コイン
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「……前言撤回」
「賭けてもいい。今頃絶対あの子お母さんに“おじゅけんって何ー?”って聞いてるよ」
「かもね。あーあ、あんな映像流しちゃうなんて、あれじゃあ頑張って色々用意した主催者側の人達が可哀想だよ」
【まったく……なんでガキの落書きを庁舎の前にかざらにゃいかんのだ。私としては高尚な美術品を……】
【市長、笑顔笑顔。2期目へのプラス材料になるんだから】
弥子ちゃんが閉口する。わたしは「ねっ」と歯を見せた。
「下手な歌手デビューの方がまだ涙を誘うでしょ?」
「……そうですね」
乾いた笑みを貼り付けて弥子ちゃんがうなづいた。
【あっ、いよいよ序幕の瞬間です!!】
3、2、1と群衆がカウントダウンをはじめる。ゼロと皆が叫んだと同時に、市長が満面の作り笑いで布をひっぺがした。大きな横長の長方形の正体が露になる。その時、世界を静寂が覆った。そんな風にわたしは感じた。テレビに映ったのは、子供達の心の籠もっていない落書きの集大成でも適当な文章の寄せ集めでもない。綺麗に積み重ねられた5×8。つまり40個の赤い箱。
――怪盗X。
「……ほう」
思い出したように悲鳴を上げ大混乱に陥った群衆を眺め、ネウロがニヤリと笑う。
【赤い箱です!!“平和の壁”のモニュメントが赤い壁に摩り替わっています!!】
その手には、赤い便箋が握られていた。
「見ろ、ヤコ、ユウ」
【あ……あ! 赤い箱に何か紙が貼ってあります】
「同じ紙がここにも届いているぞ」
その言葉に、急いでネウロの傍に駆け寄り、手紙に目を走らせる。
――こんな粗大ゴミはいらないけど
――今は“最後の自分像”が欲しいです
【これは、まさか……怪盗Xの犯罪予告?!】
「どうやらこれは……奴なりの我が輩へのディナーの招待状らしいぞ」
わたしは最後の方に小さな文字で書かれていた追伸を読んで、思わず乾いた笑みを浮かべてしまった。
――追伸
――“謎”をそろえてお待ちしています
――俺の兄妹を忘れずに連れて来て下さい
「これがディナーの招待状……?」
弥子ちゃんが恐る恐る手紙を手に取る。
「奴の目的は、我が輩を殺して粉々にして観察することだ」
ネウロがテレビに見下すような視線を送る。
「“謎”を揃えて待っていると書いてある。つまりこれは、奴なりにエサをまいたつもりなのだろう。言われてみれば、かすかに“謎”の可能性を感じ取れる」
そういえば、ネウロの髪飾りがかすかな光を放っている。
「この事務所からおびき出し、少しでも殺しやすい状況を作ろうというのだろう」
いいだろう。ネウロがにやりと笑った。
「奴の我が輩への執着など知ったことではないが……食事を用意した心構えは買ってやる。招待されてやろうではないか」
そうネウロが言った時。わたしのポケットが振動した。
「ちょっと失礼」
液晶に表示された名前を確認するやいな立ち上がり、部屋を出る。
「もしもし」
「俺だけど」
お兄ちゃんの声が、鼓膜を気持ちよく振動させた。
「大丈夫?」
「何が?」
わざととぼけてみると、お兄ちゃんがためらうように黙り込んだ。そんな彼に、わたしはつい笑みを零してしまった。
「ごめん。ちょっと困らせてみたかっただけ」
ちょっとしたことでも心配してくれたりと大事に扱ってくれることが少しくすぐったくて。ついとぼけてしまった。
「Xのことでしょ?」
「ああ」
遠慮がちに答える。わたしは大丈夫だから、と言ってみせた。
「別にXと対峙したわけでもないし、それにわたしはそんなにヤワじゃない」
「……そう」
お兄ちゃんが安心したように息をついた。それを聞いて、わたしはとあることを思いつく。
「心配した?」
「当たり前だろ」
低い声が即答する。
「お前は俺にとってただ一人なんだから」
その優しい声と言葉に、わたしは思わず泣きそうになった。
「……ありがと」
胸をゆるゆると締め付ける熱い痛みに、わたしは小さく笑ってみせると、小さくじゃあと言って電話を切った。――だめだ。捨てきれない。大切だとか、ただ一人だとか。お兄ちゃんのそんな一言一言を勘違いしてしまいたくなる。もしかしたら。もしかしなくても。わたしはお兄ちゃんのことが好きなのかもしれない。いつの間にか依存が恋に、摩り替わってしまっていたのかもしれない。
「――どうしよう、」
お兄ちゃんはわたし以外の誰かが好きなのに。
――「不純だ!」
以前に埠頭で笛吹さんに言われた言葉を思い出す。下手に気持ちを丸出しにしたら、回りの人に“未成年に手を出した”と誤解させてしまうだろう。
「抑えるべき、なのかな」
お兄ちゃんにはもう既に好きな子がいる。何も言わず、今まで通りにするべきなのだろうか。
「はあ……」
頭の中でXとお兄ちゃんとまだ見ぬ彼女がぐるぐる回る。壁によりかかり目を閉じた。きっとわたしは、そうしなければならないし、そうするのが正しいのだろう。何で十年前、お兄ちゃんの前から姿を消してしまったのだろう。もし、十年前に逃げなかったら。今よりも深い関係になれただろうか。まだ見ぬ彼女ではなく、わたしを好きになってもらえただろうか。溜め息をつく。何やっているんだろう、わたしは。そんなこと考えても、意味なんてないのに。
「……ははっ」
お兄ちゃんの心配は本当にただの杞憂で終わった。わたしはXが再び現れたからといって、全然怖がっていたりなんかしていない。わたしの眼中にXはいない。Xなんか、どうでもいい。今は、
「お兄ちゃん、」
あなたのことが気になって、仕方がない。