コイン

□33
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【あんたは得意じゃないとか言ってるけど、プリン普通に美味いよ】
【そ――】
【……あんた、俺の言ったこと信じてないだろ】
【でも、だって、いつもつれてってもらうレストランで食べたプリンの方が明らかにおいしいじゃん】
【口開けろ】
【え?】
【いいから開けろ】
【……】
【あーん】
【あー……】


 あけてからしまった、つい、とでも言うように女の子の顔に後悔が過ぎる。そんな少女に構わず、青年は少女の口にさじですくったプリンを突っ込んだ。


「71点。馬鹿だよねぇー。あーんって言われて条件反射で口あけちゃうなんて一体どういう教育を受けてきたんだか。これは哺乳類ヒト科のイキモノとしてやばい。早死にするよ、この子。まぁアホなのがいいってのもアリっちゃアリなんだろうけど。それにしてもこの子アホさ加減がヤコちゃんそっくり。あぁでも弥子ちゃんはあーんて言われるまでもなく自発的にプリン食べるか」


 そんなドラマの一シーンを誰に言うでもなくぶつぶつと批評するユウ。その隣で、俺は読んでいた本から目を上げた。


「文句ならキャストじゃなくて脚本家に言ってやれよ。こいつらはただ言われたとおりにしているだけなんだから」
「分かってる。分かってるんだけど……」


 そういうと、ユウは溜め息を一つついてテレビの電源を消した。


「やっぱりわたしはドラマとか好きになれないや」
「俺もあまり好きとは言えないな」


 表情が翳ったユウにさりげなくフォローを入れる。


「裏には常に脚本があって、その通りに動いていると思うと、素直に楽しめない」


 ――俺でさえそう思うんだ。君がそう思うのは普通のことで、君がひねくれてるからじゃない。


「ありがと、お兄ちゃん」


 そんな言外の意味を察したのか、ユウが表情を和らげた。


「でも、あんまりわたしを甘やかしすぎると、どんどんお兄ちゃんに甘えて困った事になっちゃうよ。そして人はそれを」
「依存と呼ぶ」


 言葉を遮られ驚いたように目を見開くユウに構わず俺は続けた。


「別にいいじゃん、依存したって。言ったろ。俺はユウに依存されるのは嫌じゃないし、むしろ俺が甘やかしたいんだ。君もまだ一応子どもなんだから、大人に素直に甘えてもいいと思うけどな」


 ――そう、依存されるのは嫌じゃないし、むしろ俺が甘やかしたい。小さいけれど、力のこめられた白い手。冷え切った指先。でも、胸元をくすぐる温かい吐息。弱い部分をさらけ出される度に、その震えた手で縋られる度に、俺は快感と喜びに震える。自分だけという快感と、必要とされる喜びに。


 そして、その喜びを得る為に、俺はユウを救わない。


 ユウは今情緒不安定だ。自分を悪い子だと思い込んでいるし、それがゆえに幼い頃からのささやかな悪夢を振り払えずにいる。もしここで、俺が彼女を救うチャンスを与えたら、彼女は立ち直り、俺から自立していくだろう。でも、俺が何もしなかったら。悪夢に震える彼女に優しい言葉をかけて甘やかし続けたら。彼女はきっと、俺に溺れていく。俺なしじゃ生きられないほどに。――こんなことを考えなおかつ実行に移している俺は最低だ。そう溜め息をついた瞬間。


「……あ」
「……嘘」


 視界が真っ暗になった。


「――ユウ!」


 停電だ。そう気付いたときには既に俺は短く叫んでいた。


「わたしはここにいるよ」


 普段と何も変わらない淡々とした声で答えられる。


「停電みたいだね」
「……まあ、そうみたいだな」


 ここまで普通の態度だと、一瞬でも焦った自分が馬鹿みたいだ。冷静になった俺はバレないように小さく溜め息をつくと、閉じた本を脇に置き、片手でポケットをまさぐった。が、光源にしようと思っていた携帯電話が見つからない。そう言えば今日は朝から使った記憶もない。こんなに暗い中わざわざ探しに行くのも面倒だ。俺はソファに座り直した。どうせすぐに元に戻るだろう。戻らなかったらその時に何とかすればいい。


