コイン

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「ね、あんたとそっくりでしょ?」


 Xの、この言葉さえなければ、わたしはきっと、Xへの苦手意識を多少解消していたかもしれない。わたしは首を横に振った。


「話の繋がりが……分かんないよ」


 自分の言葉が、こんなにも白々しく響いたことはいまだかつてない。


「うそだよ」


 Xもそれを感じ取ったのか、あっさりとそれを否定した。


「ほんとは分かってるくせに。あんたも俺と同じだよ。あんたは、自分もこの世界も嫌いで堪らない。でも、そんなことを四六時中考えながら生きていくのは、苦しい。だからあんたは、そんなこと忘れてしまうくらい楽しいことを、刺激のあることを、必死になって探そうとする。人の嫌がる表情を見ようとする。正論じみた非難を投げつけてみたりする。殺人犯の持つ狂気を蔑んでみたりする。ギリギリまで自分の命を賭けて、スリルを体感しようとする」


 わたしは何も言えなかった。なぜなら、彼の言葉が図星だったから。


「これらは本来、“嫌な自分”や“醜い世界”を忘れるための“手段”に過ぎない。でもあんたは、人の嫌がる表情を見ることで、快楽を感じる“嫌な自分”に気付いてしまう。正論じみた非難を投げつけて、優越感を感じる“嫌な自分”を思い出してしまう。殺人犯が狂気を露呈することで、改めて“世界の下らなさ”“醜さ”を実感してしまう。“嫌な自分”“世界の下らなさ”“醜さ”を忘れる為に楽しんでいたはずだったのに、いつの間にかそれは、あんたの中で“嫌な自分”“世界の下らなさ”“醜さ”を再確認させる為の道具になってしまうんだ。だからあんたは、余計に躍起になって忘れようとして、ますます鬱になって…――」
「もう、いい」


 わたしは、確かにどうしようもないくらいに性格破綻してしまっているけれど、判断力までは破綻していない。Xの言っていることは正しい。そう心の中で認めるくらいの素直さも持ち合わせていた。


「わたしは……そうだね。嫌で嫌で、たまらないよ。平気で人を傷付ける冷酷な自分も、自己満足で構成されている、薄っぺらい上辺だけのこの世界も」


 そんなこと忘れるために、楽しいことをしているのに。わたしにとって時間を忘れるほどの楽しくなる方法っていうのが、人に嫌がらせをしたり、正論じみた暴言をはいたり……結局、楽しくなるのはほんの一瞬だけ。その後は罪悪感ばかりが付き纏う。どうしようもない悪循環だ。


「多分、わたしもあなたも、最後にはその悪循環に耐えられなくなって、気が狂って自殺でもするんじゃないかな」


 身包み剥された赤ん坊みたいに、細く頼りない息を吐き出した。心なしか、寒い。


「わたしもあなたも……って、いい響きだよね」


 Xがどこか恍惚とした表情になる。


「でも、ユウは死なせないよ。俺が、そうさせない」


 断言するXに、疑念が生じる。


「あなたに、何が出来るっていうわけ?」


 ――そもそも、あんたがきっかけで、わたしの人生は狂っちゃったのに。そう考えると、わたしがこうしてXと話していることが絶対的に間違っていることのように思えてきた。わたしはまた、以前と同じ過ちを繰り返そうとしているのではないだろうか。そう思っても、わたしの手はポケットの中にある携帯電話へと伸びることはなかった。


「あんたが望むなら、あんたの価値観を真っ黒に塗り替えてあげるよ」


 いつの間にかXの言葉に惹きつけられている自分に気付き、わたしはしっかりしろと自戒する。十年前の自分も、こうやってXの甘言に騙されたに違いない。葬式でなじられたことを思い出し、わたしはぎゅっと拳を握った。


「要は、あんたが自分を嫌と思わなきゃいいんだろ? だったら、あんたの価値観を変えればいいんだ。悪を、悪と思わないように…――そしたら、嫌な自分のことを好ましく感じられるようになるんじゃない?」


 俺ならそれをしてあげられる。そう囁くXの表情は、一見天使のようだ。正直、心が動く。


「ネウロじゃないけど、俺、調教は得意だよ。目的に応じて相手を訓練することはね。俺ならあんたを……調教してあげられる」


 こんな自分を……好ましく感じる? そんなことができるのだろうか。わたしはXを見つめる。


「どう? 俺に調教されてみる気になった?」


 純粋に嬉しそうに、Xが笑った。わたしは少し考え、それから震える声で呟いた。目の前の美味しそうなチーズに、毒でも入っているんじゃないか。そう疑う鼠のように、身構えて。


「それをすることによっての、Xにとっての利点は……?」
「そんなの、決まってんじゃん」


 何で今更そんなことを聞くの、とXが首を傾げる。


「求めていた家族がようやく手に入れられることだよ。俺を怖がらない人間。俺の同類。俺が安心できる唯一の居場所……」
「ストップ」


 自分の世界に入りかけたXを現実に引き戻す。


「わたしはあなたが安心できる、唯一の居場所になりえないよ」


 きょとん。Xが、そんな効果音とともにわたしを見つめた。


「なんで?」
「なぜなら…――わたしが安心できないから」


 そう、とても単純なことだ。自分に気を許していない人間を、心の拠り所にすることはできない。


「忘れたの? わたしにとって、怪盗Xは自分を殺しかけた人間だよ? 自分の母親を殺した人間だよ?」


 わたしは、お得意の嘲笑を浮かべた。ようやくいつもの自分を取り戻す。携帯電話へと回した指がすらすら動く。


「あなたがわたしの記憶まで操作出来るって言うなら話は別だけど、そうじゃないでしょ。わたしは、あなたといても、怖くて安心できな」
「――怖い?」


 不意に、Xがわたしを遮った。


「そんなの……嘘だよ」


 Xの言葉が頭の中で響いた。


「あんたが俺を怖がっている理由は、そんなんじゃない。いや……そもそも、今のあんたは俺を怖がっちゃいない」


 ……怖がっちゃいない? わたしは「は?」と聞き返した。怖がっていないなんて、そんなわけない。わたしは、一応人並みかそれ以上の自己分析能力を持っているつもりだ。


「怖いに決まって」
「俺はね、ユウ、」


 Xの人差し指が伸びてきて、わたしの唇に触れた。
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