子犬のワルツ

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「なあなあ匪口。ちょっと頼みがあんだけど」

 朝、クラスに登校してすぐに声をかけられたのは、佐々木というごく普通のクラスメイトだった。彼とは挨拶をする程度の仲で、それほど親しいわけではない。何の用だといぶかりつつも、俺は人好きのする笑顔を浮かべてみせる。

「何?」
「いや、噂で聞いたんだけど、おまえ、有料サイトのエロ動画を無料でダウンロードできるんだって?」
「あー、そのことね」

 俺のハッキングの技術は、同学年の男子の間ではかなり噂になっているらしい。男どもの性欲をもてあます気持ちはよく分かる。それに、ハッキングであるということを認識さえさせなければ、そしてあまり大きな噂にさせなければ、実害が及ぶことはない。
 そう考えた俺は、たまに男子にエロ動画を無料でダウンロードできるように手配してやるようになった。おそらく今回もその手の頼みだろう。

「俺、観たいメーカーのがあるんだよ! 最新作でどのサイトにもまだあげられてないんだ。おまえならその」
「まあ、見られるようにしてあげても良いけど……ところで佐々木は人妻派? 女子高生派? それとも大人のお姉さん派?」
「もちろん大人のお姉さん派……って、何言わせてんだよ!」
「そのお姉さんにビシバシやられたいドM向けの奴が見たいんだろ?」
「馬鹿、言うなっ」

 慌ててそいつは俺の口を塞いだが、既に教室中の注目が降り注いだ後で時遅し、だった。好奇心むき出しの目つきや詮索するような眼差し、軽蔑するような表情など種類は様々だったが、こいつの顔を真っ赤にするには十分だったらしい。

「勘弁してくれ……」
「これくらいの視線で真っ赤になってたんじゃ、おまえ、エロ動画なんか見たら興奮しすぎて死んじゃうよ」

 きゃっきゃっと笑う俺に、彼はごくりと唾を飲む。

「そんなにすげーのか?」
「ま、人によって感想は変わると思うけどさ」
「じゃあおまえは? おまえはどう思ったんだよ?」

 訊かれ、肩をすくめて「まあ、俺はもうあの手の奴は飽きちゃったかな」と答える。そいつは顔を真っ赤にして「それはつまりっ!」と再び大声を上げた。クラスの視線が再び集まり、「うわっ、またやっちまった」と情けなく呻く。俺は「ばーか」と笑い、何だか今の言い方は柚子のそれと少し似ていたな、とぼんやり思う。

「馬鹿って、おまえ、クラス全員にエロい人間って認定されたらどうすんだよ」
「少なくとも全員じゃなさそうだけど」

 そう言うと、俺は前の席に座ってガリガリと勉強している柚子を指差した。

「あんだけ集中してりゃ、周りの音なんてほとんど聞こえてないっしょ」
「そういえば、匪口さ」

 ふと真面目な顔を作る。

「ん?」
「おまえ、いつの間に早坂さんと仲良くなったんだよ?」
「へへ、いーでしょ」

 ここ数日、色々な人から同じようなことを言われている。少しくすぐったい優越感に俺は歯を見せて笑った。

「名前呼びまで始めちゃったし、噂じゃこの間からちょくちょく一緒に帰ってるっぽいし」
「そうそう、あいつ、勉強の最中に話しかけると切れるからさ。登下校の時くらいしか喋ってくれないんだよな」
「大丈夫なのかよ?」
「全然。子犬みたいでかわいいよ」
「子犬って柄かよ。噛みつかれたらやばそうだけど」

 恐る恐る問いかける彼の口調にはほんの少しの恐怖と、それを上回る好奇心が顔を覗かせている。「匪口が大丈夫なら俺も大丈夫かも」と思って、柚子に話しかける人間が増えたらどうしよう。
 少し心配になった俺はとりあえず、肩をすくめて「まあ噛みつかれたらやばいだろうな」と言ってみせた。それを聞いたそいつははっと口を閉じ、慌てて柚子の様子を伺う。面白いほど翻弄される彼をにやにやと意地悪く見つめる。

柚子と仲良くなるのは、俺だけでいいし、きっと俺以外には無理だ。
そんな優越感が胸をくすぐった。





「柚子ー。……柚子?」

 終礼が終わったら俺には目もくれずに教室を飛び出すはずの柚子が、なぜか今日に限っては椅子に座ったままだ。俺は心配になって、顔を覗き込んだ。

「どーしたの、具合でも悪いわけ?」
「馬鹿にしないでよ、自分の体調管理くらいちゃんとできる」

 ぎろりと睨む柚子はいつも通りで、俺は安心したような、心配したのに睨まれて理不尽なような、複雑な気持ちになる。

「で? どうしたの? 今日はその……バイトとか練習? とかに行かなくていいわけ?」
「行く、行くよ。でも……」

 そういうと、今度はじっと俺に視線を寄越した。それは嫌悪や迷惑そうな色が全く含まれていない、珍しい種類の視線だった。俺は少し恥ずかしくなり、「何?」とややぶっきらぼうに聞き返す。

「……あんた、どの程度まで出来るの?」
「どの程度って?」

 話の流れが分からない俺に歯がゆい表情を浮かべた後、柚子は声を低めて囁いた。

「ハッキング」

 世界から音がなくなった。ほんの一瞬、そんな錯覚を覚えた。

「ハッキング、って」
「警視庁のサーバには入れる? 大企業は? データベースは弄れる?」
「何で俺ができるってことを知ってるんだよ」

 こいつは俺のやったことをどこまで知ってるんだ? 胃の底が冷え冷えとする感覚がある。普段の火遊びレベル? それとも、両親のことまでーー?

「知らないけど、さっき他の子に無料でエロ動画をダウンロードできるって言ってたでしょ。見られるようにするって言うことは、違法アップデート関連じゃなくて、あんたがAV動画作ってる会社のサーバに直接忍び込んで直接ファイルを取ってきてるのかなって」

 彼女の淡々とした声に、段々俺の頭が冷静さを取り戻していく。言葉の節々から推察しただけか。聞かれてないし知識も学校では習わない範囲だと思って油断したが、まあ、いいか。柚子なら、警察にたれこむような真似はしないだろう。したとしても問題ない。証拠は完全に隠滅している。

「一通りのことならできるつもりだけど」

柚子が前のめりに俺を伺う。目の端が爛々と輝き、何か言いたげに口を開く。はじめて見る表情だけど、これってもしかしてーー興奮してる?

「よかったら見ていく?」

そう提案すれば、「み、見てあげてもいいけど」とつんと答えた。でも俺にはなぜか彼女の後ろでバタバタと揺れる尻尾が見えた気がして、自然と浮かぶ笑みをそっぽ向いて隠した。
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