コイン

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「だるい……」
「ユウ、一日中ゴロゴロしてただけじゃん」
「うるさいなー」


 むっとしお兄ちゃんがよくしてくれたように、ユキの頭をグシャグシャに撫で回す。すると彼は嬉しそうにくすくす笑った。


「そのゴロゴロするのが疲れんの。大体、ユキだってわたしの膝の上でゴロゴロしてただけじゃん」
「本当はベッドの中でゴロゴロしたかったんだけどな」
「じゃあベッドに行けば?」
「いや、俺はここがいいんだ。あんたの傍がさ」


 ユキが、思わず嫉妬してしまいそうなくらい幸せそうな笑みを浮かべる。わたしは思わず「幸せそうだね」と呟いていた。


「あぁ、めちゃめちゃ幸せだ。だって、これからはずっと一緒ってことだろ?」


 彼はそう言って、子供みたいな笑顔を浮かべる。この笑顔を見ると、可愛い弟に何でもしてあげたくなる姉の気持ちが非常によく分かる。


「いつも、あんたがここにいたら、って思ってたんだぜ」
「そう。わたしもユキが喜ぶ顔が見れて嬉しいな」


 ――だからこそ、罪悪感を感じずにはいられない。心の中でそう付け加える。まいったな。わたしは溜め息を漏らしながら、早坂さんとの商談を思い出していた。






 ――「今日ここに呼んだのは他でもない、君の大好きな商談をしようと思ってね」






 相手の抱いている僅かな勘違いを訂正することなく、わたしは「どんなです?」と訊いた。






 ――「我が社が仕入れた情報によれば、桂木弥子探偵事務所の助手のアルバイトをしているそうだね」






 望月総合信用調査。それがユキの勤める会社だ。その名の通り、主に情報を売買する。わたしも情報を手に入れる為に何度も足を運んだ。こちらの欲しい情報を、必要な時、素早く、欲しいだけくれる、大変便利な会社だ。ただ、こちらの欲しい情報が分かるということは、こちらが今どういう状況にいるのか分かっている、ということに等しい。というわけで、わたしは今まで必要最小限なお付き合いしかしてきていなかった。






 ――「そうですけど」
 ――「そうか……いやぁ、残念だ」
 ――「はぁ?」
 ――「正直……もったいないと思うのだよ。君のような逸材を、あんなしがない事務所にくれてやるのが」
 ――「……」
 ――「私は尊敬しているんだよ。君は頭がいい。私達が売った情報を駆使して、資本の倍の利益を手に入れる。その頭のよさを、是非、私達の会社の為に使ってほしい」






 話がうまい。さすがは総務部長様だ。ユキと兄弟とはとても思えないほど、頭がよく腹黒い。わたしは内心舌を巻いていた。


 一見、頭がいいわたしを雇いたい、という風に聞こえなくもない。だが、賭け事で金を稼ぐなど、数年前からやっていることだ。何で今になって、雇う必要がある? それに、頭のよさだけで雇うなら、最初に事務所の話をする必要なんかない。確かに、事務所に引き抜かれるくらいなら、ウチで雇いたいって解釈も出来なくはないけど……なんか不自然だ。話がうまく摩り替えられている。


 それに、昨日ユキが“うちのボスがぜひそちらの探偵さんを雇いたいそうなんだ”と言ってたのも気になっていた。何を企んでるんだ、と勘ぐってしまうのも無理はないだろう。


 ――「……どうだね。君にとっても悪い話じゃないはずだ。金はいくらでも出すよ」
 ――「んー……」






 会社にとってわたしがもたらす利益も、そこまで大したものとは思えない。わたしは賭けさせるのと、負かすのが得意なだけ。情報収集は専門外だ。なのに、金をいくらでも出す? 妙だ。






 ――「……いくらまでなら出せます?」
 ――「君の言い値で構わないよ」
 ――「じゃあ……」






 こういう駆け引きの場では、自分の持ち札を見せてはならない。つまり、自分から金額を提示してはいけないのだ。相手に情報を与えてしまえば、相手のいいように持っていかれてしまうから。そんな鉄則を、わたしは破った。自ら穴へと飛びこんだのだ。






 ――「十億」






 彼は更に大きくニッコリと笑った。






 ――「それで君が買えるなら、安いものだ」






 十億という金額は、いくらここの会社でも、なかなか簡単に差し出せない。なのに、彼は躊躇なく差し出した。十億を介して、彼はわたしを手に入れ、わたしは確信を手に入れた。ユキのお兄さん――早坂さんは、わたしに十億出しても余るくらいの利益を手に入れるつもりだってことが。それも、ネウロの事務所を使って。


「……アニキが急にあんたを雇おうって言った時、びっくりしたけど、嬉しかった。やっぱりアニキのする仕事は最高だって思ったよ」


 ユキはまだ知らない。わたしが、いずれユキとユキの会社を裏切るつもりだっていうことも。ユキが今噛み締めている、この幸せはほんの一時のまやかしだということも。だからこそ、罪悪感を感じずにはいられないのだ。でも、罪悪感を感じても、わたしは裏切る。何故なら、“面白そうだから”。


 ――なんて性格が悪い。ユキの頭を撫でながら、わたしは苦笑した。


「――ま、吾代まで雇うのはどうかと思うけどな」
「え?」


 吾代さんを、雇う? 耳にした言葉が信じられず、わたしは眉根を寄せた。


「どういうこと?」
「ウチの班増員してくれって言ったら、アニキが吾代を雇ったんだよ。職場の基本は適材適所って言ってさ」


 あの人がトラブル処理班? 考え込む。確かに適材っちゃ、適材だ。でも、何でわざわざ事務所の人間ばかり引き抜く? この調子でいったら、明日あたりあかねちゃんが受付嬢してても不思議じゃない。それにしても……


「吾代さんか……」
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