子犬のワルツ

□天才くんと子犬ちゃん
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「ひ」
「ひ?」
「匪口……」


 たまたま鉢合わせた柚子さんと一緒に歩いていた時、ふと彼女が嫌そうな顔をした。向けられた視線の先を辿り、匪口さんを発見した私はあっと声を漏らす。それに反応した匪口さんがこちらを向き、ぱっと表情を明るくさせた。


「おっ、柚子に桂木。珍しい組み合わせだな」
「柚子さん、匪口さんと知り合いだったんですか?」


 歩み寄る匪口さんにさらに顔を歪ませる彼女にそう問いかければ、ふいっと顔を背けられた。


「高校の時同じクラスだった。それだけ」
「つれねーこと言うなよ」


 匪口さんが柚子さんの肩に手を回す。その仕草は男子学生が友達にやるような親しみで溢れている。柚子さんの表情さえなければ、本当に仲良しなんだなとほのぼのしているところだ。


「俺たち、互いに一番仲が良かったんだぜ」
「友達が多くて社交的だった匪口くんにそう言っていただけて光栄です」
「はは、おまえ友達いなかったもんなー」


 毒の含んだ言葉を笑って流す。柚子さんは険悪な表情を浮かべた。


「私は学校に友達を作りにきてたんじゃない。勉強しに来てたわけ。分かる? それを友達友達って、馬っ鹿じゃないの。そもそも私に友達なんて要らないし」
「俺も?」
「あんたは知らないかもしれないけどね、」


 柚子さんが勢いよく匪口さんの腕を振り払う。


「私が嫌いなものは、」
「天才と理不尽な敗北、だろ?」


 匪口さんが聞き飽きた、と大袈裟に欠伸をしてみせる。


「分かってるなら今後一切近づかないで。私はあんたのことが大嫌いなの。顔を見てるだけでもすっごく腹立つ」
「あーあー、嫌われたもんだ。なあ、桂木」


 突然名前の呼ばれた私は「はい?」と顔を上げる。


「この後暇?」
「はい、一応暇ですけど」
「じゃあさ、三人でどっか適当な喫茶店入んない? 俺も久々に柚子と話したいし、おまえもこいつの昔話気になるだろ?」
「ちょっと待って」


 柚子さんが片手をあげる。


「何で私も入ってるわけ? 言っとくけど、私は行かないからね。これからまだ一仕事あるんだから」
「おまえ、いっつもそれだよな。仕事か兄さんのことばっか」


 匪口さんが挑戦的ににやりと笑う。彼の瞳が狡猾そうに鋭く光った。


「よし、分かった。じゃあこういうのはどう? 俺とお茶してくれないと、俺はうっかりおまえの兄さん達の会社のパソコンにハッキングして、どす黒い情報の数々をつい、超潔癖症で正義感の塊な警視に見せちゃうかもしれないってのは」


 その、やたらと偶然を強調した脅しを耳にし、柚子さんの顔が赤くなる。


「兄さんの名前を出すなんて卑怯だよ」
「目的達成の為なら何でもするおまえらしくないな。卑怯で何が悪いんだよ?」


 匪口さんは飄々とした態度でにやにやしたままだ。いつもクールな柚子さんが、匪口さんに若干振り回されている様子を見て、私は少し新鮮な気持ちになる。負けじと柚子さんは口を開く。


「そもそも、兄さん達の会社は警察にべったり癒着してるから、あんたが何をしようと、どうってことはないよ」
「それでも、手の回る前にマスコミに垂れ込めば、余裕でおまえの大好きな兄さんとその会社に傷をつけることくらいはできる」
「そんなことしてただで済むと思ってんの?」
「さあ、どうだろうなー?」


 匪口さんが不敵に笑い、柚子さんは今にも殴りかかりそうな勢いで身構える。私は二人の間で身を縮めた。主に柚子さんからの視線が痛い。やがて、匪口さんが私の肩身の狭さに気付いたのか、ふっと笑みを緩める。


「落ち着けって。ほら、桂木がこんなに怯えてる。あんまり毛を逆立てちゃ可哀相だぜ」
「うるさい」
「しょうがないなあ。分かった分かった、この場は俺が奢るから」


 その言葉を聞いてしばらく黙った後、柚子さんがふっと肩の力を抜いた。


「何様のつもり? これは奢らせてあげてるんだし、付き合ってあげてるの。勘違いしないでよね」
「何だよその理屈。おまえ、本当に笛吹さんそっくりだよな」


 ああ、とようやく合点がいく。そうか、この構図って、笹塚さんに突っかかってる笛吹さんにそっくりだ。


「ってことは、本当は二人とも仲良しなんだ」


 納得して呟くと、二人の顔が勢いよくこちらへ向く。一人は上機嫌そうに、一人は不機嫌を前面に押し出して。


「そうそう!」
「違う!」


 柚子さんの剣幕があまりにも強いので、私は「そ、そうですね」とどっちつかずの返答をしたが、内心では、息やタイミングがこんなにぴったり合うなんて、どんだけ仲がいいんだよ、とつっこんでみる。





