コイン
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「吾代さん、行かないの?」
「おまえとユキを二人っきりにさせる気なんかねェよ」
「ふーん。残ったって、いいことなんか何もないだろうに」
「そんなん分からねェだろ」
吾代さんにしては穏やかな声だ。
「おまえのいいことと俺のいいことは違うかもしれねェだろーが。どっちにしろ俺は、俺のしたいようにする」
「わー。吾代さん格好いー」
「……段々おまえの思考回路が読めるようになってきた自分が憎いぜ」
棒読みなわたしに、呆れと怒りが混じった表情を浮かべる。
「おまえ今、俺が格好いいと言ってもらう為だけに、ここに残ったって思ってんだろ?」
「あるいは、格好いい自分に堂々と酔うためにね」
「……かーっ」
吾代さんが思いっ切り顔をしかめてみせた。
「相変わらず、ひねくれた性格してんな、おまえ」
「そのひねくれた人間を使えば、“こんな人間でも命張って助けられる自分はなんて立派なんだろう”って思えるよ。わぉ、わたしったらオトク」
「俺の気持ちは自己満足。そう言いてェのか」
「正解」
まさにその通り。わたしは微笑む。吾代さんは溜め息をつき頭に手を当てる。
「……お前にとっちゃそうかもな。まぁ、この際どっちでもいいんだよ。難しいことは俺には分かんね。実際、本当に自己満足かもしれねェし」
そういうと、ずいっと自分の顔をわたしに近付けた。視線と視線がぶつかる。
「おまえが、俺の気持ちを自己満足と思いたいなら、それでもいい――取り敢えず、今のところはな」
今のところ――?
「自己満足だろうがなんだろうが、俺はお前を守れりゃいいんだ――おいユウ、俺は真剣に話してんだ」
ニヤニヤし始めたわたしの頬を両手で挟みこむ。
「自己満足だろうが、お前を守りたいって思ってんのは本当だ。この気持ちは誰にも、お前にも否定させやしねェ」
その表情からは、以前にはあった迷いも劣等感も、読み取れない。あるのは、己を束縛していたもの全てからとき放たれたような、そんな解放感。それは多分、わたしが味わったことのない種類のもので――
「……っ」
羨望と嫉妬がせめぎあい、胸の奥が苦しくなった。誰でもいいから、思いっ切り傷付けてやりたい。そしたら、きっと少しはスカッとするはず。そんなどろどろとした悪意が沸々と湧き上がってきた。わたしはそんな感情を隠すように、ますます大きなニヤニヤ笑いを浮かべた。
「いいのかな、そんな風に堂々と宣言しちゃっても」
「……あ?」
「皆が“愛”と思い込んでいる感情ほど利用しやすいものはないからね。ユキみたいに、わたしに利用されちゃうよー?」
吾代さんの頭が邪魔でユキの顔は見えないが、それでもうろたえているのがはっきりと分かった。
「やっぱ……俺は……、利用されてたんだな……」
ユキが、自嘲の色を含んだ笑い声をあげた。
「俺さ……、ユウが会社に入って本当喜んだんだ。やっと、一緒になれるって」
その時の、思わず嫉妬してしまうくらい幸せそうな笑みを浮かべていたユキを思い出す。
「ユウ自身も、俺と同じ会社になれて嬉しいんだろうなって思ってた。まさか……俺だけだったなんてな……」
ユキが自らの髪をかきむしっているのが見える。わたしは吾代さんの腕を振りほどいた。
「ははっ……早坂さんの言う通りだったな。あんたにあんまり入れ込むと、後で後悔するって」
おかしいな。責められる時はもっと罪悪感が沸くと思ってたのに――今は、ちっとも胸が痛まない。むしろ、女々しいユキに苛々さえしてくる。
「利用してただけなら……俺のこと好きじゃなかったんなら……」
ユキがぼそぼそと呟く。
「早坂さんの敵なら……」
「うん。いいよ、わたしを殺しても』
ユキが、言い当てられてどきっとしたように目を見開く。
「自分を利用しようとしてた女なら、殺しても未練はないでしょ。いいんだよ、別に。さっき、笠原さんにやったみたいに、ずばってやっちゃっても」
笠原さんの方をちらりと見やる。彼の体からは、なおも赤黒い血が沸き出ていた。ユキが一歩、歩み寄る。吾代さんがわたしを庇うように一歩前に出た。
「必要ないよ」
短く言い捨てると、わたしは大股でユキの元へ近付いた。そして、ユキの手を取ると、自らの首に触らせた。自分でさせたことなのに、ユキの冷たい手がわたしの首に触れた瞬間、ゾクッとした。
「ほんのちょっと、指先に力を込めるだけ。それだけで殺せちゃうよ。あ、そうそう、どうせ殺すなら、苦しまないように一瞬でやっちゃってよね」
ユキは一言も口を開かない。強張った表情でこちらを見ている。わたしは「ほら、早く」と優しく促した。ユキは顔をくしゃっと歪ませる。
「あんたは狡い」
「うん」
何を今更、と呟いた。そう、わたしは狡い。自分が楽しむ為に、ユキを利用していた。わたしを楽しませることはすなわち、早坂さんの計画を壊すことに繋がる。でも、そんな早坂さんの計画を成功させることはすなわち、わたしの死を意味する。わたしを取るか、早坂さんを取るか。どっちを選んでも、ユキは自分を責め、苦しむだろう。まさにジレンマだ。
そして今、わたしは自分が生き残る為にユキを利用している。
「俺が、殺せないのを知ってるくせに――知っててわざとそういうことを言う」
「自分が裏切れないのを知ってるくせに、“裏切るのか?”なんて聞いてくる、早坂さんみたいでしょ」
言い当てられたように目を見開き、「何、で……」と呟く。わたしは慈悲深そうに微笑んでみせた。
「だって、わたしもそう思ったもん」
それもずーっと前からね、と力を込めて答える。
「だからわたし、ユキが好きだって言った時、すんなりと納得出来たんだ。あぁ、ユキは寂しいんだなって」
「……どういう意味だ」
「本当は分かってるくせに」
今、わたしは一生懸命言葉を探しながら、話していた。ユキを傷付ける為の、酷い言葉を。
「ユキは、寂しさを紛らわせるためにわたしを利用してたってことだよ」
「……意味分かんねェ」
ユキの声は震えていた。怒りではなく、戸惑いのせいで。