コイン

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「失礼しまーす」
「入りなさい」


 出来るだけ厳しい声を装って促すと、面接室のドアが開き、二人が入ってきた。一人は我らが問題児、七瀬ユウ。もう一人は、その保護者を名乗る――あらやだ、いい男。


「パパ、座っていい?」
「こらこら、先生に聞いてからにしなきゃいけないと言ったでしょう? すみません、先生――おや?」


 笑いながら娘を諌めていた――七瀬さんの保護者だから、七瀬氏、でいいかしら――七瀬氏が、初めて私に気付いたというかのように私を見て、その目をじっと見つめた。エキセントリックで不思議なその目に、酔ってしまいそうになる。


「驚いた。随分綺麗な先生だ……」
「え、えぇ? 私?」
「えぇ。彼女がいつも家であなたのことを褒めていたのですが、まさか、ここまでとは……」


 うっとりしたような溜め息をついて、七瀬氏も席に着いた。そんな彼を目で追っているうちに、緊張感なく笑っている七瀬さんが目に入り、私は慌てて背筋をしゃんと伸ばした。残念だけど、今日二人をここに呼んだのは、七瀬氏に見とれるためじゃない。


「えぇと。今日こちらに来ていただいた理由はですね――」


 ここで、一息いれる。


「七瀬さんについているにおいについて、少しお話させていただくためなんです」
「におい?」
「いじめですか、先生。だとしたらわたし、今すぐわき目も振らず即刻……教育委員会に訴えますよ」
「あああ違うのよ七瀬さん」


 慌ててフォローを入れる。彼女なら本当にやりかねない。


「ただね七瀬さん……最近何というか……七瀬さん、煙草のにおいがするのよ」
「煙草ですか……」


 七瀬さんがううんと考え込む。私は「えぇ、煙草」とうなづいた。彼女がふうんと相槌を打ち、考え込み始める。沈黙が続いた。


「……はっ!」


 息を大きく飲み込む。どうやら心当たりがあったみたいだわ。私はほっとした。下手に揉め事を大きくしたくない。素直に認めてもらって、ちゃっちゃと問題点を解決してもらわなくちゃ。


「七瀬さんのお宅は色々ありましたし、大変なのも分かりますが、その……うちも一応都内でも有名ですし、それなりに校則も厳しいんです。態度が悪かったり、生活のリズムが狂ってしまっている生徒には特に。このまま生活に改善の兆しが見られないと、進学や内申に影響が」
「先生!」


 私の手が細く長い指で覆われた。グイっと七瀬氏の顔が近づき、その情熱的で魅力のある双眸に見つめられる。何だか……胸が苦しいわ。


「全て僕のせいなんです! 僕がふがいないせいなんです!」


 今にも泣き出しそうな声で七瀬氏が言う。


「彼女は幼い頃に両親をなくし、それからずっと心に傷を負って生きてきたんです。義理の弟リクトと僕とで。
しかし、この間リクトが殺されてしまいました。それは彼女の心により深い傷を負わせました。彼女が立ち直れないでいるのは、僕が……僕が、ふがいないせいなんです!」
「なっ……七瀬さん、落ち着いてください!」


 端正な顔は、切なげに歪められても絵になる……なんて考えている場合じゃないわ!


「パパ……違うよ」


 ユウさんがすっと下を向いた。


「パパはずっとわたしによくしてくれたじゃない……悪いのは、わたしだよ。弱くて、依存することしかできないわたし――」
「全て背負いこむ必要はありませんよ。僕はあなたのお父様と約束したんですから。必ずあなたを守るって……」
「パパ……」


 ……うぅぅ、何だかややこし――ごほん、奥が深そうだわ。でも、七瀬さん、とっても大変な人生を送ってきたのね。それなのに、それを理解しようともしないで、ただ七瀬さんが悪い方に走った、と勘違いした私はまだまだいい先生とは言えないのかも。反省する私に、七瀬が口を開く。


「先生、彼女の面倒は、僕が今まで以上に守ります! それに、どこに嫁に出しても恥ずかしくないようきちんと躾けます! それこそ、すっかりハマってしまって、手遅れになる前に。だから先生、どうか……どうか、進学だけは……!」
「え、えぇ……」


 七瀬氏が興奮したのか、私の顔にぐっとその美しい顔を近づけた。熱い吐息が微かにかかり、私は顔が赤くなるのを感じた。……いけない、真面目にならなくちゃ。


「私も、七瀬さんは節度を弁えた、賢い娘さんだと評価しています。ただ、その……深みにはまりすぎて、彼女本人が傷ついてしまう前に、止めさせてあげたいと思ったんです。ご家族の方がこんなにも七瀬さんを大事にしていらっしゃるなら、大丈夫ね。安心してください。彼女を必ず進学させてみせます」
「先生……」


 驚いたように顔を上げた七瀬さんは、やがてにっこりと微笑んだ。年相応の、無邪気な笑みだ。


「……ありがとう」
「とてもいい先生に持ってもらえたそうで、安心しました」


 冷静になった七瀬さんが、恥ずかしそうに手をひっこめる。あぁ、ちょっと残念かも……って、違う、そんなんじゃないってば!


「先生、これからもどうぞ、彼女をよろしくお願いいたします」
「いえいえ、こちらこそ」


 頭を下げた二人に、慌てて会釈を返しながら、私は自然に笑っていた。


――これで一件落着ね。
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