子犬のワルツ
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「兄さん達がいるから、構わない。私たちを捨てた親なんてどうでもいいし、こっちから願い下げ。子どもの頃に捨てられて、凍死寸前まで追いやられたけど、別にどうでも良い」
いや、めっちゃひきづってね?
「兄さん達さえいてくれればいいの。2人がいてくれたから、捻くれることなく、素直にすくすくと育つことができたし」
いやおまえ素直って柄じゃねーだろ。
「だから、」
口調はぶっきらぼうだけど、眼差しはなぜか少し柔らかく感じた。
「まあ、他に心の拠り所、見つければ。あんたなら上手く見つけるでしょ」
多分それは、彼女なりの不器用な慰めだったんだと思う。無責任だしツッコミどころは多いしその割には言葉足らずだけど、でも。
他人に興味のない早坂が多分、俺自身に関心と、1ミリの気遣いをした瞬間だ。
そして多分それは、彼女にとってはかなり大きく異質な取り組みだし、俺にとっては価値のあることだ。
「おまえが……になってくれれば、」
「え?」
「いや、何でもない。ありがとな」
「は? 何が?」
「慰めてくれたんだろ?」
「ちょっと、止めてよ気持ち悪い」
早坂は気持ち悪がるというよりはどこか動揺していると言った方が正しいように見えた。
「別に私はあんたの気持ちを楽にさせるつもりで言ったわけじゃないから」
「じゃあどーいうつもりで言ったの?」
「どういうって、」
珍しく早坂が言葉に詰まる。そんなところを見たのは初めてで、俺は少し嬉しくなった。
「やっぱ俺のこと、ちょっと気にかけてくれたんだろ?」
「やめてよ、私が兄さん以外の人間を、ましてやあんたなんかを気にかけるわけないでしょ」
「じゃあ他の理由をあげてみろよ」
「他の、理由」
そう呟くと彼女はぴたりと立ち止まって真剣な表情で考え込み始めた。
「……え、私、何でこいつなんかと喋ってるんだろう」
頭が混乱してきたらしい彼女を見て、しのび笑いを漏らす。もしかしてこいつ、何だかんだ言って自分の感情を自覚するのが苦手なんじゃないか? いや、この様子だと他人の感情を理解するのも苦手に違いない。そりゃこんな偏屈に話しかける物好き、俺くらいのもんだろうからな。
「感情も目に見えないから、分かりにくいよな」
「え?」
「いや、何でもない」
きっと、彼女が俺にそんな言葉をかけたのは、少しばかり俺に奇妙な親近感を抱いたからだろう。けど、こいつはきっとそのことを理解できないに違いない。俺はくすっと笑うと立ち止まっていた彼女の手を引っ張り歩き出した。早坂は珍しく引かれるがままだ。まだ頭が混乱しているせいだろう。俺はさらに気を良くした。
「俺たちって思ってた以上に似てるかもな」
「はぁ? あんたとどこが似てるっていうのよ」
「多分もっと仲良くなれるよ」
「私がどうして兄さん達以外と仲良くしなきゃいけないの」
早坂が手をようやく振りほどく。顔が少し赤いのは怒りか動揺か。俺の気分はますます大きくなった。
「まずは名前からだよな。仲良しは苗字で呼び合うなんて他人行儀なことはしないもんなんだよ」
「ちょっと、話聞いてる?」
「つーわけで、俺もおまえのこと名前で呼ぶから、おまえも俺のこと名前で呼んでよ」
「天才くんって?」
「そんな嫌味のこもったあだ名はいらねーよ、柚子」
軽口の中にしのばせることで、彼女の名前を呼ぶ時の緊張を和らげようとした。多分こいつは気付いていないだろうが、呼んだ時には少し変な心地がして、興奮のあまり心臓が数センチ体内で浮上したような気さえした。少し下手に発音してしまったかもしれない。そう心配する俺の視線は、自然と彼女の顔色を伺っていた。
「……柚子って呼ぶな」
ぎゅっと口が引き結ばれる。顔は真っ赤で、俺以上に動揺している様子にかえって気持ちが楽になる。それらの感情の機微全てを誤魔化すように、俺はぺらぺらと喋りまくった。
「まあ、そもそもおまえにはあんた、で全部済ませられちゃってるしな。まずは名前を呼んでもらうことを第一目標としますか」
「じゃあその目標は既に挫折してるね。私、一生あんたのことを名前でなんか呼んでやらないつもりだから」
「ひでーこと言うなよ。あ、ちょっと、柚子、そっちは駅じゃないぞ」
「それくらい分かってる」
分かれ道のところで立ち止まり、迷惑そうにこちらを見やる。
「用があるの。放っといて」
「用って?」
「練習」
「何の?」
「あんたには関係ないでしょ」
「友達じゃん」
調子に乗った俺は肩に腕を回すただ、さすがにやりすぎてしまったらしい。柚子が「しつこい」と睨みつけて、俺の腕を強い力でねじりあげた。
「いっでえ、いでででで! ギブ、ギブ!」
手を解放する際に、軽く突き飛ばされる。文句を言おうとして柚子の顔を見て、思わず口をつぐむ。
「友達だろうがなんだろうがしらないけど、私の邪魔をしたら許さないから」
右手で銃の形を作り、俺に突きつけている。本物でもなんでもないのに、そのふざけた仕草は様になっている。俺を睨む眼差しからは妙な本気を感じて、背筋に寒気が走った。
「柚子」
「……あと、名前で呼ぶなってば」
付け加えた言葉には少し子どもの癇癪のような色が混じり、俺は少しほっとする。
柚子が右手を下ろし、くるりと踵を返す。その背中にまた明日な、と声をかけるが返事はなかった。
「……、」
こめかみに汗が伝い、俺はふ息を吐く。あの迫力、殺気とは言わないけど、たぶん殺そうと思ったら本当に殺される気がする。
「思ったよりも、闇が深いかも」
彼女の本当の裏の面を垣間見た瞬間だった。怖いし危険だけど……
「参ったなあ」
そういうのも、嫌いじゃないんだよな。
くつりと笑う俺は多分、柚子寄りの人間だ。
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