コイン

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 ネウロの言葉にわたしは眉を潜める。堀口明は、“これでもXには近づけないとでも言うのか?”と言った。わたしは彼をXだと思っていないし、彼もそう認めている。彼はただのX信者のはずだ。隠すべき正体なんて、あるはずないのに。


「さぁ、早く正体を現したらどうです?」


 ネウロはその独特な言い回しで挑発を続ける。わたしは段々不安になってきた。わたしは読み間違えたのだろうか。ネウロに怪訝な視線を送り――はっとした。ネウロは彼を、堀口明を見て言っていない。


「あなたの発する気配は、その姿が仮のものであると語っていますよ」


 とくん。ふと、わたしの手の中で何かが脈打つ。え、と声が漏れる。心臓が早鐘を打ちはじめた。しわくちゃな老婆の手首に視線を送る。まさか。彼女は死んでいるはずだ。だって、心臓にナイフが突き刺さっている。


「ハハハ……正体、ねえ。もう見てるだろ? 今のおまえらの目の前にいるのが、誰も気付かなかった、俺の正体さ」
「答えになってねーぞ!」


 筒井刑事が鋭く叫ぶ。


「現場に散乱した“赤い箱”! 人間にも平気で手を出す残虐性! 俺が聞きてーのは、てめーがあのXなのかってことさ!!」


 違う、ネウロが言っているのは、堀口明の正体じゃない。


 ――おばあちゃんだ。


「Xか。あいつに皆が恐怖してる……バカげたことさ」


 わたしは辺りを見渡した。誰も、ネウロの真意に気付いていない。おばあちゃんに注意を払ってもいない。わたしはもう一度、老婆の手首をぎゅうっと握り締めてみた。脈はない。次に、心臓付近に頬を近づけ、辛抱強く耳をすませた。とくん。弱くほとんど聞き取れないが、微かに聞こえた。老婆は生きている。


 わたしは無表情を取り繕い、顔を上げた。ネウロの反応からすると、老婆は奇跡的に助かったわけではない。恐ろしい力を秘めているがゆえに、生きていると推測できる。わたしは楽しいことは好きだが、こういう不気味で反自然的なものと対峙しようと思うほど無謀じゃない。命あっての人生だ。何気なく老婆から距離をとり、無理矢理堀口明に意識を向けた。


「標的を決めたら、どんなものでも盗んでのけ、残されるのは、たったひとつの“赤い箱”!」


 彼の無遠慮な言葉は、わたしの意識を老婆からいとも簡単に離した。先日言った言葉はちっとも功を奏していないようだ。残されるのはそれだけじゃないって言うのに。


「あいつはもう犯罪者というより芸術家さ! 先入観にとらわれずに、Xをもっと知る努力をしてみろよ! そうすれば恐怖じゃなく、憧れを抱くはずさ! その絶対的な“悪”の才能に!!」
「違う」


 思わず声に出していた。その場の視線がわたしへ向かう。面倒くさいことをしてしまったと一瞬反省したが、後悔はしていない。


「先入観にとらわれているのはあなたの方だ。Xを神聖で神々しいものとしか見ていないんだ。人を殺すことが芸術なら、そんな芸術はいらないし、あなたがそんなことを本気で考えているなら、あなたは死んだ方がいい」


 我ながら辛らつな言葉が飛び出す。堀口明はむっとし、湿疹だらけの両腕をわたしに突きつけた。


「これを見ろよ。あいつの事を考えてるだけで、鳥肌が止まらないんだ。これを芸術と言わずして何と言う? 身近で赤い箱を見るチャンスにめぐり合えたあんたは感謝すべきだし、俺のXに近づくための第一歩の貢献できた俺のばあちゃんはきっと幸せだろうさ」
「……ひどい」


 弥子ちゃんが青い顔で呟いた。


「自分のおばちゃんを殺したっていうのに、人生勉強か何かぐらいにしか思ってない……」


 その時、欠伸が聞こえた。場違いな行為に、その場にいた者皆が音源を見る。ネウロだ。ネウロが退屈だという表情を隠さずに堀口明を見つめる。


「あなたの底の浅い正体など、誰も興味を示してはいないのですが」
「何ィ……?」
「少し静かにしてもらえますか?」


 ネウロは虫を払うように手を振ると、「さぁ、もう誤魔化せませんよ」とこの場に不釣合いなほど爽やかな笑みを浮かべた。


「いつまで正体を隠すつもりですか?」
「……だから言ってんだろうが! これが俺の真の姿……」
「ガハッ」


 誰かが、咳き込んだ。


 堀口明が振り向いて、こっちを見る。そして、目を見開いた。


 わたしは老婆の方を見た。血を吐き出したのが見えた。


 老婆の視線がわたしを捕らえ、そして無邪気に笑った。妙に若々しいその仕草に、違和感を覚えた。


「……おい…うそだ、ろ……?」


 体中が軋む。老婆の体から段々ナイフが押しだされる。表面の細胞がぐにゃぐにゃ曲がり変異していく。


「あーあ……マズったな。まさかこんな僻地で正体バレることになるなんて、夢にも思わなかった……」


 なぜか、ここに来る直前でネウロに語った、Xの話が思い浮かんだ。






――「Xにまつわる最大の謎はね。誰1人、彼の姿を見たことがないこと。どんなに厳重に

警戒されてても、公然と犯行を繰り返し、誰1人として、影も形もとらえていないことなんだよ」
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