コイン
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数時間経って目覚めたわたしは、最悪の気分だった。ソファで寝なければならないと想像していた。体中痛いし、浅い睡眠ばかりで眠った気がせずだるさだけが残っている。これ以上寝る気もしないし、活動するにはまだ早いけれど、起きようかな。
「あー……体痛い」
欠伸交じりに呟く。やっぱり適当にどっかのホテルに行った方がよかったかな。それともネウロに付いていって、謎を楽しんだ方がよかったのかもしれない。けれど、あの時はほいほいとネウロに連れて行く気分にはなれなかったのだ。
――コンコン。その時、事務所のドアがノックされた。
「俺だけど……入るよ」
聞き慣れたハスキーな声に、わたしは顔を上げた。
「お兄ちゃん?」
時計を見れば、まだ七時を少し過ぎたくらいだ。仕事としてここに来るには早い。わたしは怪訝に思い声をかける。「ユウ?!」と驚いたような焦ったような声が聞こえ、ドアが乱暴に開いた。
「何でこんな時間に――?」
わたしを見て戸惑っているようだ。他には目もくれず、早足で近付いてくる。
「ほら、鍵がないから家に帰れなくてさ。仕方ないからここで寝泊まりしたの」
「鍵がないって話、ホントだったのか」
「嘘だって思ってたの?」
酷いな、わたし傷付いたよ、と言ってみせる。ただ、その話を思い出し内心恐怖に近い感情が沸きあがってきた。鍵を落としたのは、道か学校か、Xと会ったあの廃ビルだ。もし、あの廃ビルで鍵を落としていたら。そしてそれをXが拾っていたら。そう思うと、大家さんに合鍵を借りて家へ変える気分にもなれない。
そんなことを考えていると、お兄ちゃんが嫌そうな顔をしていることにようやく気付いた。
「それにしても、事務所に泊るなんて……」
どこか不愉快そうな顔をする衛士お兄ちゃん。
「助手と一つ屋根の下で寝たのか?」
「ネウロと……?」
一つ屋根という言葉に思わず噴き出し「うぅん」と首を振った。
「ネウロ昨日の夜にどっか行っちゃったし」
「そうか……」
お兄ちゃんが安心したような苛立ったような、複雑な表情になる。
「……でも女の子を一人で鍵もかけずに置いとくなんて――それに、君も君だ。不用心にこんな薄気味悪いビルに一人で泊まり込むな。危ないだろ。大体、他に行くとこくらい――」
「――お兄ちゃんこそ、何でこんな時間に?」
お兄ちゃんの長くなりそうな説教を遮る。
「一般的な常識から考えて、訪問するにはちょっと時間が早いんじゃない?」
そう言えば、お兄ちゃんは痛いところを突かれたようにうっと顔をしかめた。
「俺は……」
一瞬、ためらうように口を閉じる。
「ちょっと助手に聞きたいことがあってさ。彼、ここで寝泊まりしてるんだろ? 今だったら確実にいると思ってきたんだけど」
ネウロがここで寝泊まりしてるって、弥子ちゃんに聞いたのかな。ネウロだけがいるであろうこの時間に来たってことは……弥子ちゃんやわたしには聞かれたくない話を聞きに来たってことだろうか。わたしは一旦思考を止めた。
「もうすぐ帰ってくるかもしれないから、待ってたら?」
それ以上、何も追求せずに、ソファを勧める。
「じゃあ待たせてもらおうかな」
お兄ちゃんは心なしか安堵すると、よいしょと腰を下ろした。素直に座ってくれたことが嬉しくて、わたしはニコッと笑った。
「待っててね、今コーヒーを淹れてあげるから」
わたしはうきうきしながら台所へ入っていった。あかねちゃんはまだ寝てるのか、壁の中に入ったままだ。きっとあかねちゃんの淹れたコーヒーの方が美味しいんだろうけど、起こすのも可哀相だ。それに、どうせならお兄ちゃんにはわたしの淹れたコーヒーを飲んでもらいたい。わたしは一番上等なコーヒーカップを探し始めた。