子犬のワルツ

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受付の待ち時間は長いものだ。お役所仕事ともなると、手続きがどうのでさらに時間がかかる。予定が詰まってるわけじゃあないけど、相棒のWacBookが手元にない以上、何となく落ち着かない。
廊下のほつれたソファに座る俺は、何となく柚子を思い出す。バレンタイン以降は受験勉強のためかめっきり学校にも現れなくなった。声が聞きたいなんて思ったこと、今まであったっけ。自分の変化に苦笑しつつ、携帯電話を取り出して耳に当てる。4コール目で不機嫌そうな声と繋がった。

「もしもし柚子ー? 今日も学校来ねーの?」
「あんた、今日が何の日か知ってるでしょ」

電話口の柚子は苛立ちを隠そうともしない。

「まーね、今日が本命の試験なんだろ?」
「知ってるなら邪魔しないでよ」
「あれ、まさか、緊張してんの?」
「馬鹿、するわけないでしょ。ちゃんと勉強してきたし、受かるに決まってるもん」
「そうそう、おまえなら受かるに決まってるよ」

柚子の努力は俺が一番よく知ってる。バイトして、俺とハッキングして、何かの練習にも行き、おそらく休日は兄さん達と過ごしてる。ぱっと見フラついているが、多分常人の2倍のスピードで睡眠時間を削って勉強してきた。狙うは名門錯刃大学コンピュータサイエンス学科。

「あんたは受けないの?」
「なに、受けてほしーの?」
「馬鹿、そんなんじゃないし!」

柚子はそう言うが、たぶんこの大学の中でもこの学科を選んだ理由は、前に言ってた「これだけの学歴があれば兄さん達にとって不足はないよね」というだけじゃないだろう。柚子がいるなら大学も悪くないとは思うけど。

「んー、大学はなんか学費が高い割に魅力感じないんだよね」

俺は曖昧に笑う。

「まあ俺フリーでも食っていけるし、しばらくはフラフラすっかな」
「ふーん」
「心配すんなよ。錯刃大学なら俺んちからも近いし、毎日遊びに行ってやるから」
「心配してないし、遊びにも来なくていいから」

ぴしゃりと言い放つ声に、最初のような苛立ちは感じない。緊張が少しは解けたようだ。

「受験なんてチャチャっと片付けて、早く学校来いよ。おまえいないとつまんないんだからさぁ。あ、来月の14日は来る?」
「授業ないし、事務所で仕事しようと思ってたけど」
「えー来てよー。バレンタインのお返ししたいし」
「別にそんなん宅急便でWacBook送ってくれるだけでいいよ」
「素っ気無! しかも高い!」
「冗談」

電話越しの声が柔らかく聞こえる。

「しょうがないから、14日はちゃんと行ってあげる」

嬉しくて一瞬声が出なかった。柚子が冗談なんて言うことも、普段の会話でも柔らかく笑うことも、1年前じゃ考えられなかったことだ。

「約束な、柚子、絶対忘れるなよ」
「はいはい。分かったから、切るから」

やや早口でそう言うと、電話はあっけなく切れてしまった。けど、照れ隠しなのが分かるから悲しい感情などはない。携帯電話をポケットにしまうと、自然に浮かぶ笑みを片手で隠した。

それにしても柚子も変なところで律儀だよなあ。ハッキングして試験問題を盗むなり裏社会のコネを使って入るなり、もっと楽な方法なんていくらでもあるだろうに。
まあコネで入ったんじゃ大好きな兄さんに認めてもらえないとかいう理由なんだろうな。アニキのことになると途端にあいつは頭が悪くなるから。

