コイン
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あの後、弥子ちゃんからXの情報を全てを聞いた俺は、以前聞いた記憶を頼りにユウの家へ向かった。そして、大家さんから鍵を借りて、彼女の部屋の洗面所に待機していた。まもなく、ユウとXがやってきた。そしてXがユウの家族であると勘違いしているらしいこと、彼女の弱音などを聞いた。Xを追い払った後は、彼女を自宅へ連れ込んだ。
それから数日経ったが、彼女の表情はいつまでも鬱々としていて動作はのろいままだ。心の傷を抉られ義弟を亡くしたら、さすがの彼女も落ち込むのだろう。朝のシャワーを浴び終えた俺はそう分析し寝室のドアを開け、目を見開く。ベッドの上で膝を抱えて眠っていたユウがいなくなっている。心臓の音が大きくなっていった俺は引き返しリビングを覗く。誰もいない。まさかXが? いや、そんなはずは。不安を打ち消し玄関へ向かう。
「……そこにいたのか」
――なんてことはない。ただ、玄関で靴を履いていただけだった。俺はほっと胸を撫で下ろす。
「びっくりさせんなよ」
ユウは何も言わず、立ち上がった。
「昨日は来てくれてありがとう。それじゃあ」
「――…おい、」
ちょっと待てよ、と慌てて彼女の肩を掴む。
「どこに行くんだ?」
ユウの肩がきゅうっと縮こまった。
「……ちょっとそこまで遊んでくるんだよ」
「駄目だ」
構わずドアを開けようとするユウの手を掴み、こっちに向かせる。
「昨日、お通夜にも来なかったろ。せめて葬式には出とけって」
「放してよ」
こっちに向いたユウは、どこか怒ったように俺を睨みつけた。
「お兄ちゃんがわたしに命令する権利なんかないし、それにどっちにしろ、わたしにはお葬式に出るつもりなんかないんだからね」
「出とけって。後悔するぞ」
「お葬式に出て後悔したことはあったけど、出なくて後悔したことなんか、一度もなかったよ」
「まだ一回しか出てないだろ」
「その一回で充分だよ」
……頑固だ。俺は肩をすくめた。
「大体、お葬式なんて、自己満足の塊じゃない。いい人だったのに、何で死んじゃったのーって泣いて、あぁ私はいい友人を失ってしまった、可哀想私の友人、可哀想私、およよ…って泣いて……」
溜まっていたものを吐き出すように一気に喋る。その表情は、この間カフェで見たのと同じ、完全なる無表情だった。
「お経を唱えて焼香をしたら、成仏できる? いい加減にしてよ、リクトはもういないんだよ? お経を唱えたって、全然、リクトの為になんかならないじゃん」
「…そうだ」
静かに、興奮させないように、同意を示す。
「死者の為の葬式じゃない」
まさか、同意するとは思ってなかったんだろう。ユウが少し驚いたように、口を閉じた。
「葬式は、俺達みたいな、まだ生きてる奴らの為にあるんだ。死んだからしょうがない、そんな風に思える奴ならいい。でも、それを受け入れたり、納得したり出来ない奴もいる。……君だってそうだろ?」
「わたしは納得して受け入れてるよ」
「俺にはとてもそうは見えないな」
腰を屈めて、ユウと視線を合わせた。
「頼む、 焼香をする時だけでいいから、出といてくれ。俺みたいに、なってほしくないんだよ」
家族が死んだことを受け入れられず、犯人を追っていつまでも同じ場所でぐるぐる回り続けている、俺みたいなどうしようもない人間には。そんな想いを込めて、まっすぐユウを見つめる。ユウも、無表情の中に少しの戸惑いを雑ぜて、俺を見つめ返す。……やがて、ユウが溜め息をついた。
「……気が向いたら」
「……十一時開式だからな」
遅れるなよ、と掴んでいたユウの手を放してやる。彼女はそのまま何も言わず、踵を返して部屋を飛び出していった。
「……はぁー」
――「お葬式に出て後悔したことはあったけど、出なくて後悔したことなんか、一度もなかったよ」
「そりゃ、そうだよな」
出たくないなら、無理して出なくてもいい。そう、俺は思う。ユウの精神面を考え尊重するなら、俺は今までのようにかつての近所のお兄さんという微妙な距離感を保ちながら見守ってやるべきだったのかもしれない。だが――
――「嫌で嫌で、たまらないよ。平気で人を傷付ける自分も、薄っぺらい上辺だけのこの世界も」
都合のいい人の振りをして遠くから見守ろうとするにしては、俺はユウのことを知りすぎてしまった。俺は頭をかきむしると、それは果たしていいことなのか考えながら、葬式に出る準備をする為に、家の奥へと引っ込んだ。
ユウが式場に来たのは、丁度十一時だった。
「ぎりぎりだな。もう始まるぞ」
「お兄ちゃんが11時って言ったんじゃない」
「……まあいい」
ぶすっと言う彼女に呆れるように溜め息をつく。だが内心俺は、ユウがちゃんと来たことに、内心ほっとしていた。
「こっちだ」
ユウの手をとり、とっておいた端っこの席へと引っ張っていく。ここならあまり、人目が気にならないだろうし、それに、
「ユウ!」
――友達がいたら、少しは気が楽だろう。そう思って呼んでおいた弥子ちゃんが座っているからだ。
「えーっと……お悔やみ申し上げま」
「いいよ、そんな儀礼的な挨拶なんか」
ユウがぴしゃりと言い放つ。
「本当にお悔やみ申し上げなきゃいけないのは、リクトであって、わたしじゃない」
「……そうだよね、ごめん」
シュンとなって、素直に謝る弥子ちゃん。ユウはそのまま、何も言わず、横を向いた。丁度窓ガラスに映ったユウの表情は、どこかが痛くてたまらない、とでもいうようにしかめられていた。
――「嫌で嫌で、たまらないよ。平気で人を傷付ける自分も、薄っぺらい上辺だけのこの世界も」
――今、ユウは暴言を吐いた自分のことを嫌で嫌でたまらないと、そう感じてい
るのだろうか。俺はくしゃりとユウの頭を撫でた。
「……何?」
「……なんでもない」
言いたいことはたくさんあった。たくさんありすぎて、何をどんな風に伝えればいいのか、分からなかった。俺はまた溜め息をつくと、端から三番目の自分の席に座った。