コイン

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 無事焼香も終わり、出棺の準備のために一旦外に出ようとしたその時、ユウが「お兄ちゃん」と話しかけた。


「…ん?」
「ちょっとトイレ」
「……マジかよ」
「行ってくるね」


 まさか、トイレまで付きまとうわけにもいかない。


「……気をつけて行ってこいよ」
「了解」


 そう言って、ユウは奥のほうへと足早に歩いていった。


「って、おい! そっちはトイレじゃ…」


 俺の制止の声も聞かず、トイレとは反対の方向へ向かう。


「……ないのに…」
「あ、私追いかけましょうか?」
「いや、大丈夫だ」


 慌てて立ち上がる弥子ちゃんを押しとどめる。


「君は外に出てて、リクトと最後のお別れしてな。俺らも間に合うようにするから」


 そう言うと、俺はユウが歩いていった方向へ早足で追いかけていった。ユウは案外、すぐ見つかった。人の通りがまったくと言っていいほどない、階段の踊り場でだった。


「……」


 俺がすぐ声をかけられなかったのは、ユウが一人じゃなかったからだ。


「……あんたが七瀬ユウ?」


 少しやんちゃそうな、男子高校生が、ユウと向き合っていた。一見恋人同士かと思うくらいの至近距離だったが、お互いが醸し出す空気はそんな甘いものじゃない。


「君こそ誰?」
「俺は……ユウの親友だ」
「そう。はるばるこんなところまでお疲れ様。さぞかし親友を失って悲しいでしょう」


 棒読みのユウに少年が「まあな」と答える。


「最近、学校に来ないなとか思った丁度その日に、リクトは殺されましたって、連絡がきたんだよなぁ」


 ……まったく、どうしろっていうんだよ。荒々しい息とともに言葉を吐きだす。言葉の端々から、押えきれない怒り、そして悲しみがにじみ出ている。


「……信じらんねーよ。あいつが死んだ、なんて。いい奴だったのに――」
「それで?


 感傷に浸りかけていた少年を遮る。


「わたしを手招きした理由は何? 何か用があったんじゃないの?」


 少年を面倒くさそうに見やりながら、ユウが呟く。


「人を待たせてるから、手短にね」
「そいつ、リクトよりも大事な奴か?」
「もちろん」
「……ふーん」


 少年の目が怒りでギラリと光った。だが、それはたった一瞬で。次の瞬間には、自分の激情を押し隠すように、フーっと長く息を吐いていた。


「……リクトは、殺されたんだろ?」


 ユウは黙ったままだ。少年は話を続けた。


「あいつは俺の親友だった」
「リクトはそうは思ってなかったかもよ?」
「いいや、そう思ってたに違いないさ」


 断言すると、少年はユウと睨むように見つめた。


「なぁ、七瀬ユウ。俺、親友を殺した奴に、復讐してやりたいんだ。それこそ、殺してやりたいくらいに」
「……要するに」


 一瞬の沈黙の後。ユウが考えながら、ゆっくりと口を開いた。


「リクトを殺した犯人への復讐を手伝ってほしいと」
「おう、そうだ」
「……ふーん」


 意外にも、ユウの口元には笑みが湛えられていた。


「……可愛いなぁ、君は」
「あ……?!」
「リクトと、まだ出会って一年もたってないのに…殺した犯人を見つけ出して殺してやりたいほど、好きになってたんだね」
「…友情に時間なんか関係ないだろ」
「うん、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ところでさ。復讐はもしかしたら、ただの自己満足かもしれないって考えてみたことはあるかな?」






 ――「……大体、お葬式なんて、自己満足の塊じゃない」






「自己満足…」
「そう、自己満足。犯人なんか殺しても、リクトはすでに死んでいるからね。復讐なんかしても、リクトにはちっとも影響はないんだよ」
「……んなことない…」
「言葉に迫力がないね」


 ユウが少年の顔に自分の顔を斜め下からグッと近づけた。


「そんなんじゃ……説得力がないよ?」


 急に近づいた二人の距離に、少年が顔を赤くさせる。


「復讐って響きいい感じだなーとか、リクトの為に命を張って犯人捜してる自分かっこいいなーとか。そういう感情がまったくないと言える? 復讐しようとしてる自分に全く酔ってないって、断言できる?」


 ユウの声は、ふわふわのクリームがたっぷり塗りたくられたケーキのように甘く甘く――それが余計に、言葉に込められた悪意を引き立てた。


「できないでしょう…。そうだよ、それが正しい、君の素直な気持ちなんだよ」


 少年の反応に満足したのか、ユウの唇が美しい孤を描いた。


「君は、本当は復讐をしたいんじゃない。ただ…殺された少年の自称親友っていうポジションに酔ってみたいだけなんだ…」


 少年の顔色がサァっと悪くなった。


「君は、本当はリクトが死んだことなんか、どうでもいいんだよ。……でしょう?」
「……あ、あんただって、」


 窮鼠猫を噛む。自分の心の隅にあった感情を痛いほどに突かれたのが悔しかったのか、せめてもの抵抗と言わんばかりに少年がユウに食い下がった。


「リクトが死んだことなんか、なんとも思ってないんだろ!」
「……さあね。君がそう思うならそうなんじゃない?」
「何だよその人を食ったような口ぶりはよ!」


 怒りのあまり、少年がユウの肩をギュウっと掴んだ。


「おまえみたいな薄情野郎は、とっとと犯人に殺されちまえ!」
「悪人は長生きするもんなんだよ」


 少年とは対称的に、ユウは涼しい顔で言ってのける。


「多分わたしは君よりは長生きするんじゃないかな」
「わかんねーぞ!」


 少年の目には、怒りを通り越して憎しみの色が宿っていた。


「あんたも、お前の母さんみたいにXに殺されるかもしれないだろ!」


 ――X。そんな単語が出てくるとは思ってもみなかったのか、ユウが僅かにたじろいだ。少年の口の端が満足げに歪んだ。


「いや、でもXなんて本当にいるかいないか分からない怪物信じるよりも、第一発見者が実は犯人だったって線を信じるほうが妥当だよな。実際俺の母さんもそんな風に思ってたみたいだし」


 ユウの表情が、怒っているとも嘲笑っているとも泣いているともつかない、実に奇妙な具合に歪んでいく。


「なぁ。実際どうなんだよ……十年前、おまえの母さんを殺したのは、やっぱお前だったのか?」






 ――「…もしかしたら、あなたが殺したのかしら」






 ユウが溜め息をついた。そして、顔をあげ、少し背伸びをして少年の肩に手をかける。その唇が、美しい弧を描いた。


「……そうだよ」


 甘ったるい声で、彼女が肯定した。
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