コイン

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「……なんか変な気分」


 しばらく経って、弥子ちゃんがヒソヒソと話しかけてきた。


「こんな隠れない尾行なんて……」
「違うんだよ、弥子ちゃん。コソコソ隠れながら行った方がかえってバレやすいんだよ」
「ユウの言うとおりだ」


 ネウロが口を挟む。


「王者の如く堂々とふるまえば、例えばこんな事をしても――」


 弥子ちゃんの口に手を突っ込みそのまま後ろへ引っ張る。寝違えたような音と呻き声が閑静な住宅街に響き渡った。


「……?」


 堀口明が振り返る。


「何だ今? どこかで変な音が――」


 どんどんこっちにきて、弥子ちゃんに触れるか触れないかの距離まで近寄ると――


「――気のせいか」


 ――踵を返して、戻っていった。


「な? ここまで近づいても気づかれない」
「さっすがネウロ」
「惚れ直したか、ユウ」
「ごめんね、元々ネウロに惚れてないの」
「ちょっと、ユウ! 少しは私の首の心配してよ!!」
「弥子ちゃんうるさい」
「あ、すいません」


 反射的にそう答えた後、弥子ちゃんが「あれ、なんで私謝ってんだろ」と情けない声を出した。


「隠してくれるのは視覚だけみたいだから、騒いじゃ駄目だよ。ちなみに嗅覚も分かっちゃうみたいだから、あんパンも食べちゃ駄目だよ」
「そんなぁ……」


 弥子ちゃんががっかりする。あんパンに匂いなんてあるわけないのに。漏れそうになる笑いを必死で堪え、わたしは弥子ちゃんに忠告した。


「お人好しも大概にしなね、弥子ちゃん」
「え、今なんか言った?」
「うぅん、何も」


 わたしは首を振ると、ネウロを倣って歩き出した。弥子ちゃんはそんなわたしを訝しげに見つめていたが、肩を竦めて溜め息をついただけで、特にわたしに何か言おうとはしなかった。


 それから更に数十分後。ようやく目的地らしき廃ビルに辿り着いた。


「……こんなとこで何する気かな?」
「ねぇ弥子ちゃん、」


 周囲を確認しながら入っていく堀口明を見て考え込む弥子ちゃんに、わたしは小声で話しかけた。


「何か臭わない?」
「え、あ、私アンパンなんか食べてないから! ほ、ホント食べてないから! いやホントに!」
「弥子ちゃんうるさい。口の端にあんこついてる。そうじゃなくて、」
「血の臭い、か?」


 ネウロがわたしの先を続ける。わたしは小さくうなづいた。強い風が吹くたびに、本当に微かだけれど、血の生臭さが鼻を刺激した。それは、ビルに近づけば近づくほど強くなっていく。


「何やるつもりかは知らんが、少なくとも逢引きやダンスの練習ではないのは間違いないな。行くぞ」


 ネウロの幾らか緊張した掛け声で、わたし達も静かに突入した。階段を忍び足で登りながら、わたしは考えた。


 ――この青年は、誰を殺したんだろう、と。
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