子犬のワルツ

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寒さから逃れる様にコンビニに入ったら、ラッピングされた箱が羅列されているのが目に入った。その脇にはチョコレートの写真が飾られ、2月14日をひたすらアピールしている。まだ一月の中旬なのに、もうバレンタインについて騒ぎ立てているのか。チョコレート業界の貪欲さに口の端が吊り上がる。そういえば、クリスマスの飾り付けも、ハロウィンのすぐ後にはあったような気がする。

「日本人って、本当にイベントが好きね」
「おまえも日本人だろ」

飽きれて言ってみせると、隣の匪口がすかさずに突っ込んだ。寒さから一息ついたのか、強張っていた筋肉が緩んでいく。

「ま、俺は嫌いじゃないけどね。日本人の、とりあえずイベントには首を突っ込んどくかーっていう軽くて都合のいい感じ。楽しいじゃん」
「何にも楽しくないし、どうでもいい」
「そういう柚子も、大好きな兄さん達にあげる時はさすがにドキドキするだろ?」

   ニヤニヤと笑う匪口の余裕を崩してやりたくて、私はぶっきらぼうに「しない」と答えた。

「そもそも兄さん達にあげないしね」
「ええええええ?!」
「うるさい、匪口」
「おまえ、大大大好きな兄さん達にもあげないの?   まじで?」
「ちょっとやめてよ」

    顔をしかめてみせる。

「私はそんな厭らしい大手製菓会社の販売戦略にホイホイ乗るような安い女じゃないわ。それに兄さん達はチョコそんなに好きじゃないし、あげてもしょうがないでしょ」
「んー、まあ、そういう見方もあるかもしれないけどさー」

    匪口は、大袈裟に溜息をついてみせると、奥へ向かいながら苦笑する。

「やっぱおまえ、大事な事が分かってないなー」
「はあ?」

   溜息でも付きそうな口調にムカっとし、匪口の後を追いかける。

「ちょっと、どういうつもり?   喧嘩を売ってるなら買うわよ」
「日本てさ、男が女の子に告白するのが主流だろ」

    話し始めた匪口の声は意外にも真面目で、私は用意していた罵声を飲み込む。

「最近は肉食系女子も増えてるけどさ、それでもまだ女の子から男に告白って、ちょっとって空気が残ってるじゃん。でも、バレンタインは、そんな女の子たちが、声を大にしてあなたが好きですって言う事ができる日なんだ。男からとってみたら、自分の気になる女の子と気持ちが通じ合えるかもしれない日だし、たとえ気になってる女の子からじゃなくても、チョコをもらえるってだけでも嬉しい」

   惣菜を物色しているとは思えない優しい表情で匪口は続ける。

「それに、そんなに難しく考えなくてもいいんだ。大事な人や家族、日頃仲良く思ってる奴にあげるだけでもいいもんだぜ。試しに想像してみろよ。おまえの兄さん達が嬉しそうにしているのをさ」

   ふうん、と相槌を打ち、興味のなさそうな表情を浮かべてみせる。それから、ちらりと視線を横に流し、言われたとおり、想像してみた。
    こっそり用意していたチョコレートを、兄さんたちにサプライズする。ユキ兄は驚くだろうな。久兄はどうだろう、驚いてもほんの一瞬だろうから、見逃さないようにしなくちゃ。ユキ兄がバリバリと包装紙を破って、大事に一口一口を噛み締めてくれる。彼らなら、何の変哲もない既製品でも、美味しいと言ってくれるだろう。私はそれに照れて、それを隠すように何か可愛くないことを言うかもしれない。そうやって穏やかなやり取りを、チョコレートを通して紡いでいく。うん。悪くない。
   そして、匪口は。

「……え」

   思わず声に出してしまう。匪口がこちらを見る。私は何でもない、と突っぱねた。妙に落ち着かない鼓動を隠すように、背を向ける。
    何で私は、匪口にチョコレートをあげる想像なんか、したんだろう。私の大切な人なんて、久兄とユキ兄の二人しかいないし、それ以外には必要ない、はずなのに。
    
    だめだ、なんか最近調子が悪い。感情がバグってる。兄さん達以外には目を向けないって決めたばかりなのに、どうして気を抜いたら匪口にチョコをあげる想像をしちゃうんだろ。
    そんなの、あり得ない。だって、匪口はこんなに鬱陶しくて、付きまとって、生意気で、仮に感謝の一つでも籠めてチョコレートなんかあげたら、調子に乗って……いや、案外本当にびっくりするかもしれないな。信じられない、と言わんばかりの表情を浮かべた後、照れたように小さく笑って、何度か「本当に貰っていいの?」と訊くかもしれない。面倒くさそうにいいって言ってるでしょ、と言ってやると、ようやく素直に受け取って、さんきゅ、と言うんだ。そして……。

「どう?」

   不意に声がかけられ、びくりと体が反応する。

「な、なにが」

   不自然に上ずってしまった自分の声に腹が立つ。何がって、と匪口は眉を吊り上げる。

「バレンタインだよ。企業のチョコレート販売戦略も、捨てたもんじゃないだろ?」
「あ、ああ、チョコレートね」

    ちょっと、しっかりしなさい。何に対して動揺してるのよ。私は咳払いをする。

「まあ、想像はしてみたわ。確かに、私の兄さん達は素直で優しい人達だから、人から貰った好意を素直に喜んでくれるし、それを見たら私も嬉しいだろうってね」

    兄さん達の笑顔が浮かぶ。そして、匪口の照れたような表情も。ああもう、違う、違うったら。匪口なんかどうでもいい。大切なのは兄さん達だけだってば。

「まあ、兄さん達に感謝を示すことが出来るなら、悪くないかもね」

    それだけ言うと、私はさっさと匪口の元を離れ、レジへ向かった。そして、何も買うものを持っていない事に気付き、舌打ちしたい気分になった。焦燥感の裏側にある、妙な胸の昂ぶりの正体が理解出来ない。

「じゃ、バレンタインの素晴らしさが柚子にも分かったところで、俺へのチョコレート選びを」
「あげるか」

    背後からやってきた匪口の言葉をぴしゃりと遮る。

「ええ、くれないの?   そりゃないよ、柚子。俺たち友達だろー?」
「うっさい、調子のんな」

    私に必要なのは、久兄とユキ兄だけだ。物心ついた頃からずっと一緒にいてくれた、私の兄弟。彼らは何があっても味方でいてくれるし、決して裏切らない。私の全てと言っても過言じゃない。

   私の特別は彼らだけだし、彼らだけで十分だ。もし、匪口にもチョコレートを渡したら、きっと、その特別が薄れてしまう。薄れてしまう事が、怖い。

「兄さん達だけが特別なんだよ」

   自分に言い聞かせるように、反芻する。けれど、とうとうその日一日は、脳裏に匪口の照れ顔がこびりついて離れることはなかった。

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