子犬のワルツ

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「早坂」

 電車の中で端に座りノートを眺める早坂を見つけて、俺は一気に機嫌が良くなる。名前を呼び歩み寄ると、あいつは顔を上げ迷惑そうな表情を浮かべた。

「匪口、結也……くん」
「おっ。名前、覚えててくれたんだ」

 丁度空いていた隣に座り、「ま、普通はクラスの奴の名前なんてもうとっくに覚えてるはずだけど」と少し皮肉を込めてにやりと笑いかけた。彼女は顔をしかめた。

「普通であることに何の意味があるの? 私、普通とか常識とかいう言葉を多用する人間、嫌い」
「呼び捨ては嫌い?」

 さり気なく話を変えれば、早坂は別に、と首を振った。

「じゃあくんとかつけなくていいよ。匪口って呼びなよ」
「嫌」

 早坂はきっぱり断った。

「あんたとそんなに仲良くなるつもりはないから、匪口くんでいい」
「冷てーなー」

 口を尖らせてみせるも、内心は少しだけ嬉しかった。とりあえず名前は覚えてもらえている。第一関門クリアだ。

「そんなに俺が全科目満点を取ったことが悔しかったの?」

 彼女のカンにさわるであろうことをあえて口に出す。そう、俺はこの間の定期考査でいつもより入念に準備をし、早坂と同点一位を記録した。彼女より良い点数を取れば、彼女のプライドを刺激して俺を意識させられるかもと思ったからだった。突然の思いつきで勉強時間は限られていたが、頭が人より少しいいことが幸いして、難なく満点を取ることができた。さて、早坂はどう反応するだろう。俺はどこかわくわくしながら彼女の様子を伺い見た。

「そういえばそうだったね」

 意外なことに、早坂は穏やかな表情を浮かべた。

「あんた、意外にやるじゃん」

 あれ。睨まれると思っていた俺は拍子抜けしながらも「さんきゅ」と返した。微笑みこそ浮かべないものの、こいつがこんなに柔らかい顔をするなんて、なかなか、いや滅多にないことじゃないか?

「もっとつっかかられると思ってたから、褒められると……正直照れる」

 くすぐったくなり、身を縮める。

「別に、他の人に勝ちたくて勉強してるわけじゃないから、あんたが満点取っても嫉妬なんてしないよ」

 彼女はそう呟くと、ノートに再び目を落とし、ページを捲った。話が終わりになってしまったのかと俺は慌て、「じゃあさ」と身を乗り出す。せっかくこんな表情の早坂を見ることが出来たんだ、まだ彼女と話していたい。

「他のやつに勝ちたくて勉強したわけじゃないなら、早坂は何のために勉強してんの?」

 ノートの文字を辿る指が止まる。沈黙が二人の間に横たわったが、彼女の眉が何かを考えるように寄せられていたので、無視をされているわけじゃない、と思う。

「学校のテストくらい満点取れないと、兄さん達と同じ会社に入れない」
「兄さん、達?」

 思いも寄らない単語に、俺は思わず眉を寄せる。

「おまえ、兄さんいるの?」
「いるの」

 早坂は大きくうなづくと、笑みを浮かべた。……え? 笑み?

「あのね、二人いるんだけどね。上は久兄って言って、超格好いいの。何でも知ってて頭良くて、いつも余裕で大人なの。それに優しい心も広いし顔も良くて背も高いの。完璧すぎる、半端ない。もうほんと尊敬しちゃう」
「へ? あ、そう?」

 誰だ、こいつ。急ににこにこしだした早坂を見て、反応が一瞬遅れてしまう。……え、まじで誰?

「スーツをいつも着てるんだけどね、それがもう身もだえしたくなるほど格好いいの! あ、もちろんパジャマ姿でも何も着なくても格好いいんだけどね」
「は? 何も着なくても?」
「でね、下はユキ兄って言うの」

 聞き捨てならない言葉を聞き返す余裕さえ与えず、早坂は続ける。

「ユキ兄も超格好いいの。運動できるし強いし優しいし、ほとんどいつも一緒にいてくれるから大好き! たまに浮かべる不敵な笑顔がもうたまらなく格好いいの! どうしたらあんなに格好よくなれるんだろうね。あの笑顔で人を殺せる。キュン死にだよ、キュン死に」

 大切なはずのノートをぎゅーっと抱きしめ、前かがみになる。もだもだと上半身を揺らしているところを見ると、アイドルにきゃーきゃー言っているそこらへんの女子高生とあまり変わらない。俺はクラスで一人机にかじりついて必死に勉強している早坂を思い浮かべ、それを比べるように目の前の女の子に目を移した。とても同一人物とは思えない。