「暗いところが怖いとか、そんなんある?」
「ない」


 彼女は取り乱すことなく淡々と答える。それから「もしかして、」とからかうような色を滲ませた。


「暗いところが怖いよーわたしを守ってぇー、とか言って欲しかった?」
「いや、そういうわけじゃねーけど」


 少しだけ、嘘をつく。本当は、言われた瞬間思わず想像して、少し残念に思った。


「まあ、そういうか弱い女の子もいるかもしれないね。ちょっと停電しちゃって、ちょっと真っ暗で何も見えなくなっちゃって、ちょっと心拍数が上がっちゃって、ちょっとパニックになったりしちゃって、ちょっとしたアクシデントが、たとえば男の人と二人きりなんてアクシデントが発生しちゃって、そしてすんごーく相手を意識しちゃう女の子とか」
「吊り橋効果、か」


 吊り橋の上から見ると、異性が実際以上に綺麗に見えるという有名な話を思い出しながら、俺は呟いた。


「そうそう。胸のどきどきを脳が勝手に恋だと勘違いしちゃうアレだよ。まぁ、ドキドキするなら、ジェットコースターでも爆弾処理でも何でもいいんだけどね」


 ――爆弾処理。


「何で爆弾処理なんだ?」
「え、いや、だって、爆弾処理したときドキドキしたから。それだけ。別に深い意味はないけど」
「あぁ、そう……」


 何食わぬ顔で言ってみせたけど、実際の俺の心臓はうるさくて、それどころじゃなかった。――爆弾処理だって。じゃああの時俺が、ユウのことを綺麗だと思ったのは、俺がユウにこの感情を抱き始めたきっかけは。


「その話聞いて思ったんだ。ああ、恋愛ってまさに究極の勘違いなんだなーって」


 ――ただの勘違いだとでも言うのか。


「勘違いで相手を好きになって、勘違いで好きがどんどん大きくなっていって、それで勘違いが冷めて相手と別れる。そう考えると、何だかなあ……」


 勘違いでユウを好きになって、勘違いで好きがどんどん大きくなっていって、それで――


「俺はそうは思わないな」


 気付けば、声に出していた。


「まぁ、勘違いがはじまりかもしれないけど、それでも君が言うとおり、勘違いってのはいつか魔法みたいに解けるもんだろ。全部が全部勘違いだったら、今頃人間はパートナーが見つからず子孫が残せず、でとっくに滅んでるよ」


 急に饒舌になった俺に、ユウはいぶかしむような視線を送った。


「全部が全部勘違いってわけでもないし、もし最初が勘違いでも、それが本物の愛に変われば問題ないと思うし」
「……お兄ちゃんは、本物の愛があると思ってるの?」
「少なくとも俺は、そう思ってる」


 ――この思いは、勘違いなんかじゃない。少なくとも俺は、そう心から断言できる。


「その後冷めるときは冷めるし、どんどん好きになるときは好きになる。要は自分達自身なんだよ。きっかけなんてどうでもいい。俺はそう思う」


 段々暗闇に慣れてきた目でどこか焦点のあっていないこの少女を見つめる。


「どっちにしろ、当人達にとっちゃ同じことだよ。それが勘違いでも本物の愛でもさ」


 そう、どっちにしろ同じことだ。俺がユウを大事に思っているという点では。


「そっかー」


 ユウがゆっくり息を吐く。


「そういう考え方もあるんだね……」


 ユウがそう呟いた瞬間、電気が復旧したのかぱぁっと目の前が明るく照らされた。久々の光の眩しさに目を細める直前、ユウの頬が少しだけ赤く染まっていたように見えたが、確信は持てなかった。


「復旧したな」
「うん、復旧したね」


 声を掛け合った後、俺は文庫本を広げ、ユウは再びテレビに視線を移した。俺たちの会話はそこでおしまいとなったのだった。

 to be continued.
 

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