子犬のワルツ

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 そいつはいつも一人だった。昼食時や休み時間、登下校の時でさえも机にかじりつくように勉強していた。そのためか、成績は常にトップだった。加えて、運動神経も顔も良い。入学当初は何人かがアプローチをしたらしい。
だが今じゃ彼女に話しかける人間なんていない。なぜならあいつは、とてつもなく無愛想な上に、物騒な噂まで持っていたのだから。
ーー早坂は放課後ヤクザの事務所でアルバイトをしているらしい。チンピラと夜歩くのを見た。繁華街で借金の取り立てをしているのも聞いたぞ。いや、噂によると銃を携帯しているとか。
普通のやつなら、用がない限り彼女に話しかけないし、彼女も気にせず黙々と一人で勉強を続ける。

ああ、言い間違えたな。
俺以外で、彼女に話しかけるやつはいない。





「早坂」

 それはある日の休み時間だった。ほんの少しの緊張を押し隠し、俺は机に向かって勉強している早坂の顔を覗き込んだ。名前を呼ばれたからか、俺の頭が影になり邪魔だったからか、彼女の手が止まり視線が合った。面倒くさそうに「何か用?」と訊く。俺は人懐こそうににこっと笑ってみせた。

「この後、暇? 駅前に良さげなゲーセンができたんだけど、よかったら一緒に行かない?」

 返事は何となく分かっていた。彼女は視線を落とし、再び手を動かし始める。

「行かない」

 協調性0。でもこの程度なら想定内だ。

「行こうぜー。VRがすげえ評判いいらしいよ、きっとちょっとは楽しいと思うけど」
「楽しくないし、時間の無駄。学校生活にそういうの、求めてないから」

 ペンを走らせたまま淡々と答える早坂に、俺はちょっと肩を竦めた。

「つまんない奴」
「うるさい奴」

 俺の口調を真似る彼女の声に、苛立ちが混じる。

「私が何しようとあんたに関係ないよね? どっかに行ってくれない? 勉強の邪魔」

 吐き捨てるように言われ、その剣幕についぴくりと肩が跳ねる。苦い表情を浮かべた。そんな自分が許せなかった。ここで退いたら、まるで俺が早坂に負けたみたいになっちまう。そんなのは絶対に嫌だ。
俺は気を取り直すと彼女のノートを覗き込んだ。そこには几帳面な文字でびっしりと書き綴られていた。だけど、自分のノートに抜けが多いせいか、どうも見覚えのない単語ばかり目につく。それに、文体。まるで、先生の話をそのままノートに取っているかのような文章だ。

「めっちゃ書いてんじゃん。おまえ、先生の話をそのまま一言一句書き写してたりしてる?」
「漏れがあったら困るから」

 言葉を返す間も彼女の手は止まらず、教科書の文言を転記している。

「せっかくの昼休みなのに、よくそんなことに時間を使えるよな。フツーに授業後にざっと見直すだけでもいい点数取れるっしょ」
「いい点数じゃ意味がない。学校のテスト程度なら、満点取るぐらいじゃないとーー」
「ないと?」

 どこか思いつめたように言う柚子に先を促すと、ハッとしたようにこっちを見て、眉根を寄せた。

「あんたに関係なくない?」
「あは、まあ関係ないけど興味あんだよね。なんでそんなに無愛想で勉強狂いなのか。友だちも作んねーし、愛想も悪いし、変なヤツだなーって」

 勉強が好きだからしているという感じでもない。いい大学に入りたいというわけでもない。ただ一つの目的のために、手段として習得しているような淡々さ。何を思い目的としているのか、イマイチ掴めない。

「こっちからしたら、勉強もせず友達づくりとやらに勤しんで遊びまわるあんた達の方がどうかしていると思うけど」
「勉強してないわけじゃないよ。ただ、そこまでいい点数を取ろうと思ってないだけ」

