コイン

□2
1ページ/4ページ




 わたしのバイト先である魔界探偵事務所は陰気くさい……ごほん、少し古風なビルの4階にある。ガタのきている非常階段を使いたくなければ、かび臭いエレベーターに乗り込むしかない。さっさと改築すればいいのに。そう思わずにはいられない。けれど、ネウロが言うには癪気の漂うこの感じがいいそうだ。普通の人間であるわたしには、どうも理解できない。溜め息をつき、弥子ちゃんと共にエレベーターを降りる。ドアを開ければ、そこにはいつものようにネウロが1人で待って――


「何なのよ! 話ぐらい聞いたっていいじゃない!!」


 ――いなかった。
 いや、ネウロがいるのはいつものことなんだけど、甲高い声で喚くおばさんがいるのはいつものことじゃない。


「うちの主人が殺されてんのよ!? 未だ犯人が分からないから……だからわざわざアンタんとこ依頼に来たっていうのに!!」


 弥子ちゃんが怪訝な顔してドアの隙間から部屋を覗き込む。わたしはいずれ怒って出てくるであろうおばさんの為に、端の方に身を寄せて立っていた。


「お引き取り下さい」


 ネウロの、無関心をまったく取り繕おうとしない声が聞こえる。


「先生は仕事を選びます。あなたのような、つまらない方の依頼など、お引き受けにはならないでしょう」


 おばさんの顔はきっと今頃は怒りで真っ赤なはずだ。


「ちょっと名前が売れたからって調子乗って! 帰るわこんなとこ!」
「お気をつけて」


 ネウロの事務的で無関心な声と共に、扉が乱暴に開く。激しい足取り、勢いよく揺れて壁に当たるバッグ。ネウロの「お気をつけて」は、もしかしたらおばさんの体ではなく、この事務所を心配した言葉なのかもしれないな、なんて思ってみる。大いにあり得る。わたしは笑みを漏らした。おばさんがきっと睨む。おお怖い。


「どーも」


 一応愛想笑いを浮かべて挨拶をする。弥子ちゃんが慌てて「あ、ど、どうも」とわたしに倣って居心地悪そうな笑みを浮かべる。おばさんの表情が更に険悪になった。


「人でなしッ!」


 おばさんは親指をピっと下に向け、荒々しく去っていく。弥子ちゃんの表情が強張った。


「品がないねぇ。初対面の女性にあんな野蛮なポーズをとるなんて」


 硬直した弥子ちゃんの脇をすり抜けざま、溜め息を共に吐き出す。ソファへ座り込んだ時、「初めてだよ、こんな仕打ち」と、弥子ちゃんが呆然と呟いた。


「お、来たかヤコ、ユウ。遅いぞ」


 白々しくそう言ってみせるネウロに、わたしは笑顔を向けてみせた。


「あの態度はだめだよ、ネウロ。仮にも相手はいい金蔓なのに」
「あんたこそその言い方はだめでしょ、ユウ」
「あの女は我が輩にとって価値のない依頼人だった」


 ネウロはまったく反省するそぶりを見せない。


「謎の気配をまとってないのだ。何のトリックも使わない殺人だろう。おそらくは簡単な手がかりを見落としただけのな」
「……アカネちゃん」


 どこか腑に落ちない表情だった弥子ちゃんが口を開く。


「今の人の連絡先わかる?」


 コクン、とアカネちゃんがうなづいた。


「一応その事、伝えとこっかな」
「優しいねえ弥子ちゃんは」
「あんた、絶対心からそう思ってないでしょ」
「思ってるよ。わたしには到底できないもん、そういう親切な真似」


 本当かなぁ、と言いたげに弥子ちゃんが下唇を突き出した。ネウロが背もたれに思い切りもたれかかり、社長椅子が音を立てて軋んだ。


「依頼人は確かに増えたが、なかなか来ないものだな。我が輩の脳髄の空腹を満たす“謎”を持った来客は」


 遠い目をして溜め息を吐く。その様子が何だか自分と重なる。
 なかなか来ないものだな。わたしの脳髄を満足させる“面白いこと”をしてくれる来客は。
 こっそり胸の中で、彼の口調を真似てみた。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