子犬のワルツ

□放課後の変遷
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「それじゃ、俺は上の会議に参加してくるから。良い子にしてろよ吾代」
「馬鹿にすんなよ社長!」
「あ、今月分の帳簿は置いといて良いぞ。後で柚子にやらせるから。おまえミスるだろ」
「あ? 3回か4回くらいだろーがよ!」
「毎月のペースだけどな」

クックと社長が笑う。新入りのガキはキーボードを叩く手を止めようとすらしない。

「まァそうカッカすんな。何事も適材適所だ」
「あいつのどこが適材適所だよ!」
「俺は悪くねーと思うけどなァ」

社長は口の端を吊り上げる。

「仕事は捌くし、最低限動けるし、何より覚悟を持った目をしてる」
「あ?」
「あれァ出てけと言ったって聞かねーだろうよ。逆に下手に逃がして競合やタチの悪いトコに引っかかるよりはいんじゃねー?」

そう言うと、じゃーなと言って事務所を出て行った。事務所には俺とガキしかいない。俺はイライラと舌打ちをした。

社長はなんだかんだ、新入りのことを気に入っている。最初は試すように色々な仕事を振っていたが、やがて力量を把握したのか、やっとけの一言で仕事を大きく振るようになっている。周りの同僚も大分慣れてきている。新入りが無愛想ゆえに打ち解けるとまではいかないが、仕事に関しては安心して任せているようだ。
新入りはというと、無駄口を叩かず黙々と作業している。話しかけると不機嫌そうに顔を歪めるところは本当に可愛くない。ただ意外なのは、たまに観察されていると感じる時がある。裏の人間に興味があるのか、仕事をどうこなせば良いか考えてるのかは知らねーが。

「ねえ」

新入りが顔も上げずに声をかける。

「書類置いてさっさと集金行ったら?」
「ね え じゃねー、吾 代 さ ん だ」
「顔近いきもい。帳簿なら見とくから」
「あん、舐めんじゃねーぞ。俺だって数字の見方くらい分からァ」
「そんなんもわからなかったらここにいる意味。そうじゃなくて適材適所のことを踏まえた人員配置のために言ってんの」
「てめ! 黙っていれば! 大体俺は年上だし先輩だぞ! 敬語を使え!」
「同僚だし使う必要ある?」
「っくしょ〜〜」

頭を叩こうとした瞬間床を蹴られ、キャスター付きの椅子とともにスーッと避けられる。そう、いつもこれだ。こいつは基本的に油断をしない。欠伸も余所見もしないし、物の位置も把握した上で動いている。全て予想の範囲内ってツラをしてやがる。

ふと考えが過った。
想定外な場所で想定内なことをしたら、こいつの余裕を崩せるんじゃないか?

「なァおい新入り、表でろよ」
「は?」
「今日は特別授業だ。集金行くぞ」
「……いいの?」

意外にも新入りは嫌そうな顔一つ見せずに目をぱちりとさせた。

「おまえも適材適所だのなんのって、いつまでも中にいたら実践経験とやらを詰めねーだろうが」
「……だよね」

あれ? なんかこいつノリノリじゃね?
新入りがさっさとコートに袖を通す。

「行くんでしょ?」
「あ、ああ。ついてこいよ」

まァいい。ちょっとばかし仕事ができるだけの世間知らずのクソガキに、世の中の辛さを教えこんでやるぜ、へっへっへ――

「あんたって意外と良い人じゃん」

事務所の鍵を閉めながら、新入りがぼそりと言う。その横顔にはいつもとは違う棘のない表情だ。
なんか調子が狂うな。
誤魔化すかのように出た舌打ちは、迫力が足りなかった。




「あいつだ、あいつ」

繁華街で男が2人と女が1人、千鳥足で歩いている。ガラの悪い服装、周囲の迷惑を考えない大声。チンピラ風情が調子に乗りやがって。だがこの場合は丁度いい駒だ。
あいつに新入りをシメさせたあと、俺があいつをシメる。ちょっと絡ませたあと俺がすぐ登場すれば問題ない。あいつもさすがに初対面の女を5秒で殴るほど短気じゃねーだろうし。

