コイン
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体躯ばかり大きくて、頭の発達が遅れているこの無礼で話の通じないおじさん達に必死に説明しても無駄だ。そう悟ったわたしは、その後黙って従順に歩くことにした。もしかしたら、話の分かる警察官(優しい人、もしくは賄賂で釣られてくれる人)に出会えるかもしれない。出会えないかもしれないけど。
「どうしようか、相棒?」
「取り敢えず、現場責任者んとこに連れて行けばいいんじゃないか?」
わたしを取引現場で警察に掴まえさせる。――これが早坂さんの本当の目的だったわけだ。万が一、弥子ちゃん達が逃げおおせても、わたしの身元から、警察が確実に事務所に辿り着くように。さすが早坂さん。予防線に関してぬかりはない。
「……つーかコイツ見たことある顔してんな」
「さっき現場で見たからじゃないか、相棒?」
「あーそうかも」
弥子ちゃんは、きっと大丈夫だ。あの超鬼畜十頭身野郎は弥子ちゃんを守るためなら、魔界道具を惜しみ無く使うだろう。それがあれば、ここから脱出するのも難くない。
「筑紫さん、だっけ。あの、ほら、キャリアの」
「あぁ、確かそんな感じだったよな」
でも、わたしはそうはいかない。自力で何とか汚名を晴らし、警察を懐柔し、時には金にものを言わせて、口八丁手八丁で切り抜けなければ、残りの人生の一番いい時期を刑務所で過ごすことになってしまう。あぁ、なんて最悪な状況なんだ。
「給料上がるかな?」
最悪な状況だけど――
「昇進だって夢じゃねぇよ」
――嫌いじゃない。
この、緊張と興奮が入り交じった感覚も、ゾクゾクするような、このスリルも。わたしに“生きている実感”を最も強く感じさせてくれるから。
「昇進したら休み減るかな」
「だろうな」
あぁ、罠と知りながらも付いていった甲斐があったな――
「仲間は見つけたかな?」
このワクワクを味わわせてくれてありがとう、早坂さん。早くこの場を切り抜けて、あなたにお礼をしなくちゃね。
「どうだろうな……あ、筑紫さん!」
「――え?」
聞き覚えのある単語を耳にしたわたしは思わず思考を止め顔を上げる。
「つ……筑……?」
気のせいだよね、うん。きっと深層心理の筑紫さん大好きな部分が(あるとすれば)わたしにそうと勘違いさせたんだよね――
「……ユウ…さん…?!」
向こう側で作業をしていた筑紫さんが顔を上げ、こちらを仰天した表情で見つめる。――勘違いじゃなかった。
「あー……」
知り合いに麻薬取引犯と思われるかもしれないことを嘆くべきなのか、それとも説得しやすい知り合いに出会えて喜ぶべきなのか。わたしは迷い、とりあえず愛想笑いを浮かべておくことにした。足早にこちらへ向かう筑紫さんは笑みを返さなかった。
「どうしてここに……?!」
まあ、頑迷で無駄に正義感の強い笛吹さんがいないだけマシか。あの人だったら、話も聞かずに刑務所にぶち込むだろうし。そう無理矢理自分を納得させた時。
「――どうした、筑紫!」
その頑迷で無駄に正義感の強い笛吹さんが顔を出した。わたしの表情は一気に硬く強張った。
「笛吹さん……」
「何だ。言いたいことがあるならはっきり言え。目で訴えるだけじゃ分からないだろう」
前言撤回。これは十分、最悪な状況だ。
「グズグズしてると、取引相手の連中が本当に逃げてしまうじゃな…――!?」
わたしに目をやり、ハッとしたように目を見開く。
「お…、お前っ……――七瀬ユウ!」
「……こんばんは、笛吹さん」
絶句する笛吹さんに、わたしは強張った顔の筋肉をほぐすと頑張って元気に挨拶をしてみせた。
「今日もいい月出てますね」
「……」
「まだ秋口ですけど、なんか寒いですよね。やんなっちゃうな」
「……」
反応なし、か。
「まー肌寒い程度だから我慢出来ない程じゃないけど」
「……なんで、」
馬鹿みたいに突っ立っていただけだった笛吹さんが、ようやく口を開く。
「なんでお前がいるんだ! 捜査の邪魔でもしにきたのか?! もしかして、あのうさん臭い探偵達も一緒なのか?!」
“捜査の邪魔でもしにきたのか?!”……か。“お前が犯人だったのか”ではなくて。これは、何とも意外な反応だ。てっきり、何も聞かずに「連行しろ」って言うのかと思ってたのに。
「なんでって……」
笛吹さんは、頭がいい。こんな真夜中にこんな寂れた埠頭をうろつく人間は、警察か麻薬密売者くらいしかいないって分かるはずだ。なのに――わたしを犯人だと断定しないでくれた。それは、わたしが麻薬取引なんかするようには見えない、と信じてくれたから。……そう、期待していいのかな。