コイン
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「ユウは……変わりたいって思っているんだよね」
「うん。わたしは疑り深い人間だから、わたしのこと好きって言ってくれた人がいても、その人の言うこと信じられない。自分が愛されるに値するほどの価値を持った人間だとは思えないから。だから、せめて、自分は愛される価値のある人間だと、自分で思えるくらいにはなりたいんだ」
なぜだろう。弥子ちゃんと話していると、言葉がするする出て、思考も纏まってくる。視界がひらけ、原因が見えてくるような気さえした。
「でも、そうだね。やっぱりズルしたのがいけなかったんだな」
「ズル?」
うん、とうなづく。
「やっぱり、自分で変わろうと努力しなくちゃいけなかったんだよ。きっと、楽して手に入れたものは一時的なんだ。今回だって、変われた気分に浸れただけだった。きっと、自分で頑張って克服しなくちゃいけなかったんだ。わたしは甘えてたんだよ」
「笹塚さんに?」
「笹塚さんに」
「あ」
弥子ちゃんが、イタズラの成功したような笑みを浮かべた。
「何?」
「ユウ、今初めて笹塚さんって言ったね」
「本当だ。今までずっとお兄ちゃんだったよね」
そして、ここ一週間はずっと“あの人”呼びだった。今まで信じていた“お兄ちゃん”が崩れ、どうすればいいのか分からなかったからだ。弥子ちゃんが優しく微笑んだ。
「その呼び方だと、何だか二人には切れない絆があるんだって感じがして、私、好きだったんだ」
「わたしもそう思う。きっと、それも甘えだったんだよ」
「え?」
「その呼び名を使うことで、あの人は特別なんだって、こっそり主張してたんだよ」
わたしはにやっと笑った。これにも嘲りの色が混じっていた。弥子ちゃんは笑わなかった。
「主張していいと思うよ。だって、ユウは笹塚さんの特別だもん」
わたしが、彼の特別。考えてみる。しっくり来ない。けれど――もし、そうだったら。考えかけて、首を振る。
「あの人にはもう、別の好きな子がいるって聞いたけど」
「そうなの?」
「らしいよ」
弥子ちゃんが眉を潜め、それから断言した。
「……絶対なんかの間違いだと思う。ねぇ、ユウ」
「何?」
「もしあんたが変われたら、笹塚さんに告白してみたら? 愛される資格があるって思えるくらいになったら、誰かの好きも素直に受け入れられるようになると思うよ」
弥子ちゃんの言葉をかみ締め、じっくり考える。確かに、弥子ちゃんの理屈は分からなくもない。けれど。わたしは首を振った。
「分からないかなぁ、弥子ちゃん。あの人はあたしのこと、好きじゃないんだよ」
「でも、ユウは、まだ笹塚さんのこと好きなんだよね?」
「……」
――悲しいことに、図星だ。わたしは緩く微笑んだ。
「このままにしておいたら、絶対、好きって気持ちと言っておけばよかったーって後悔がどんどん膨れ上がってくるよ。それに耐えられる?」
無理だ。結論はすぐに出た。何もなかった時でさえ、わたしの脳は彼への思いで溢れかえっていた。それに後悔が加わったら、わたしのキャパシティはパンクしてしまう。
「……考えとく」
わたしはそれだけ言った。本当は、ほとんど告白する方に心が傾いていたけれど。うまく誘導された感が否めないが、それはそれで構わない気がした。弥子ちゃんがにっこりと、嬉しそうに笑った。
「うん。考えといて」
わたしの返答に満足したのか、弥子ちゃんがんん、と伸びをする。そして、一気に力を抜いた。
「……でも、なんか不思議だな。ユウって何でもできちゃって、何にも困っていないイメージだったから、こういう風にうじうじ悩んでるの、新鮮」
何言ってるの弥子ちゃん、とあたしは呆れる。
「悩みのない人間なんているわけないでしょ」
「うん、でもユウは例外だと思ったの」
でもよかった、と弥子ちゃんがわたしをまじまじと見つめた。
「あんたも同じ人間なんだね。可愛いところもあるし、弱いところもある」
――弱い。決して褒められているわけではないのに、自分のことを言い当てられて驚くと共に安心するような、そんな感覚が胸の中に広がった。
「そう――わたしは弱いんだ」
その言葉をかみ締めながら、わたしは認める。なぜか、少し楽になれた気がした。弥子ちゃんが静かに「そっか」と相槌を打った。
「……じゃあ、強くならないとね」
ばしっとわたしの背中を叩く。それは女子高生とは思えない力強さと、同時に温かさで溢れていた。
「じゃあ、行っておいで!」
わたしは立ち上がる。そして少しだけ歩き、またすぐに立ち止まった。
「……弥子ちゃん」
振り返り、首を傾げた彼女に疑問をぶつける。
「何でそんなに尽くしてくれるの?」
弥子ちゃんは、一瞬質問された意味が分からなかったらしい。しばらくして、「だって、私達友達じゃない」と、至極当たり前のことを言う調子で答えた。
「それに、言ったでしょ? あんたも笹塚さんも大切な人だから、幸せになってもらいたいの」
そこには、偽善も不自然な装いも何もない。彼女の心からの言葉だ。こういう大切な言葉を、躊躇いもなく自然に言えるなんて、格好いいな。わたしは笑った。
「……わたし、弥子ちゃんみたいになりたい」
弥子ちゃんはその言葉を理解した途端、顔を赤くして照れたように笑った。
「私、そこまで言ってもらえるような人間じゃないんだけど……でも、ありがとう」
この場合、どういたしましては不適切だ。わたしこそが、彼女に救われたのだから。
「……こちらこそ、ありがとう」
わたしはいたずらっぽく笑ってみせると、気が変わらないうちに全て済ませてしまおうと出口へ歩き出した。