コイン

□3
1ページ/4ページ


 はるか頭上で満月が白い光を放つ深夜一時。わたし達は堀口邸の門の前に堂々と立っていた。


「依頼人の話なら、奴の息子はそろそろ出てくる時間だな」
「分かってるなら、こんな風に門の前に突っ立ってないで、さっさと隠れたりした方がいいと思うんだけど」


 ネウロに一言提案すれば、「そうだよ!」と弥子ちゃんも便乗した。


「尾行って、それなりの技術がいるんでしょ? しかも、これから尾ける人……カンは良さそうだよ。父親の尾行をことごとく撒いた位だし」


 わたしは要領の悪そうな堀口さんを思い浮かべ、あの人の尾行なら誰にでも撒けそうだなどと失礼なことを考える。


「それに私達、目立たない服着てないし。……あんパンは雰囲気づけに持ってきたけど」
「カンのいい人を尾行するっていうのに、あんパンを食べる余裕があると考える弥子ちゃんの思考はどうなってるのかな」
「まったくだ。貴様の思考能力はゾウリムシ以下だな。いや、ゾウリムシの方がまだ考える。ゾウリムシに謝れ、ヤコ」
「……ユウが来てからネウロの言葉の暴力が更に激しくなった気がする」


 落ち込むヤコちゃんを尻目に、ネウロがふむと考え込む素振りを見せる。


「……しかし、確かに目立つな。今の貴様らでは、はきだめにゲロだ」
「ツルね。ゲロ目立たない」
「品が悪いよ、二人とも。もっとオブラートに包もうよ」
「そうか、ゲロの方が目立たないのか」


 ネウロはわたしが嫌がることを知ったからか、更にその単語を強調した。


「では貴様らをゲロにしてやろう」
「……へ?」


 嫌な汗が背中を伝う。弥子ちゃんと顔を見合わせた。逃げた方がいいね。うん、そうだね。わたしもそう思ってた。一瞬でアイコンタクトを交わすと、ネウロから離れるべく駆け出――せなかった。


「喜べ。お似合いの嘔吐物になれるのだ」


 わたし達の腕を両手でしっかり掴んだネウロが、悪人面で笑った。






魔界777ツ能力


毒入り消毒


   




 ネウロが上へ向き、濁った液体を吐き出した。それは噴水のように吹き上がり、一瞬止まると、弥子ちゃんとわたしに目掛けて一直線に落ちてきた。咄嗟に目を瞑り息を止める。肩が強張った瞬間、頭からねばついた液体を被った。


「……えーっと。わたし、何かネウロに悪いことしたっけ。してないよね。何、喧嘩を売ってんの?」
「何かの嫌がらせ? 悪質なとろろみたいな……」
「問題ない。じきに馴染む」


 わたし達二人の文句を一蹴する。馴染んじゃうのは、それはそれで問題な気もするけど、ただの勘違いだろうか。


「鏡をみろ。もう目立つまい」


 言われた通りに、近くに駐車されていた車のサイドミラーを覗き込み、あっと声を漏らす。隣で弥子ちゃんの息を呑む音も聞こえた。それもそのはず。ミラーに映り込んでいた自分の姿が消えていき、背景が透けて見えているのだから。


「液体が色を発して、背景との色彩差を相殺する。いわば、消視液だ」


 ネウロの説明を聞きながら、わたしは腹の中から湧き上がる興奮を堪えていた。さすが魔人だ。人間が数百年かけても成し遂げられなかったことをいとも簡単に体験させてくれる。こういうことこそが、わたしの求めていた刺激だ。ネウロについてきてよかった。


「存在自体の解析度を下げるイビルブラインドと違って、こちらは範囲も限定されず、長く効くので尾行向きだが、如何せん消せるのは視覚のみ。会話と足音には気をつけろ」
「でも、わたしにはネウロと弥子ちゃんが普通に見えているけど」
「同じ液を被った我々同士は見えるハズだ。指は何本だ?」


 ネウロが枝分かれした2本の指を弥子ちゃんに見せた。弥子ちゃんが冷や汗をかき「わかんない……」と呟いた。ネウロがおかしいな、と悪意の篭った笑みを浮かべる。


「……もっと近くで…――」


弥子ちゃんの眼球スレスレまで棘の生えた指を近づけた瞬間、鍵の開く小さな音がした。堀口邸のドアが開いたのが分かったのか、ネウロはサッと手を引っ込めた。


「……おっと」
「やっと来たか」


 目深に帽子をかぶった青年が、キィと門を開ける。顔はよく見えないが、間違いなく堀口明だ。彼はそのまま静かに門を閉めると、わたし達とは反対の方向へ歩き出した。誰からともなく彼の後を追い歩き始める。息を潜めることもなく、隠れることも気を使うこともない。堂々とした、何とも奇妙な尾行が始まった。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