首をすくめる。それは本心だった。俺は人当たりも悪くないしそこそこ人とも話すけど、平穏な毎日を純粋に楽しめるような環境で育ったわけじゃない。親を死に追いやる前は平凡な幸せに憧れていた時もあるけど、今じゃ学校の勉強も友だちもイベントもどこか嘘くさくて軽くて、青春として心からは満喫することができなくなっていた。
勉強は落第しない程度に。交流もイベントもその場さえそこそこ楽しく凌げればいい。学校に本物の楽しさは求めない。俺に似合うのは、仄暗いインターネットでの世界だ。他のヤツなんてどうでもいい。優等生を演じようが不良に走ろうが、そんなの好きにやってくれ。

ただ、コイツに関しては、ちょっとだけ話は別。

「あっそう。まああんたの価値観なんてどうでもいいわ。放っておいて、私は忙しいんだから」
「何で? 放課後はヤクザの事務所でのバイトが忙しいから?」

教室で雑談をしていた他の連中の騒めきが一瞬凍る。その後、皆何もなかったかのように話を再開したが、意識がこっちに向いているのは丸わかりだ。

彼女に付き纏う良からぬ噂。だから皆は彼女と関わりを持とうとしない。
でも俺は、だからこそ彼女に話しかけてしまう。

陰を持ち堂々と自分を突き通す彼女が、両親を殺した俺をどこか惹きつける。こんなことが彼女に付き纏う理由の一つだなんて言っても他の奴には理解できないだろうけど。
でも俺には分かる。表と裏の境をふらつく彼女と俺は多分、芯の部分では同類だ。

ずっと動いていた手が止まり、柚子がゆっくり顔を上げる。その涼やかな瞳には僅かな警戒はあるが動揺はしていない。

「そうよ。他にもやることがあるし、放課後は忙しいの」
「へえ。ヤクザと一緒に何してんの? やっぱ借金の取り立て? それとも意外に普通のデスクワークとか?」
「あんたには関係ない」

 早坂は訊かれたくないことを訊かれたからというよりはむしろ、単純に勉強の邪魔をされたことにうんざりしているようだった。

「いちいちどうでもいい用事で私に話しかけたりしないでくれる。どこの誰かも分からない人間と話して貴重な時間を使いたくないんだよね。分かりやすく言った方がいい? 邪魔。うざい。迷惑。放っといて」

 そこまで言うと、早坂は何事もなかったかのように再び手を動かし始めた。俺は苦笑いしてみせる。仮にも、同じクラスメイトとして、しかも出席番号が前後している人間に向けて、「どこの誰かも分からない」というのはどうなんだろう。
でも、すげなくされても諦められない。思い通りにいかない事象が天才と評された俺の自尊心を擽るのか、はたまた、幼い頃の両親がパソコンや俺を見つめる眼差しと、酷く似ているからか。

ばん、と机に手をつく。柚子がいい加減うんざりしたのか、不快げに俺を睨みつけた。でも、関心のない一瞥よりもずっとマシだ。

「あんた、何?」
「俺? 匪口結也」

 俺は無邪気に笑ってみせた。

「後ろの席なんだからさ、いい加減覚えてよ。仲良くしようぜ?」

 なっと手を差し伸べる。彼女はため息をつくと、その手をぱちんと振り払った。

「じゃま」

何たる仕打ち。手のひらがジンジンする。まあ想定内っちゃ想定内だけど、全然嬉しくねーよ。
俺はふう、と息をつくと黙って自席に戻っていった。教室の周りの奴らの視線が痛い。でもそんなことはどうでもいい。

そんなに俺のことを視界に入れたくないんだったら、無理矢理にでもお前の意識に捻じ込ませてやる。見てろよ。心の中で挑戦状を叩きつけた後、俺はニヤっと笑った。




 そして、その十日後に行われた定期試験では、全科目満点の生徒が二人出た。


 

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