子犬のワルツ

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「お邪魔しまーす。わースタイリッシュっつーか、綺麗にしてんねー」

きっかり30分後に来た匪口は、部屋に上がると感嘆の声をあげた。

「兄さん達のおうちだもん、当たり前じゃない」
「ふうん。土曜だけど、おまえの兄さん達はいないの?」

急用が入ったと悔しそうなユキ兄を思い出す。

「仕事」
「ふーん。なんだ。見せつけてやろうと思ったのに」
「何を?」
「まーいいや。これお土産」

変なやつ、自分の誕生日なのに。私は箱を受け取る。有名な洋菓子店のクッキーだ。ユキ兄は好きだろうか。

「どうも。あんま歩き回らないでよ」

テーブルに置くとキッチンに戻る。

「もうちょっとでできるから、食べたらすぐ帰ってね」
「えー。せっかくパソコン持って来たのに」
「あんた、私がそういうのに何でもかんでも食いつくと思ったら大間違いだから」

毅然とした態度を取ってみせても、匪口の笑みは崩れない。

「でも、今日俺とっておきを用意してるんだよね」
「何」
「知りたい? 教えなーい」
「あんた、誕生日だからって調子乗るんじゃないわよ」

殴ってやりたいが距離もあり面倒だ。「そこ座ってて」と調理を再開するが、匪口の視線は感じたままだ。殺気じゃないが、やりづらい。仕上げのに卵でくるりと巻きそれぞれの皿に乗せる。テーブルに2人分のオムライスを置くと、ダイニングテーブルに肘をついてニヤニヤする匪口が飽きずにこちらを見ていた。

「何よ」
「俺のために作ってくれるなんて嬉しくってさあ」
「あっそ。はい、ケチャップ」
「えーハートとか描いてよ」
「死んでもやだ」
「あーあのマウス高かったな〜。最新機種だし人気のメーカーだしなあ〜」
「あんたが勝手に押し付けたんでしょうが!」

ああ、うざい、埒があかない。黙らせるために雑にハートrっしきものを描いてやる。

「結局描いてくれるのな」
「一生に一度、死ぬ前くらいは優しくしてあげようと思って」
「え、俺死ぬの? 死ぬならせめて、柚子のあーんをしてもらってから死にたいなあ」
「え、何」
「悪かったからそのスプーンの持ち方やめて」

目ん玉抉り出してやろうというのが伝わったらしい。私は少し溜飲を下げると、スプーンを匪口に寄越した。彼は礼儀正しくいただきますと告げると、口の中に放り込み、咀嚼した。

「うーん、うまい!」
「そう」
「いやまじでうまいよこれ!」
「当たり前でしょ。兄さん達の口に合うように、一生懸命頑張ったんだもん」

兄さんの努力の成果を褒められて悪い気はしない。ふふんと笑うと、匪口が「はいはい」と苦笑した。

「何よ」
「いや、おまえ変わったよな」
「何が」
「前だったら絶対俺のために料理もしなかったと思うし、笑うこともなかったと思うんだよね」
「今だって嫌々だし笑ったりしないけど」
「笑ってたよ」

す、と匪口の指が伸びて来て、私の口の端に触れた。心臓がなぜかとくんと揺れて、反応が遅れる。

「ま、お前には自分の尻尾がどうなってるのかなんて見えちゃいないと思うけど」
「……適当なこと言わないでよ」

体を引いて顔を背けるが、匪口の視線は離れない。

「俺、おまえの目がすごく苦手でさ」

いつものふざけている時とは少し口調が違う気がして、私は視線をあげる。

「何かに熱中してる時、他のことなんてどうでもいいみたいな目とか態度とか」
「どうでもいいよ、兄さん以外のことなんて」
「本当にどうでもいいと思ってたら、喧嘩したあとプライドの高いおまえが謝りに来ないだろ」
「あれは……っ、筋を通そうと」
「俺にはわかるよ。おまえが俺のこと、ちゃんと友達として思ってくれてること。すんげー不器用だし、誕生日プレゼント用意してくれてないけど」

