子犬のワルツ

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「匪口!」

 その翌日。予想通りというかなんというか、佐々木は教室に入るやいなや、大声で俺を呼びとめ大股で近づいていった。「よう」と軽く挨拶してみせたら、ようじゃねーよと切れられた。

「昨日変なメールが来たんだよ! おまえのせいじゃないのか?」
「俺のせいかよ」
「クリックしたら、妙な感じになったんだよ。固まって、こっちじゃ一切動かせなくなってさ」
「それで?」
「そしたら、その……持ってた動画が全部変な感じになって」
「変な感じって?」
「まあ……女の子の写真がムキムキマッチョの男の写真になったって感じかな、たとえて言うなら」

 たとえになってないし。それ、起こったことまんまじゃん。俺は内心笑いながら「へー、そーなの」と相槌を打ってみせた。

「不安だよ、俺。やばいウイルスとかいれちゃったのかな」
「誰か警察とか親とかに助けを求めれば?」
「それが出来たら苦労しねえよ!」
「だろうな」

 第三者に相談すれば、彼がエロ動画を見ていたことがバレてしまう。だからこいつは今回のことを俺以外に他言しない。

「ところでそのメールには何て書いてあったの?」
「べ、別にそんなことどうだっていいだろ!」
「ま、どーせ『日ごろの感謝を込めてあなただけに、当会社限定の動画100本を、期間限定で見放題! 詳しくはこちらをクリック!』みたいな感じなんだろうけどさ」

 ぴくり。前の席でずっと勉強をしていたはずの柚子が急に僅かに肩を跳ね上げさせる。佐々木はそのことに気付いた様子もない。すっかりうろたえて「な、何で分かるんだよ!」と叫んでいる。

「さては匪口、おまえが……」
「まさか。そんなに暇じゃないよ、俺だって。ただ、迷惑メールって基本こんな感じの内容っしょ?」
「こんな感じって、俺は」

 言いかけていたそいつがふと黙り込む。それからゆっくりと振り返り、勉強を中断しこちらに視線を向ける柚子を見た。それから、若干顔を赤らめながら戸惑ったように「あの……早坂さん?」と言った。

「えーっと……どうかした?」

 柚子は黙ったまま答えない。探るように鋭くそいつを見つめている。それから、こっちに視線をずらした。俺は隣の佐々木からは見えないように小さくにやりと笑ってみせる。そうだ、こいつが昨日のターゲットだ。そんな声なき言葉を察したのか、彼女はふっと空気を緩め、いたずらっぽく口の端を吊り上げた。

「え? え?」

 初めての彼女の笑みに驚いたのか、彼が柚子と俺を交互に視線を移す。そんな彼の間抜けな様子がおかしくなったのか、軽く鼻で笑うと、元の姿勢に戻りもくもくと勉強を再開した。

「え? 今、早坂さん、俺を見て笑った?」
「多分“ああ、こいつがあの馬鹿な男か”って鼻で笑ったんだよ」
「適当なこと言うな適当なことを。え、何で笑ったんだろ?」

 顔を上気させ、どこか嬉しそうに何度も自問を繰り返すそいつを見て、俺は適当なことじゃないんだけどなあと心の中で呟き、またひっそり笑った。秘密を共有する時特有の胸の高鳴りに、呼吸が乱れそうになる。ああ、こればかりは平静を装える自信がない。まあいいか。息をついて、頬を緩める。2人だけの秘密は仄かに甘い味がするということを、俺ははじめて知った。

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