コイン

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「そうだ、ユウ!」


 学食で、さぁラーメンを頂こうとしたまさにその時、叶絵ちゃんが思い出したように声を上げた。


「あんたさぁ、また私の名前使ったでしょ?!」
「え、何?」
「とぼけるんじゃないわよ!」


 かなり怒っているみたいだ。ガサゴソとバッグを荒らし、一通の手紙を取り出す。わたしは首を傾げた。


「ラブレター?」
「違うから。取りあえず読んで。今すぐ読んで」


 鼻先に突き付けられた文字の羅列を、言われた通り目で追ってみる。うん、なるほど、大体は分かった。


「ただいまー。うどんめっちゃ混んでてさぁー……って、あれ? ユウ、何読んでんの?」
「あぁ、丁度良いとこに来た。あんたも読んでよ、弥子」
「えー、何々?」


 弥子ちゃんの顎がわたしの肩に乗っかった。


「“……親愛なる叶絵様。先日はどうもお世話になりました。事件があのような形で集結したのは、私も家内も予想外でした。息子――明の死も、あの世界的大犯罪者の出現も”……明?」


 弥子ちゃんは顔をしかめ、考え始める。その僅か数秒後――


「――あ!」


 わたしの方を勢い良く振り返った。


「やっぱり――」


 その反応を目の当たりにした叶絵ちゃんが、探るようにわたしへと視線を投げ掛けた。


「心当たりがあるのね?」


 心当たり? もちろんありますとも。むしろ、あの衝撃的な事件を簡単に忘れられる人がいるならば、会わせて欲しいくらいだ。手紙の一番下に視線をやる。堀口雄三。そう、真夜中に自分の息子の尾行をさせた依頼人だ。息子と接触した時、わたしは自分を叶絵と名乗った。その場には、彼の父親である堀口雄三もいた。


 あの小心者のお父さんのことだ。ますます著名となった事務所に行くのには気が引けたのだろう。でも、どうしてもこれを渡したい。そう思った堀口さんは、その時聞いた名前を思い出し、制服から割り出した校門の前で右往左往した。そして、誰か手頃な子に声を掛けた。桂木弥子の友達の叶絵って子に、これを渡してくれないか、と。で、その子は本物の叶絵ちゃんのところへ持っていってしまったわけだ。


「……でも、何で今更堀口さん、ユウに接触しようとしたんだろうね?」


 弥子ちゃんが不思議そうに手紙とわたしを見比べる。


「あぁ、なんかこれを渡したかったみたい」


 ちゃんがバッグの隣に置いてあった大きな紙袋をわたしに押しやった。手紙の続きが思い浮かぶ。


 “――明が愛読していた漫画です。漫画の話で明と盛り上がっていらっしゃいましたよね”


「うわぁ、いっぱいあるねぇ」
「重かったんだから。あー疲れた」


 “明があんなに楽しそうに談笑するのを見たのは、随分久し振りでした。最後に彼に楽しい思い出を残してくれてありがとう。私達夫婦に彼の笑顔を見せてくれてありがとう。感謝の気持ちとして、もしよろしかったら…形見として、持っていて下さいませんか”


「これ持ってきてくれたの、A組の吉野君だったの」
「へぇー、良かったじゃん」


 A組の吉野君は、皆に好かれる男の子だ。もちろん、叶絵ちゃんにも。


「漫画、大好きなんだね……って苦笑いされちゃったよ」
「あぁ、だからよっちんは叶絵ちゃんのことを“顔は可愛いのに中身重度のオタクだったまじヤベェ”って言ってたのか」
「そんなこと言ってたの?!」


 はあ、と溜め息をつく叶絵ちゃんを見て思わず噴き出してしまう。ぎろりと睨まれ、慌てて残念だったねと付け足した。叶絵ちゃんはそれでは満足しないらしく、「笑いながら言うな、ムカつくなあ!」と怒った。


「……でもさ、」


 弥子ちゃんがふと穏やかな笑みを浮かべ、わたしに話しかけてきた。


「よく考えたら、ユウ良いことしたじゃん」
「良いこと?!」


 傷心の叶絵ちゃんが目をひんむく。


「どこが?! ユウがやったことは詐欺だよ!!」
「軽く身分詐称だよね。あと、間接的に名誉毀損にもなるかもしれない」
「ユウ、ユウ、自分の罪重くしてる。まぁそれは良くないけど……でも、あの引きこもりの人を最後に楽しく笑わせたり、おじさん達にそんな姿を見せてあげたりしたでしょ?」
「うんまぁ…」


 叶絵ちゃんは、蓮華に乗せる麺の量を調節しながら、ぼんやりと相槌を打った。その立ち直りの異様なスピードに、わたしは密かに感心した。


「ユウがいなかったら、息子さんは一度も笑うことがないまま死んでたし、親御さんも息子さんのことをろくでもない奴ってイメージしか持てなかったと思う。でしょ?」
「……ははっ」


 ――弥子ちゃん、買い被りすぎだし美化しすぎだよ。そんな言葉を飲み込むと、わたしは苦笑いを浮かべた。わたしが堀口明と話したのは、彼がアリバイを崩された時に浮かべるであろう表情を見る為だけだった。見て、愉しむ為だけだった。犯罪者共が狼狽し、恐れ、後悔する様を嘲笑う為だけだった。






 ――「最後に彼に楽しい思い出を残してくれてありがとう。私達夫婦に彼の笑顔を見せてくれてありがとう」






「ありがとう、か」


 ――感謝、なんて。今のわたしには、一番程遠い言葉だ。


「……ユウ?」


 目を上げた。弥子ちゃんがどこか心配そうな顔で、わたしを見つめていた。


「どうかした?」
「ううん、何でもない」


 心配そうに見つめた弥子ちゃんから視線を剥すと、ラーメンを慌てて啜った。予想外の熱さに、一瞬涙が零れそうになった。

 to be continued.


(20110207)加筆修正完了
 

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