そんなことない。私が兄さん以外の人間を大切に思うなんてありえない。そう言おうとしたが、言葉に出て来なかった。なぜか、心と乖離した軽くて意味のない言葉になりそうで、それがなぜか理解できなくて、認めたくなくて。
でもだって、私の生きる楽しみは兄さん達と一緒にいることで、私の生きる意味は兄さん達の役に立つことで。それ以外に心を割くなんて、私の今までの人生ではあり得なかったはずなのに。

「おまえと一緒にいられて嬉しいし、友だちで良かった。ありがとな」

なんで、匪口の言葉がこんなに嬉しいんだろう。

「……あんた、変なやつ」

ぼそりと呟く。

「しつこいし、からかってばっかでうざいし、他のやつとつるめばいいのにわざわざ私に付き纏うし、邪魔なくせに頭だけはいいし、」

でも、そんな匪口と一緒にいられて……いや、そんなことはない。でも、でも、匪口が私を見るこの目は、笑顔は、まるで……

「兄さん、みたい」

静かなリビングに反響する。その声を聞いて初めて、思わず口に出してしまったことに気づいた。

「も、もちろん兄さんとは違うけど!」

慌てて取り繕うが、匪口はからかいもせず、前のめりに私を見た。

「だって、好きだから」

匪口の手が、私の手を上からそっと重ねる。

「おまえの兄さんがおまえのことを好きなように、俺もおまえのこと好きだからさ」

匪口が私のことを、好き? それは、百歩譲って友だちとして、なんだよね? じゃ、この手は何? 兄さんみたいにって、それとも家族ってこと?
おかしい。こいつと一緒にいるとどうも調子が狂う。こんな風にかき乱されて、大切なものを見失いそうになる。でも、嫌じゃない? 嬉しい? そんなわけない!

「馬鹿じゃないの」

今まで匪口に何度も言ってきた言葉を吐き、手を振り払う。

「さっさと食べて帰ってよね」
「帰っていーの?」

匪口はいつもの飄々とした声に戻っている。私は少し安心した。

「俺、警視庁のサーバに侵入しようと思うんだよね」

警視庁。それは私が何度も侵入失敗している場所だ。そこに入れれば、裏も表もあらゆる情報にアクセスできるし、偽造も可能。腐っても国家、そこらの中小企業とは違う。そんな場所に入れたら、早乙女金融だけでなく兄さん達の会社でも重宝がられるに違いない。

「本気?」
「何度も侵入してるよ。大丈夫、捕まりっこない。今回はHPを良い感じに加工してやろうと思ってたんだ」

 悔しいけど匪口のハッキング技術は一流だ。彼が捕まらないというならそうなんだろう。それに、こいつのいたずらは毎回凝ってて面白……んん。

「ちなみにどんな風に?」
「警視庁を架空の適当なデパートに置き換えて、各部署と人員をそっくりそのまま各売り場と店員に置き換えようかなって」

 ぴくぴく。口の端が震えるのを堪える。

「ちなみに捜査一課はふんどし売り場にしようかなって思ってる。で、そこで一番の役立たずを“ふんどしソムリエ”にしようかなって」

ふんどしソムリエ! ダメだ、堪えきれずに吹き出してしまったが、もう笑いも止まらない。

「やってくだろ?」

ああ、もう、こいつには敵わない。でも、せめて外面だけは格好つけさせて。

「まあ、見ていてあげなくもないけど」
「よっしゃ」

可愛くない私の言葉にも匪口は嬉しそうに笑う。胸に溢れるこの感情は、やっぱり兄さんへの気持ちに似ている。嫌じゃない、そんな気持ちを誤魔化すかのように私は冷めたオムライスを口に運んだ。
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