コイン
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「……で、結局はこーいう展開か」
ユウがほのめかした通り、トタンの間に塗ってあったのは外国製の強力な整髪料で、しかも鑑識にかけたら百舌の手についたであろう汗から、DNAが検出された。一気に物証とアリバイトリックが手に入り、百舌の逮捕に踏み切ることができるようになった俺達が、百舌のマンションに駆けつけたら、この通り。弥子ちゃん達探偵事務所の方でもうすでに百舌のアリバイトリックを暴いていた、というわけだ。
「先走ってすみません」
申し訳なさのかけらもない笑みで謝られてもな。俺は溜め息をつく。
「でもホラ、先生の説得で、犯人も頭を丸めて反省したし」
「……ま、もう突っ込む気力も起きねーけどな」
脱毛して本当に丸くなった百舌がパトカーに乗せられるのを見て、俺は溜め息をつき、それから弥子ちゃんの方に向き直る。
「そっちはそっちで何、その増毛? 今そんなの流行ってんの?」
「あ、ちょっと力を使って疲れてて…じゃなくて! そう! 流行ってるんです! 世相を反映したくたびれヘアー!」
「……あっそ」
ま、別にいいけどね、と呟きながらライターを取り出す俺に、弥子ちゃんがあれ、と首を傾げる。
「笹塚さん、もしかしてちょっとイライラしてます?」
「何でそう思うの?」
「笹塚さん、私達の前で煙草吸うときはいつも声かけてから吸ってるのに、今日は一言もないから……」
「悪ぃ、ちょっと疲れててさ」
「あ、別に煙草が嫌だからこんなこと言ったんじゃないです!」
煙草の箱をしまおうとする俺の手を弥子ちゃんが慌てて押し止める。
「ただ、私達がこうやってちょくちょく捜査に顔出してくるの、嫌なのかなぁーって……」
俺は無言で弥子ちゃんの手をみつめた。綺麗に磨かれた爪と、細くて長い指。女性の手だ。あいつの手は違う。あいつの手は、子どものそれみたいに小さくて、温かい。長い月日をかけて、色々変わったところもあるけれど、手だけは、俺に弱々しく縋りついていた10年前と、何一つ変わっていなかった。――もしかしたら今日、あの手のぬくもりを失うところだったのかもしれない。ふと浮かんだ考えと一緒に、あせりや苛立ちに似た感情が湧き上がってきた。
「あんたらか?」
気付けば俺は、低く唸るように言っていた。
「あんたらが、百舌のところにユウを誘導したのか?」
「百舌?ユウ?……え?」
「……彼女が?」
二人は首を傾げる。
「そんな……そんなことは有り得ないですよ、笹塚さん。
だって、私が捜査に誘った時、テレビ見たいからいかないって…」
「ふーん……捜査に誘ったんだ」
「はっ! いけない! つい口が……」
「しかし、笹塚刑事。確かにユウさんは、断ったんですよ。あの状況からして、彼女が百舌容疑者のもとに行くとは思えません」
笑みを含んだ口調が気になるものの、助手も嘘をついているようには見えない。
「あんたらじゃなかったのか……」
――「それに、最初はわたし、噛み切り美容師とは関わらないつもりだったんだよ」
なら、なぜ途中で気が変わって、俺にアリバイ崩しの手伝いをさせようと思ったんだ? 彼女に、危険な行動をさせたのは、一体何なんだ?
「……分かんねー」
「分かりませんか?」
間髪いれず、助手が声をかける。
「幼い頃、ユウさんの傍にいたあなたなら、一つ屋根の下で共に生活しているあなたなら、分かるはずでしょう?」
「……俺?」
「えぇ、あなたです」
その時、助手が時計に目をやった。
「0時」
日付が変わった、のか。
「魔法が解ける時間ですよ、王子さま」
「魔法……?」
何の比喩なのか考える俺に、助手が「えぇ、そうです」と笑った。
「彼女を魔法からそろそろ解き放ってあげてもいいんじゃないですか?」
助手の目が、俺の視線を捕らえる。その見透かすような目をじっと見ているうちに、段々酒に酔ったような、平衡感覚を失うような、そんな感覚が俺を蝕んだ。それは、Xやアヤ・エイジアのような人間達に会った時味わった、あの感覚にも似ていて――
「――そうか」
不意にある一つの考えが閃いた。もしかして、ユウは。
「石垣。悪いけど、一旦家に戻る」
「え、でも百舌の調書……」
「すぐ戻るから」
有無を言わせぬ勢いで呟くと、俺は一目散に駆け出した。ここから俺の住んでいるマンションまで、そう遠くは無い。