コイン

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 午前7時。俺は、ファミレスの窓際のソファに座りメニューを広げている一人の女子高生を見ていた。彼女の名前を俺は知らない。でも、わりとよくうちのファミレスに来てくれてるし、可愛い子だから、顔はよく覚えていた。俺はテーブルを拭く振りをして、そっとその子の顔を覗きみ、笑んだ。可愛い。やはり俺のタイプだ。時々欠伸をかみ殺す小動物よろしくな仕草がおそろしくキュートだ。店長の仕事さえなければ、何時間でもあの子の顔を見ながらテーブルを拭いていられるのにな。店長辞めようかな。などと考えていたその時、チリンチリンとドアの開閉を知らせる鈴が激しく鳴った。


「……いらっしゃいませ」


 バイト共が誰もいないので、しぶしぶ俺が挨拶をする。くそ、“店長が例のあの子にお熱だ”って冷やかされるのが嫌だからって理由で、あいつら全員を厨房に追いやるんじゃなかった。


「二名様でよろしいですか?」


 客にニッコリ笑いかけながら、観察する。男の二人組だ。片方はまだ青年だ。色素の薄い髪は、そこらへんの若者達のように無駄に長く伸ばしてはいない。顔立ちも整っている方だろう。バイトの面接だったら、まずまず合格だ。


「あぁ」
「禁煙席と喫煙席、どちらにされますか?」


 もう片方は、連れより年をとっていた。黒い髪を丁寧に撫で付け、悪意丸出しな笑みを浮かべている。黒いスーツで全身を固めている。“ワル”という言葉がここまで似合う人間ははじめてだ。


「どちらでもいいが、この店で一番綺麗で窓からの見晴らしがよくて、なおかつ他の客の目には留まりにくいところにしてくれ」


 あの子がいつも座っている席だ。俺は「申し訳ありませんが」と口を開きかけた。その時、「アニキ、」と青年が男に目配せした。なるほど、兄弟だったのか。確かに、顔の輪郭や雰囲気がどことなく似ている。


「あそこ」
「……でかしたぞ、ユキ」


 目線だけで会話をすると、同時に満足げに笑った。


「久々に面白くなりそうじゃないか」


 そう言うと、アニキと呼ばれた男は、あの子が座っているテーブルに真っ直ぐ歩いていった。


「ちょっと、お客様…」


 制止しようと呼び掛けるが、無視だ。二人があの子のテーブルのすぐ前に立った。あの子は、デザートメニューを眺めていて、気付いていない。痺れを切らしたのか、青年があの子の顔を覗きこんだ。


「よぉ、ユウ」


 ――ユウ。あの子の名前か。いい名前だ。あの子とこのガラの悪い兄弟が知り合いだったショックよりも、名前を知れた喜びが僅かに上回った。


「ユキ、と……早坂さん?」


 ユウが顔を上げる。いやぁ、上目遣いもなかなかいい。


「やぁ、お嬢さん。座っていいかな」


 そう言うと、アニキ、いや、早坂はユウちゃんの返事も待たず、ユウちゃんの向かい側に座った。他にいくらでもテーブルは空いているのにも関わらず。


「朝飯まだなのか?」


 ユキも、図々しくもユウちゃんの隣に腰を降ろし、メニューを覗きこむ。顔が近い。これは自覚ありか、なしか。あぁ、ありだな。


「まーね。ユキは?」
「食ったけど、デザートはまだ。あ、そこのおまえ」


 急に声を掛けられて、びくりとしてしまう。


「バニラアイス一つな」


 こんな朝っぱらからアイスかよ。


「ユキ」


 早坂が溜め息をついた。


「ここでアイスは止めなさい。このお店は自分達の利益を取る為に元値の三倍の値段を付けているんだ。わざわざ私達がそういう奴等の金蔓になってやることはない」


 何一つ、間違ってはいない。彼の言ったことは正しい。それが逆に恐ろしい。――何でコイツが、うちの裏の事情まで知ってるんだ?


「何ケチくさいこと言ってるんですか、仮にも大手調査機関の総務部長だった人物が」


 ユウちゃんがメニューを静かに閉じる。


「そんな悪徳紛いなことしなきゃ儲けを出せない可哀相な人達に、募金をしてあげようとかいう慈しみの心を持てないんですか?」


 聞き間違いだろうか。今、この子とてつもなく失礼なことを言ったような。


「君こそ、その蔑むような視線を隠そうと努力する優しい心を持ったらどうだ」
「何おっしゃるんですか。わたしは充分優しいですよ。バイト君、チョコレートサンデーを一つね」
「かしこまりました」


 バイトじゃなくて店長だけど、そんなことはどうでもいい! はじめてユウちゃんと話せたんだ! あぁぁあ、嬉しくて、どうかなってしまいそうだ!


「あ、やっぱ俺もユウと同じもんがいい。おい下積み、バニラやっぱなしな」


 下積み。いつまでも人に使われて、出世しない人物のこと。頭の中の辞書がぱっと開き、俺はうっと呻いた。俺、一応店長なんだがなぁ。


「…かしこまりました」


 ユウちゃんに言われた時には感じなかった怒りを何とか押さえると、早足で厨房に向かった。
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