「とにかく、二人とも本当に凄い人なんだ。で、最近ユキ兄が久兄と同じ会社に入ったの。だから私も兄さん達と同じ会社に入る。誰にも、兄さん達にも文句は言わせない」

 頬を赤く染め、若干息を荒げている彼女の声色が段々落ち着いてくる。興味なさそうでもなく、不快げでもない、まっすぐな眼差しが俺を貫く。

「それで兄さん達の役に立つんだ。それが私の生きる意味なの」
「……へえ」

正直こいつが勉強を頑張るのは勉強が好きだからとか、他人に負けるのが嫌だからとか、そんな理由だと思っていた。それが、兄さん達の役に立つためだ、それが生きる意味だとすら言ってのける。
強情だと思っていたし、変な奴には変わりないけど、ふーん、コイツ、根は真っ直ぐなヤツだったんだ。それに、俺とは違って家族に愛し愛されて育っている。
その愛情の1パーセントでも、俺の方に向けてくれたら。
想像しただけで胸にじわりと熱がひろがる。はじめての感情に俺はいくらか焦り、つい俺は「かわいー奴だな」と余計なことを口走ってしまう。

「……は?」
「あ、いや、その……なんていうか、そういう一生懸命なとこ。悪くないと思う」

 慌ててマイルドな表現に直すも、早坂の表情は怪訝なままだ。

「な、何言ってんの。気持ち悪い、頭大丈夫?」
「おい」

 そこまで言うかよとも思うが、確かに口説いているようで気持ち悪かったかもしれない。少し落ち着こう、俺。気を取り直すと「努力、報われるといいな」と話題を戻し、にこっと笑った。

「うん」

 これには素直に答えるらしい。彼女は小さくうなづき返した。

「努力は報われるべきだし、実際そうなっているのを見るのは好き」
「あ、だから、俺が満点取ったとき、あんなに穏やかな顔をしてたのね」
「は? 穏やかな顔?」

 意味がわかんないと眉根を寄せる彼女の隣で、俺は大きく納得する。そうか、早坂は俺の努力を認めて態度を軟化させたのか。

「まあ、俺にしては頑張ったしね。他の友達にノート借りて全教科ノートコピーさせてもらったり」
「は?」
「毎日寝る前に三十分、ノートを眺めたりな」
「何だって?」
「確かにこれくらやれば、満点くらい――って、ちょっと?

 急に立ち上がり、ドアの方へ歩き出す早坂に驚き慌てて倣う。

「ちょ、早坂? どこ行くんだよ?」
「信じらんない。最低」
「はあ?」

 ドアが開き、早坂が駅のホームに降り立つ。俺は豹変した彼女の反応についていけず、「どーしたんだよ」と問いかける。ぎろりと睨まれた。

「ついてくんな!」
「ついてくんな、って」

 戸惑う俺の視界に駅名が飛び込んでくる。俺の降りるべき駅ではない。はっとして振り返ったが、もう遅い。ドアは閉まり、電車は動き出す。ツイてない。肩を落とす俺に追い討ちをかけるように、早坂の罵声が降ってきた。

「あのね、あんたは知らないかもしれないから、一つ教えておいてあげるけどね。私みたいな努力家は、天才と理不尽な敗北が何よりも嫌いだし腹が立つの。つまり、あんたみたいな、直前に友達からノートを借りてコピーとって、それをちょろちょろっと眺めただけのくせに、全科目満点を取れちゃう人間がね」
「え」

 一瞬うろたえたが、それから「だって、普通それだけやれば十分っしょ?」と弁解した。すると、「普通って言葉を多用する人間も嫌い!」というお言葉が返ってきた。フォローの仕方を間違えた。自分に舌打ちしたくなる。

「嫌い、嫌い、大嫌い! もう二度と話しかけんな、ばーか!」

 最後に小学生のような暴言を吐くと、人ごみの中へまぎれていった。残された俺はしばらく呆然としていたが、いつまでもそこにいるわけにもいかず、やがてのろのろと来た道を戻っていった。歩きながら頭を働かせるうちに、少ない勉強量の俺が多大な努力をした彼女と同じ点数を取ったことが気に入らなかったらしいという結論に辿り着いた。努力は報われるべき、という彼女の言葉を思い出す。確かに、俺の点数は彼女の努力をある意味で踏みにじったかもしれない。けど、頭が良いから嫌うなんていうのは、ただの子ども染みた嫉妬でしかないし、それであそこまで言われなくちゃいけない何があるっていうんだよ。
 そう内心ではぼやくものの、口の端からは笑みが零れて零れて仕方ない。擦れ違う人々が一人で笑う俺を見ていぶかしんだが、どうしても堪えることができなかった。意外に可愛いところもあったり、子ども染みたところもあったり。少なくとも同じ学校の中でこんなに彼女の内面に踏み込めた人間は、きっと俺以外にいない。あいつがあんなに家のことを話した相手も、俺以外にきっといないだろう。電車を待つ列の後ろにつきながら、俺はそのことを純粋に喜んでいた。

 ――「嫌い、嫌い、大嫌い!」

 不意に頭の中で彼女の声が再生される。もしあの時、彼女に返答する余裕があったなら。可能性が胸を掠め、俺は目を閉じる。

「そりゃ残念。俺はおまえみたいな頑張り屋さんは結構好きなんだけどな」

 心の中で言ってみて、再び一人で笑う。怒りで顔を歪め「むかつく」と吐き捨てるのも「気持ち悪っ」と呟くのも、どちらも容易に想像できた。
何はともあれ、一歩前進かな。上機嫌な俺はぐっと拳を握った。

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