コイン

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「時々わかんなくなる……あかねちゃんは死体の一部なのか、髪の毛そのものなのか」
「元は死体の一部だったんだろうけど、今は髪の毛そのものと考えるべきだろうね。人間の脳は、環境すなわち体の変化に合わせて脳の構造が変化していくことができるから、きっとあかねちゃんの今の脳内は」
「そんな難しいこと言われても分かんないよ!」


 ちょ、何よその素っ気ない反応は……。ちょっと悲しい気持ちになりつつ、わたしの頭は適当なスピードで回転を始める。立場、名誉、時間。人間はそれらを守るために正義感を発揮できなくなってしまう場合がある。でも、あかねちゃんは今はただの髪だ。ほんの限られた人間としか接触しないために立場や名誉とは無縁の彼女は、それ
らを失う危惧がない為、余すことなく正義感を発揮することができる。それに、彼女の存在は今や髪そのものだ。髪に対する思い入れは、尋常じゃないものがあるだろう。それは一種の親近感や仲間意識と言ってもいいと思う。並々ならぬ正義感と、同胞意識。それらが結びついた末に彼女が取る行動は――


[捜査に行きたい!]


 ――噛み切り美容師の捕縛、だ。


「えぇ、ちょ、それって危ないんじゃ……って、わわ、分かった! 分かったからトランプビリビリに破るのやめて!」


 慌ててあかねちゃんを諫めた弥子ちゃんは、ネウロに救いを求めて振り返る。が……


「……」


 ネウロは我関せずといった表情でニヤニヤとテレビを眺めているだけだった。


「どうしたの? なんか反応が鈍いっていうか……事件へのリアクションに余裕があんだけど……」
「ふむ…ニュースだけでは“謎”があるかわからんしな」


 完全に弛緩していた姿勢を正しながら、ネウロが呟く。


「新しく手に入れた調査会社という“謎”へのツテで、少しだけ多く“謎”を食えるようになってきた。むろん、満服とは程遠いが…今までほど焦りながら“謎”を探す必要もないのだ」


 吾代さんの会社だ。わたしはピンときた。


「従って、我が輩は“謎”の有無が不明瞭な事件には手を出さん。調べたければ貴様らで調べればいい。“謎”の気配がありそうだったら連絡しろ。その報告で考える」
「えー……」


 弥子ちゃんの顔が不安げに曇っていく。


「無理だよ、私達だけじゃ……」


 と言いかけて、いいことを思いついたと言うようにパッとわたしを振り向いた。


「そうだ、ユウがいればなんとかなるかも!」
「え、わたし?」


 驚いて声を上げると、弥子ちゃんはばっと手を合わせ頭を下げた。あかねちゃんも千切れんばかりにおさげを振る。


[お願い! 手伝って!]
「ユウ、楽しいこと好きでしょ? 犯人探しはきっとスリルがあるよ!」


 巷で有名な、噛み切り美容師。女性の頭をちょんぎる連続殺人犯。 そいつに近づき、愛想笑いを浮かべ、慎重に言葉を選びながら相手のアリバイを崩していく自分の姿が一瞬、ちらりと脳裏に浮かんだ。それは、鮮明でくっきりと。同時に、早坂さん達の計画をぶっ壊す直前に感じたような、あの恐怖と興奮が蘇ってきた。内臓がよじれるような感覚に吐きそうになりながらも、どこか攻撃的な気分で、理性が吹っ飛んでしまいそうな、そんなギリギリ崖っぷちな感覚が――と、いけないいけない。わたしは首をゆるく振り、弥子ちゃん達にごめんと呟いた。


「今はテレビが見たい気分なんだよね」


 というのは建前だ。ごめんね、弥子ちゃんにあかねちゃん。手伝ってあげてもいいんだけど、どうせ噛み切り美容師を捕まえるんなら、何かに利用してから――って違うでしょ、そうじゃないでしょ、自分。


「テレビなんていつだって見れるじゃん!」
「テレビはいつでも見れる。トイレのお掃除必勝法は今しか見れない」
「見たい番組渋っ」


 愕然とする弥子ちゃんにわたしは笑ってみせたが、内心は焦燥感でいっぱいだった。――以前の自分と、大して変わっちゃいない。


「まあ、どうしてもっていうなら、二万でやってあげてもいいけど」
「そんなお金あるわけないでしょ」


 溜め息をつくと、弥子ちゃんはあかねちゃん、と呼びかけ、申し訳なさそうな顔を向けた。


「犯人探し……諦めよう? 私たちだけじゃ無理だよ」


 いやいやと左右に揺れるあかねちゃんに、弥子ちゃんが更に言い立てる。


「あかねちゃん外に出ていられる時間が限られてるし……第一、どうやって顔も分からない犯人たちを捜すの?」


 そこまで言われてしまえば、あかねちゃんも引き下がるしかない。しゅんとしたあかねちゃんに、弥子ちゃんがあわてて口を開く。


「そうだ! 新発売のトリートメント買ってきてあげるね!」


 ――だから、諦めよう? 暗にそう言った弥子ちゃんに、あかねちゃんはしぶしぶといった様子でうなづいた。それを見届けた弥子ちゃんは小さくごめんと呟くと、気まずい空気から逃げだすかのように、急ぎ足で事務所から出て行った。
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