子犬のワルツ

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「かなこちゃーん! こっち向いてー!」
「お母さん、そんな大声出さないでよ恥ずかしいなあ!」
「写真撮るよ! せーの!」
「あっちょっと待って私も入る!」
「やった! お弁当カツサンドだ!」
「やったね!」

「うるっせー……」
「高校生になってまで、こんなことをしてるなんてみっともないよね」
「だよな。ホームビデオとか、どうするんだって話だよ」
「仕事を休んでまでして来るほどの価値もないのに」
「しかも、写真、全員分焼きまわしするんだろ? あの集合写真何人分焼きまわすつもりだよ」

 体育祭のにぎやかな空気の隅。柚子と俺は声を潜めて子どもたちの様子を見に来た親と、それをうっとうしそうに振る舞いながらも嬉しさを滲ませる子どもたちを貶していた。柚子が自覚しているかはともかく、幸福な家庭をひがむ気持ちは止められない。

「匪口もあの集合写真の中に混ざってくれば」
「柚子だって行ってないじゃん」
「私はあんなのに馴れ合うつもりはないよ」
「じゃあ俺だって行かないよ」
「は? 何その話の運び方」
「あいつらなんかよりもおまえの方が大事だし」

 冗談と本気がない交ぜな言葉を呟けば、彼女は一瞬うろたえたように視線を泳がせる。顔は仄かに赤い。

「な、何気持ちの悪いこと言ってんの」

 一言一句予想通りの返答に苦笑が浮かぶ。俺は「気持ち悪いとか言うな」と言うと、はっと思い出し「そういえば、おまえの大事な兄さん達は来ないの?」と訊いた。僅かに柚子の表情が暗くなる。

「仕事」
「え?」
「こんな体育祭なんて来ても疲れるだけだし時間の無駄でしょ。だから来なくていいって言っておいたの」

 きゅっと引き結ばれた口元に、彼女の本心が表れているような気がした。俺は静かに「それでいいわけ?」と問いかける。

「え?」
「おまえはそれでいいのかって訊いてんの」

 一瞬の沈黙。それから柚子は強く息を吐き出す。
 
「いいに決まってんじゃん」
「ふーん」
「兄さん達の仕事を邪魔したくないし、そんな時間があるなら休憩に回してほしい」
「ふーん。まあ、別にいいけど」

 湧き上がる気持ちに顔を歪ませる。正直、こいつが兄さん達に尻尾を振る様子を見せつけられるのは好きじゃない。表情自体は好きだけど、俺がその表情を作っているというわけではないからだ。
 けど、柚子が浮かない様子でいるのを見るのは辛いし、何とかしてやりたいとも思う。もちろん何とかできるわけでもないし、限度というものがあるけれど。俺は気持ちを押し込んで、代わりにゆっくり立ち上がった。

「もう出なきゃいけない競技は終わったし、サボって教室でイタズラしちゃう?」

 こんな俺でも、せめて柚子に気分転換をさせるくらいのことはできるはずだ。そう思い砂を払って立ち上がれば、彼女はどことなく弾んだ調子で「行く」と答える。俺にならって尻をはたき、体の筋肉をほぐす。
 とそのとき、彼女の表情が一変した。まるで、信じられないものを見たかのような、驚きに満ちた表情に。
 俺は怪訝に思って振り返る。普通だ。仕切られたロープの向こう側で、保護者がグラウンドを見つめているだけ。
 やがて、不自然な部分を見つけた。保護者にしては若すぎる男がいること、そして保護者がいないはずの俺たちに、いや柚子に向けて、笑みを浮かべていることに。

「柚子」

 愛情の篭った声で彼女の名前を呼べば、驚きの表情がみるみる喜びに変わっていく。

「ユキ兄!」

 嬉しそうに声を上げ、飼い主を見つけた子犬のように男――兄さんに飛びついた。先ほどまで隣にいた俺は、呆然と柚子の変わりざまを見つめていた。

「うわあ、ユキ兄ユキ兄! 嬉しい、会いたかったよ! でもなんでこんなところにいるの?」
「俺も会いたかったからさ、ちょっとだけ途中に抜け出して来た」

 その言葉にへらりとだらしなく頬を緩める。そのあと、僅かな期待を込めて、「久兄は?」と尋ねる。

「アニキは仕事。でもよろしく伝えてくれってさ」
「そっか、うん、その言葉だけでも嬉しいや」

 くしゃりと顔を柔らかく歪める。こんな優しい表情を見るのは初めてだ。彼女の新しい面を見つけるのは喜びを伴う行為だったはずなのに、今はただただ口の中に苦い味が広がるだけだった。

「ユキ兄、ご飯食べた? まだならご飯一緒にどう?」
「いや、今俺とパソコンいじりに行こうって約束したばっかじゃん」

 つい突っ込んでしまい、2人がこちらを振り返る。しまった、コイツの兄さんと触れ合う時間を尊重してやるべきだった。そんな後悔が一瞬過ぎるも、柚子の「あ、すっかり忘れてた」という表情にイラッとする。前言撤回。

「柚子、そいつ誰?」
「ああ、こいつは……」

 彼女は眉をしかめ、迷いながらも口を開く。

「こいつは……ただの、友だち」

 素直じゃない柚子から友だち認定してもらえるんおは滅多にないことだから嬉しいはずなのに、ちっとも喜びは沸きあがってこない。原因は分かっている。こいつの兄貴のせいだ。

「へー。友だち」

 兄さんは、妹の友だちを見ているとは思えない冷たい眼差しを俺に向ける。

「おまえに友だちなんていたのか」
「そんなに仲がいいわけじゃないけど」

 まるで弁解するような口調の柚子に腹が立つ。彼女を少しでも困らせてやりたくて、俺はわざと「そんな冷たいこと言うなよ」と馴れ馴れしく肩に寄りかかってみせた。

「少なくとも、他の奴に比べたらすごく仲良」

 寄りかかっていた柚子の体が急に消え、バランスを崩す。慌てて一歩踏み込みバランスを整えれば、顔にぬっと影がかかった。

「触んな」

 頭上から低い声が降ってくる。影のできた部分から温度が下がっていくような気がして焦燥感に駆られた俺は太陽を求めて上を仰ぎ見る。柚子の兄さんと目があった。そこでようやく、彼女がこの男に引っ張られ、俺の脇からすり抜けたのだと理解した。

「……え」

 喉に乾きを感じる。彼女の兄さんはもう一度「こいつに、馴れ馴れしく触るな」と繰り返した。敵意の篭った視線に、前回会った吾代や社長を思い出す。見た目は違うものの、纏う雰囲気は同じだ。圧倒的な実力の差、経験の違い、暴力的な空気、理不尽な要求。でも、妹に対して、少々過保護すぎやしないか?
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