長なら言うかもな」

新入りの纏う空気が、はじめて少しだけ緩んだ気がした。

「あと、勝手に集金行くなよ。俺か社長がいる時だけな」
「なんでよ」
「顔腫らしといてんなこと言うか? 危なっかしくて見てらんねーんだよ」

腫れた頬、血の滲んだ口の端。どうしても赤い瞳に目がいってしまう。俺は口を開き、

「……傷、痛むか?」

と言い換えた。
新入りが俺をまっすぐ見つめた。その視線にはいつもよりずっと人間らしく感じた。

「痛くない」

結局そっぽを向いてそう吐き捨てやがったけど。

「嘘つきが」

仕返しに俺は頭をぐしゃぐしゃと撫でた。嫌そうに眉根を寄せるのが窓ガラス越しに映ったが、手は振り払われなかった。




その日から、あいつと俺は少しだけ変わった。会社から追い出そうとしなくなったし、大丈夫だと思う客のところには連れて行ってやることになった。怪我? 俺がついててさせると思うか?

「おい馬鹿! さっきなんでナイフに直接飛び込みやがった!? 俺が先回りして相手をのしてやんなかったら怪我するとこだったぞ!」
「大丈夫。今日は防刃チョッキ着てる」
「着てる、じゃねーよ! 顔傷つけられたらどーすんだよ! 首掻っ切られたらどーすんだ?!」
「その前にやる」
「スカートの中からナイフ取り出すな……って、長っ!」

相変わらず無鉄砲で、いつもの倍は疲れるけどな。

「おまえら、息ぴったりじゃねーか。いつのまにそんなに仲良くなったんだ?」

社長がからかうように言うが、心外だ。

「別に仲良くないし」「別に仲良くねーし!」
「言うことまでぴったりじゃねーか」
「ざけんな、誰がこんなじゃじゃ馬と!」
「私を乗りこなせるのは兄さん達だけだから」
「そこ誇るとこか?!」

まあ、あとはよく喋るようになったと思う。

「あ、まって、ユキ兄から電話だ。もしもしユキ兄?」

俺はまだ始まったとため息をつき、社長はニヤニヤ笑う。

「うん! いま? うん……トモダチノイエ。と、友達の名前? え、えとね、し、シノブチャン。え、ホントダヨ〜。それよりユキ兄はいつ帰ってくんの?」

夕方と夜に兄貴共から電話が来るらしい。こいつの嘘は、ほんとにわかりやすい。

「うん! そっか分かった! 何食べたい? おっけー、カレー用意してまってるね! うんユキ兄、私も好きよ」

恋人かよと突っ込みたくなる長電話を切ったあと、すぐにいつもの仏頂面に戻る。

「社長、早く事務所帰ろうよ。兄さん達のご飯作りたいから仕事をさっさと片付けないと」
「おまえ、その変わり身の速さもなんとかならねーのか?」
「兄さん以外に使う愛想なんてないよ」
「そーいうトコ直せっつってんだよ。集金のたびにしなくていい苦労しやがって」
「でもあんたの言う通りにお色気作戦しても失敗するじゃん」
「おめーの愛想がゼロだからだよ!」

叫び疲れてため息をつく。このガキも、新入りという言葉が似合わないくらいデスクワークはバリバリこなすが、それ以外での苦労が多い。構わずにいられない、というより目を離すとすぐ一直線に突き進んじまう。じゃじゃ馬という言葉がさっき自然に出たが、思ったよりもぴったりな言葉だ。

「吾代さん、いつまでも喚いてないで、早く帰ろうよ」
「っせーじゃじゃ馬!」

俺とあいつは少しだけ変わった。
こんな変化もそんなに悪くない。

(20190207)

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