コイン

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「丁度よかったんだ。誰になって潜り込もうか考え事をしている時に、月を見ながら考え事をしている犬がいたもんでさ。替わってもらった」


 皆が唖然とする中、一人独白を始めるX。わたしはそれをぼんやりと聞き流していた。――Xは、お兄ちゃんになってはいなかった。


「体への負担以外はなりすますのは簡単だったよ。だって、人前で喋らなければ済むんだもん。まぁ、ユウに会った時喋りかけられなかったのはちょっと辛かったけどね」


 やっほー、と軽く手を上げ挨拶される。わたしは他人の振りをした。しょぼん、と彼の犬耳が垂れ下がる。ここで彼は思い出したように「あれ」と耳に手をやった。


「耳はどうやって引っ込めるんだっけ」


 Xはそう呟いてしばらく考え込み――


「――まぁいいや」


 自らの手で犬の耳を引きちぎった。裂け目から赤い液体が溢れる。彼は耳を投げ捨て、さて、とネウロに視線を向けた。


「至近距離から顔面へのショットガン。普通の人間なら死んでるけど、あんたはどうかな?」


 ネウロの体へ近づき、「これは……」と眉をひそめる。ジャキ、と安全装置をおろす音がした。


「……まぁ、死んでるには死んでるけど――違うんだ」


 Xが照準をネウロに合わせる。弥子ちゃんが目を見開いた。


「俺が見たかった中身はこれじゃない。もう一発――」


 ドゥン! 爆発音が聞こえ、一瞬耳が遠くなる。Xが無言で自分の手のひらをかざして見せた。彼の手の甲には穴が開いている。わたしは音のした方へ振り返った。そこにはいつの間にかあたしから離れていたお兄ちゃんが銃を構えて立っていた。そして、続けざまに四発、彼の銃が火を噴く。


「……あれ」


 Xがびっくりしたように、自分の体を見た。肩と膝に二発ずつ。やがて、彼の体ががくん、と崩れ落ちた。


「弥子ちゃん……そいつから離れてこっち来い。石垣……家の住人を非難させろ。他の者は奴を狙え」


 お兄ちゃんの声は低くて硬い。わたしは弥子ちゃんの腕を掴んでぐいっと引き寄せた。石垣さんや他の人間は……顔に恐怖をへばりつかせたまま、動かない。当たり前だ。犬がXになるなんてショッキングな出現を目の当たりにしたのだから。わたしはXを見た。彼の体はガクガクと異常なまでに震えている。何をしているんだろう。不安でしょうがない。回復をしている? それとも――死んじゃうの? わたしは嬉しい? 悲しい? ――わからない。


 不意に家の住人の一人でプロレスラーを生業としている利参が、Xの背後ににじり寄った。


 ――よせっ、やめろ……


 お兄ちゃんの無言の訴えに目もくれず、彼は舌なめずりをした。弱った、しかも少年の風貌をしたXなら勝てそうだ、それで名前を上げてやる。そんな欲望に満ちた表情をしている。


「ド真ん中立っちゃいます!!」


 Xの脳髄に鉄拳を食らわせようと大きく振りかぶる。彼が不意に動きを止めた。Xが振り返り彼を見た。


「――なに?」


 途端に威圧感が辺りに広がる。利参は瞬時に怯えた表情になり、じりじりと後ずさりはじめた。まるで半径一メートル以内にいたら殺されてしまう、と言うかのように。彼はやがて一気に飛びのいた。半径一メートルから抜け出し、安堵の表情を浮かべる。と、その次の瞬間。


「うん。悪くないよ、刑事さん」


 Xがぴょんと利参に飛び掛り頭を掴むと壁に物凄い力で叩きつけた。


「一発目で武器を落とし、次の四発で四肢の四発を墓石、周囲を護るために一発残して弾を補充せず待機」


 利参が壁にべったり頭部の血をつけながら崩れ落ちる様子を背景に、Xがにっこり笑う。――人の死って、こんなに軽かったっけ。わたしはその光景を呆然を眺めていた。


「データの少ない俺に対して、とっても正確で冷静だ。あと」


 Xが布のチャックをじじっと胸元までひき上げる。


「聞こえないように見えないように動いてるけど、気配が観察できるよ。外に警官が二十九……いや、三十一人。包囲の完了まで早くて二分てところかな」


 ――そんなことまで分かるなんて。弥子ちゃんが青ざめるのが見えた。お兄ちゃんは胸元に手を突っ込み、シャっと何かを投げつけた。


「なるほど、隠し持ってた刃物はここで使うんだ。最後の弾はあくまで俺を殺す為の非常用か」


 Xが前に出る。彫刻用の刃物が、背後の壁に突き刺さった。


「でもね、刑事さん」


 ふわっと。Xがお兄ちゃんに抱きついた。優しく、その四肢を絡ませて。


「最初から殺す気で攻撃しなきゃ……俺は捕まえらんないよ」


 Xは笑顔で抱きついて、何をする気なんだろう。いや、まさか――


「やめて!」


 わたしが大声を出したのと、Xが腕に力をこめたのと。それは、同時だった。メキッバキッボキッ。重い何かが折れる音。そして、――グチャリと。大事な何かが壊れる音がした。


 お兄ちゃんの顔が奇妙に歪む。口から血を吐き出し、


「逃……げろ……」


 膝をついて、倒れこんだ。


「あんた、あの時の刑事だよね。俺と彼女の邪魔をした、さ」


 Xが彼からくるりと背を向ける。


「すっごいむかついてて、会ったら殺してやろうって思ってたんだけど。でもちょっと楽しかったし、その勇気と腕と知恵を評価して……あんたは今日はこれくらいにしておいてあげる。……さて」


 Xがぺろり、と舌を出して血にまみれた指を舐めた。


「邪魔者もいなくなったし、あんまりグズグズもしてらんない」


 やるべきことを……やってしまわないと。Xはそう言って口の端を吊り上げた。
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