「あいつ、山口孝之って言うんだけどな、最近ウチのシマに入ったは良いが女癖は悪いわクラブは荒らすわ上納金はいつも遅れるわで問題だらけなんだわ。一発しめて、今月分の金をせびってこい」
「あの人、こないだ踊舞伎町のカラオケで問題起こして書類送検になってなかった?」

眉根を寄せる新入り。

「ビビってんのかよ? 大丈夫、ゴタゴタ言ってきたら2.3発殴ればいいだけの話だ。それくらいやれねーと、この業界はキツイぜ」

簡単そうに言って挑発してみせれば、新入りは馬鹿にしないで、と口を尖らせた。

「やれって言うならやるわよ」

3人ね、と言うとコートの前のボタンをゆっくり閉める。その間も男たちからは目を離さない。まさかやるのか? 確かに反射神経は悪くはないが、俺はこいつが誰かを殴っているところは見たことない。運動神経が良いのと、自分より強い人間に立ち向かうのは違う。ましてやあんなにガラの悪い奴ら、まともな人間なら関わりたくないはずだ。
そんな俺をよそに、新入りはゆっくり近づき、「すみません」と声をかけた。

「あ?」
「早乙女金融の者だけど、最近あんたがうちのシマで暴れるわ女遊びは激しいわ、上納金も払わないわで問題だから上がシメてこいって。とりあえず今月分払ってもらえる?」
「んだと?」
「ホステスさんと遊べるくらいだから払えるよね? 現金で」
「このメスガキ……てめぇをシメてやろうか?」
「無駄口叩く暇あるならさっさとして」
「ふざけてんのか、あァん?!」
「この方を誰だと思ってやがる!」

あーあ、いつも通り言っちまったなあ。こーいうのは後輩と女の前でメンツを潰されるのが大嫌いなんだ。もうちょい下手に出るなり、隔離してから女を使って引き出せば良かったのに、そんな器用なことには頭が働かねーらしい。ほんとデスクワーク特化型の典型とでも言うか。
山口の部下が新入りの胸ぐらを掴んだ。そろそろ出てってやるか、と一歩踏み出した時。

バチバチ、という音と共に男が腹を抱えて蹲った。
呆然とした女を軽く突き飛ばすと、山口の股間めがけて容赦なく蹴りを入れた。部下と女がやられてる間に咄嗟に身構えたからか、蹴りは腹をかする程度にとどまる。

「テメェ!」

新入りの手にはいつのまにかスタンガンがある。あいつの部下を落としたのはそれだな。それにしても、二人をいなしたスピード、股間への蹴り、人を傷つけることに一切躊躇がない。裏の経験が欲しいからうちに来たとは言っていたから対面は大したことないんだと思っていたが、これはひょっとすると。もう少しだけ見守ることにする。

「ぶっ殺すぞ!」

山口が完全に戦闘モードに入る。馬鹿、距離取れよ、と思うが新入りも姿勢を変えない。胸ぐらを捕まれ、腹に膝蹴りを2発食らう。新入りの身体がガクッと崩れる。その表情は俺からは見えない。流石にそろそろ止めさせねーと。
山口が更に右手を振りかぶり、頬を拳で殴った。その時、新入りが躊躇せずに目元を狙って指を突き立てた。えぐい攻撃に見ている俺もうっとなる。かすった程度だったみたいだが、体制を整えるのには十分。新入りは一旦距離を取ると、姿勢を低くして臨戦態勢を取った。おい、実力の差がはっきりしているのに、まだやるんか。

「それくらいにしとけや」

新入りの襟首を掴んで引き戻す。
山口がガンつけてきた。

「おい、なんだテメェ」
「こいつの上司だ。ウチの社員が世話になったな」

ニヤァと笑い右手を振りかぶり、男が避けるより早く圧倒的なパワーで殴りつけた。
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