「匪口結也さん」

受付嬢がようやく俺の名前を呼んだ。

「大変お待たせしました。こちらがお預かりしていた証拠品です」
「証拠品じゃないよ、証拠なんてないんだから」

相棒のWacBookを受け取りながら俺は訂正する。事情を知らない受付嬢は曖昧に笑った。世間を騒がせた警視庁のサーバ乗っ取りいたずら事件の嫌疑がかけられていたなんて話は彼女には通っていないんだろう。取り調べを受けて証拠品としてパソコンを没収されたけど、何ヶ月調べようとも、証拠なんて見つかるわけない。だって、証拠は柚子と2人で完璧に隠滅したのだから。

「あと、佐竹と笛吹があなたとお話ししたいとのことです」
「佐竹? 誰それ? 俺、忙しいんだけどな」
「それは申し訳ない。だが、そんなに時間は取らせないよ」

背後から声をかけられ、振り返る。2人の男が立っていた。1人は体格のがっしりしたいかにも仕事一筋の壮年のおっさん。もう1人は几帳面そうな小男だ。

「調査の結果について話をしたいんだ。ついてきてくれないかね?」
「調査の結果なんて分かりきってるでしょ」
「おい君、この方は」
「いいんだ笛吹。これくらい肝が座ってる方が頼もしいじゃないか」

笛吹と呼ばれる小男が不快げに俺を睨むが、佐竹と名乗る男は逆に鷹揚な笑みを崩さない。2人の態度が違いすぎて、俺は彼らの真意を掴み損ねている。

「…….まあ、15分だけなら」

仮にも警察の言うことに表立って逆らうと面倒だ。それに警察のサイバーセキュリティ対策能力に関しては完全に見切っている。俺が捕まるなんてことはありえない。
仕方ないなと肩をすくめてみせる仕草が笛吹の癇に障ったらしい。犬なら噛み付いているところだろうが、ぐっと堪えると俺たち2人の先導を切って応接室に案内した。

「自己紹介がまだだったね。私はこういう者で、」

ソファに座ったあと、壮年のおっさんが鷹揚な笑みを浮かべながら名刺を差し出す。警視庁警務部人事課採用センター、佐竹総一郎。……採用センター? サイバーセキュリティ対策本部じゃなくて?

「こっちは警視庁刑事部の笛吹直大だ」
「どうも」

刑事? こっちも専門の人間じゃないのか。となると、調査の結果が云々なんてのは建前だな。頭が勢いよく回転を始める。

「今は受験シーズンだから忙しいかと思ったが、さっき電話している様子を見ると、君はそんなに大学に執着している様子はなかったね。卒業後のあてはあるのかな?」

世間話に混ぜた確信的な口調。俺は「さあどうかな」と言葉を濁す。

「ないって言ったら、どっかいいトコ紹介してくれるの?」
「そうだね、ウチなんてどうだい?」

佐竹が軽い口調でそう投げかけてくる。俺は目を細めて笑った。こいつらの狙いが分かった。俺をスカウトしにきたんだ。一流のハッカーが刑務所から出てきたあと企業がスカウトしにくるのと同じように。

「無理無理。会社員だって俺には合わないのに、ましてや警察なんて。それにスーツも似合わないし」
「情報犯罪課は他の課に比べて自由な雰囲気だよ。結果を出すこと前提だが、一般の会社に比べても自由に動ける。それに君がもし入るなら、特例で刑事スタートにしてあげよう。もちろん、スーツも免除だ」
「刑事?」
「そうだ」

佐竹が両指を組んで姿勢を乗り出す。

「単刀直入に言おう。我々はこの数年間、君のハッキングを防ぐことも証拠を見つけ出すことすら出来なかった。君は優れた技術を持っている。その技術と経験をもってすれば、この国の情報セキュリティを向上させることも可能だ。ぜひ君の力を国民のために役立ててほしい。そのための待遇なら惜しまない。どうだ?」

笑顔で話す佐竹の隣で、笛吹が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。さっきからの不機嫌顔は、裏取引への嫌悪感からだったのか。ようやく俺は掴めてきた。

