コイン

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「……ったくよぉ――ユキ、」


 溜め息をついて、銃を構えた笠木さんの元へ歩き出したのは、吾代さんだった。


「上司が何かちょっと言ったくらいで揺らぐような、そんな生半可な気持ちだったんならな、最初からユウに手ェ出してんじゃねェよ」
「来るなっ」


 笠木さんは、照準を吾代さんに向け、どこか怯えたように言い放つ。


「撃つぞ」
「本当に撃つ奴はな。撃つぞって言う前に撃ってんだよ」


 いつかわたしが思ったことと同じようなことを言うと、吾代さんは「いいから、テメェは、」とみぞおちに一発入れる。


「ぐっ、」
「大人しく倒れてろ!」


 重い音を立て、笠原さんの横に崩れるように倒れる。それを見届けることなく、吾代さんはわたしの方へ歩き出していた。


「おい、怪我は?」
「ない…」


 安堵したように吾代さんが息をついた。


「……ならいい」
「あぁ。なるほど」


 早坂さんがいやらしく笑ってみせた。


「君が、私達の完璧だった計画をぶち壊したのは、彼の為だったのか。そして、彼が私達を裏切ったのも、君の為。これが愛か。やれやれ、泣かせるじゃないか」
「いーえ。誰かの為とか、そんな愛の溢れた素晴らしい理由じゃございません」


 肩を竦めて「ただちょっと――」と答える。


「計画をぶち壊されて怒り狂うあなたの顔を見るのは楽しそうだなって思っただけですから」
「楽し――?」


 そんな馬鹿な、とでも言うかのように、ほんの一瞬だけ、目が大きく見開かれた。次の瞬間にはもう、いつもの張り付けたような笑みを浮かべていたが。


「……そうか。楽しそうだったから、か」


 ゆっくりと繰り返す。


「君はその“楽しそうだったから”という至極単純で軽い理由で、十億と君自身の命を捨てたのか。いやはや、勿体ない」
「軽い?」


 わたしは信じられないことを聞いたとばかりに声を張り上げてみせる。


「あなたは何も分かっちゃいない。そんなんだから、」


 隣に立っている吾代さんにニヤリと笑いかけた。


「彼みたいなチンピラにも逃げられるんですよ」
「だから小卒言うな!」
「えー。わたし、小卒なんて一言も言ってないけど」
「あっ……くそ、引っ掛けやがって!」
「吾代さん……もう止めよう。見ていて辛いよ」
「うるせェ探偵!」
「惨めですねぇ、早坂さん」


 わたしは馬鹿にするように鼻で笑った。


「こんな馬鹿で小卒なチンピラに、コケにされてるんだから。ざまーないですね」


 早坂さんの口許が、ピクッと動いた。それはわたしには、まるで仮面に小さなひびが入ったかのように見えた。


「――ははっ」


 渇いた声で笑う。


「――小娘の分際で」


 ピシピシッ。仮面のひびが、大きくなっていく。


「今まで私はいかに手早くお嬢さんを始末しようか考えていたのだが……気が変わったよ」
「そうですか。そりゃ良かった」
「ユキ……」


 早坂さんはわたしの言葉をまるっきり無視して、ユキに話し掛けた。


「私と社長は、この探偵さん方と話がしたい。その間、君にも仕事を与えよう」


 振り絞らないと言葉が出せないのか、早坂さんの声はわなわなと震えていた。


「――そこの小娘を、半殺しにして連れて来い!!」


 ユキが目を大きく見開いた。


「お嬢さんには、少しばかりお仕置きが必要なようだ。殺すのは、お嬢さんに大人をなめたらどうなるか、たっぷり教えこませてからでも遅くはない。――だろう?」


 生かさず、殺さず。わたしを、より苦しい状況に陥らせたい。この目障りな小娘のニヤニヤ笑いを消し去ってやりたい。この生意気な小娘の顔が恐怖に歪むのを、見たい。そんな彼の心情が、わたしには手に取るように分かった。


「私は、彼女がもがき苦しみ、後悔する時間を与えてやりたいんだ。君が一番、適任なはずだ。そうだろう?」
「……」
「……ユキ」


 返事は、と早坂さんが急かす。


「……」
「……やれやれ」


 いつまで立っても、うんともすんとも言わないユキに、溜め息をつく。


「……じゃあ、お嬢さんをここに引き止めておいてくれ。それくらいなら、君にも出来るだろう?」
「了解……」


 申し訳なさそうにうつむいていたユキがようやく顔を上げる。


「では、探偵さん方。どうぞ、倉庫の中へ」
「でも――」


 弥子ちゃんが不安そうな目でわたし達を伺いみる。


「――ユウはぶふっ!!」


 軽快すぎる音を立て、ネウロが弥子ちゃんの頬をはたいた。


「ユウさんにはやりたいことがあるんでしょう。やらせて差し上げたらいかがですか」


 久し振りに聞いたネウロの声は、記憶にあったものよりもかたい印象を受けた。


「そのせいで彼女がどんな目に合っても、僕らには関係ありません。彼女の自業自得です」
「えぇ、そうですとも」


 早坂さんが大きくうなづく。


「私達とて、死人に鞭打つつもりはしません。お嬢さんのことは、こちらで全て責任を持ちます」


 死人、か。それは、たとえとして使っているのか、それとも数時間後のネウロ達の状態を表しているのか。わたしには分かりかねた。


「……」


 ユキが、何か言いたそうに口を開く。が、ためらうように眉をしかめると、黙って三人を見送った。そう、吾代さんを除く、弥子ちゃんとネウロと早坂さんの三人を。
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