子犬のワルツ
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「で、連れてきた場所がマックですか」
四人席の向かい側に座り、眉をしかめながらストローを咥える。子どものように拗ねた表情を浮かべ、ジュースを吸い上げている。
「マック、嫌いなんだよね。ホットココアないし」
「ココア好きなの?」
「好き……ってわけじゃないけど」
彼女の眉間に、考えるような皺が寄せられる。
「でも、嫌いじゃないかも」
「へえ、おまえ甘いもんとか好きだったんだ。意外に女の子らしいとこあんじゃん」
「ちょっとそれ、馬鹿にしてんの?」
柚子の顔が大きく歪んだが、俺は平気だった。一つテーブルを挟んでいるから距離がある。殴られはしないだろう。
と思っていたら、思い切り脛を蹴られ、声も出ないほどの激痛に悶絶する。他の客がこっちを見た。俺は愛想笑いを浮かべる。目をそらされた。切ない。
「ところでパソコン持ってる?」
何事もなかったかのように、柚子が俺に問いかける。俺は何度か荒く息をつき彼女をにらみつけた後、「まーね」と苦し紛れに答える。
「いつも持ち歩くようにしてるからさ」
「そんなに好きなの?」
「好きっつーか……俺にはこれしかないから」
へらりと笑ってみせたが、柚子には意味が分からなかったらしい。はあ、と言いたげに眉を寄せられた後「まあ、そんなことはどうでもいいや」と呟き身を乗り出す。
「とりあえずやってみせてよ」
「オッケー」
鞄の中からパソコンを取り出すと、テーブルに乗せ電源を入れる。そのとき、ふと思い立ち俺は隣の椅子をぽんぽんと叩いた。
「その前にこっち来いよ」
「え」
「反対側からじゃ画面が見えないだろ」
何でもないように軽い調子で言ってみせる。柚子は俺と隣の席との距離を目算するようにちらりと視線をやり、ためらうようにきゅっと唇を引き結んだ。その仕草に思わず口の端がつりあがってしまいそうになるのを堪える。
「それとも何、パソコンをこういう向きにして、俺たちが何してるのか通り行く皆に見せ付けたいわけ?」
「……」
「ほら、ここ」
まるで俺の言うことに従うなんて不本意にも程がある、と言いたげな表情を浮かべ、しぶしぶ椅子から立ち上がる。ゆっくり隣に腰掛けると、俺はにこっと笑った。普段は無表情を装っている彼女に、自分の言動が様々な表情を浮かばせているのだと思うと、ひどく気分がいい。
「ところで柚子、おまえさ、トロイの木馬って知ってる?」
「知ってる」
さらりと答える。
「あんたが組み立てたの?」
「まあね」
「コード見せて」
ある程度の知識はあるらしい。俺は黙ってファイルを開き、彼女にも見えるよう覗き見防止フィルターを外した。
柚子がぐっと顔を画面に近づける。画面が次々とスクロールされ、柚子が目を細めた。
「これ、作るのにどれくらいかかった?」
「1時間かからないくらいかな」
「……コード、うまく書けてるじゃん」
ぶっきらぼうだけど素直な賛辞。こそばゆい気持ちが胸に広がり、俺はへへっと笑う。
「これを、丸歌舞株式会社に送りつける」
「大手じゃん」
「いやなんで知ってんだよ」
からかうように突っ込んだが、柚子は顔色ひとつ変えない。
「うちの上客だからよ」
どんな上客だよ。
「まあいいや。お客様センターに交えてこれは送って。その間暇だから佐々木のパソコンで遊ぼう」
「遊んでる暇ないんだけど」
「良いから見てなって」
メール画面を起こし、佐々木のアドレスを引っ張り出すと、少し考え、文章を打ち込んだ。
『おめでとうございます!
あなたは、×××グループに登録した記念すべき1万人目のお客様です!
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「安っぽい文章ね」
「その安っぽい文章に食いつく馬鹿もいるんだよ」
「そんな人間の顔が見てみたいもんだわ」
「多分毎日見てるよ」
「眼中にない」
「さいですか」
「ていうか、こいつのパソコンなんてどうでもいいし、私も時間に余裕があるわけじゃ」
文句を言いかけた柚子が不意に口をつぐむ。画面のスクリプトが大量のアルファベットを流しはじめ激しく動き出す様を見て、俺たちは顔を見合わせた。
「見たね」
「引っかかったわね」
「早いな」
「早すぎよ」
一瞬の沈黙の後、2人同時に吹き出した。
「あいつ……、どんだけがっついてんの! 馬鹿すぎ!」
「いや、俺は食いつき早いとは思ったよ! 思ってたけどさあ、早すぎでしょ!」
一通り笑い転げた後、ふと我に帰る。同年代とふざけて、こんなに楽しく感じたのは初めてだ。それはきっと向こうも同じ。柚子が年相応に笑うところなんてはじめて見た。
「おまえもそうやって笑うんだな」
途端に柚子はむすっとする。
「笑ってない」
「いや思いっきし笑ってたし」
「私が兄さん達以外の前で笑うわけないでしょ!」
それはむしろ、怒るというよりは戸惑っているようだった。
「兄さん達以外の前で、こんな、笑ったり……こんな気持ち、なるわけないのに」
首を傾げ真剣に考え込む柚子。佐々木のパソコンのデスクトップに侵入した俺は、「作文」と書かれたフォルダを開く。作文とはおよそ関係のなさそうな動画ファイルが無造作に並べられているのを見て、俺たちはまたこらえきれずに吹き出した。