「なるほどね」

悪くはないと思う。能力を買われたのは素直に嬉しい。実際、ハッキングする側にいたからその穴も対策方法も分かるし活躍できるだろう。それに国のお抱え機関ならハードウェアも充実してる。見たところ癒着の関係かクソツールも使ってるが、そこは税金で新しいのを買い換えれば、個人の規模では扱いにくいツールもバンバン試せる。自由な雰囲気云々ははっきり言って胡散臭いけど、そこは俺の交渉次第でなんとかなる気がする。スーツみたいに。

逆に、良い条件すぎて怖い。未成年とは言え、俺は要注意の上級ハッカー。餌だけぶら下げて取引を持ちかけるなんて無防備な真似はしないはずだ。

俺は腕を組んでソファの背もたれに寄りかかる。

「嫌だと言ったら?」

佐竹が笑みを貼り付けた。

「君の友人で早坂柚子って女の子がいるだろう」

俺の笑みが一瞬強張った。

「彼女、色んなところに出入りしているね。保護してあげなきゃいけないと思っていたんだ」

ーーこれは脅しだ。
俺は彼女の出入りしているサラ金やら兄さん達の会社やらがどれくらい警察と癒着しているかまでは知らない。だから、この脅しが現実に通用するかは計りかねる。

「その時に、君の不幸な過去を話してしまうかもしれないね。天才ハッカーが実の両親2人の大切なものを奪って、死に追いやった話を」

俺の笑みは完全に消えていた。

「……何の話?」
「例えばの話さ。例えば彼女はどう思うだろうね」

両親なんていなくても心の拠り所をどこかに見つけろと励ました彼女を思い出す。柚子は多分、親がいないことにどこかコンプレックスを抱いている。だから「兄さん達」にあんなに執着し、俺にもちょっぴり親近感を抱いた。その彼女がもし、両親の死の原因は俺だと分かったらどんな反応をするんだろう。
最近の様子からして、どうでもいいなんて一蹴は多分しないと思う。して見せたとしても、多分ぎこちない。軽蔑するか、変わらないか。

どっちにしても、ようやく心を開き始めた俺の親友に、そんなことは、絶対に、知られたくない。

それが原因で、俺とあいつの関係に少しでも陰りが見えるなんてことも、絶対あって欲しくない。

「例えばの話だ。そんなに硬くなるなよ」

佐竹がフレンドリーにそう言うが、俺は最早彼のことを信じる気にはなれなかった。
だが、俺より更に不愉快そうな顔をしているのが、笛吹と呼ばれる男だった。俺を胡散臭げに見ていたし、身長も低いから、上司に媚びへつらうタイプだと思っていたが、どうやらただの潔癖症か何かのようだ。ただ、彼の軽蔑したような表情が逆に俺の心を僅かになだめた。

「まあ話をまとめるとだな、警察は君の力を必要としているし、君の活躍できる場所でもある。君の職業は国民を、ひいては君の友人を守ることにつながるんだ。ぜひ前向きに検討してほしい」

何気ない綺麗事にはっとする。
確かに、この国家権力に属していれば、柚子をあらゆる意味で助けてやれる。それは危ない目にあいそうな彼女を純粋に保護することも、1と0のネットの世界で動き回る彼女をそれとなく見逃すことも。




ーー「あいつは馬鹿だがな、もしおまえに勝ってることが一つだけあるとすればな。あいつが望む世界で、あいつのことを守ってやれる力を持ってるってとこだな」




サラ金の社長の挑発が脳裏をよぎる。

俺の心はもう、決まっていた。

「あんたのことは気にくわないけど、条件は悪くない」

刑事スタートなんて特例中の特例だろう。それくらい俺の能力を買ってるくらいだ。居心地なんて、交渉次第でなんとでもなるさ。

「その話、もう少し聞かせてもらえる?」

佐竹が嬉しそうに、笛吹が戸惑ったように俺を見つめ返す。
脚を組み、2人を見つめる俺には、いつもの笑みが戻っていた。

(20190210)

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