「と、ところでさ。二人は何で仲良くなったの?」


 喫茶店に入って温かいココアを注文して、それを口に含んだ後も、柚子さんの一向に良くなる気配を見せなかった。たまりかねた私は、匪口さんにそう問いかける。


「ん?」


 匪口さんは飲んでいたジュースのストローから口を離した。


「山あり谷あり駆け落ちありの長い話になるぜ」
「嘘つくな」
「あは。まあ平たく言うと、ハッキングの指南をしてやったった感じ」

へえ! 柚子さんはパソコンに強い。

「柚子さんの技術って、匪口さん由来なんだ!」
「やめてよその言い方。こいつからはちょっとアドバイスをもらってただけ」
「楽しかったよなー。色んな会社のサーバに忍び込んでバカやって」


 匪口さんがうっとりと溜め息をつく。


「あの頃、」


 ぽつり。今まで黙り込んでいた柚子さんが不意に口を開いた。


「あの頃私は、あんたは卒業したら裏社会の人間になるもんなんだと思ってた。パソコンにかけては本当に特化してたし、兄さんの会社に入ったら、ずっと……いや、なんでもない」


 柚子さんがそっぽ向く。匪口さんがニヤニヤしながら柚子さんの肩を掴んだ。


「拗ねるなって。あの時は悪かったよ。でも、おまえと一緒に入社なんてしてみろよ。おまえの大好きな兄さん達に殺されちゃうに決まってんじゃん」
「拗ねてない!」


 その瞬間、匪口さんは「あいてっ!」と短く叫び自分の足を庇った。その声から、柚子さんの蹴りがちょっとやそっとのものではなかったということが伝わってくる。私は慌てて「だ、大丈夫?」と声をかけた。


「拗ねてないし勝手に決めるな! 馬鹿! 嫌い! 裏切り者!」


 柚子さんは立ち上がると憤然とした様子で店から出て行った。私の上げた「柚子さーん……」という声に振り返ることもせずに。


「あーあ……」


 呻き声が背後から上がる。少しだけ痛みから立ち直ったらしい匪口さんがかがめた半身を持ち上げた。


「匪口さん、だ、大丈夫?」
「あ、いーのいーの、大丈夫」


 脂汗を浮かべつつも余裕ぶった笑顔を浮かべ、「慣れてるから」と答える。


「こんなの、子犬が噛み付いたと思えばいいんだよ」
「子犬……?」


 私にとって基本的に格好いいイメージで構成されている柚子さんを、子犬と比喩する匪口さんに少しだけ違和感を覚える。首を捻っていると、匪口さんは「子犬だよ」と相好を崩した。


「好きな奴には尻尾を振ってくんくん擦り寄る。嫌いな奴には噛み付くしギャンギャン吼える。ご主人様の言うことなら何でも聞くし、忠誠心は人一倍。そのくせ、他の奴には牙をむき出しにして近寄ることも近寄らせることもしない」
「はぁ……なるほど」


 言われてみればと思い当たる節をちらほら見つけ、私はうなづく。その後で、あれっと頭を傾げた。


「じゃあ、匪口さんはその中のどれに当てはまってるの?」
「俺? もちろん好きな奴っしょ」
「うーん……」


 足を容赦なく蹴ったり、思い切り嫌そうに毒づいたりする彼女を思い出し、私は苦笑を浮かべる。


「噛み付いたりギャンギャン吼えたりしているようにしか見えなかったけどなぁ。特に裏切り者、のところ」
「あれは“ずっと一緒にいてくれると思ってたのに! 酷いよ! 匪口の馬鹿!”ってことなんだよ」


 しっかりしろよ、心理分析担当。ばしっと背中を叩かれ、思わず目を瞑る。


「そうかなぁ……」
「真面目な話、あいつには本当に俺しか友達がいないんだよ。だから、俺とどう接すればいいのか戸惑ってんのさ」
「うーん……」


 そうは見えないけど、私より付き合いの長い匪口さんが言うならそうなのかもしれない。私は机に突っ伏した。


「柚子さんって、難しい……」


 そんな私の様子を見て、匪口さんはからからと笑う。


「桂木は難しく考えすぎ。言ったろ、あいつは子犬みたいなもんなんだって」


 人差し指をぴんと立てる。自然に私の視線はそこへ向けられた。


「子犬の感情を知りたい時、どうする? まず尻尾を見るだろ? それから、ああ、振れてるから機嫌がいいんだな、とか判断する。
あいつからは、自分の尻尾がどう動いているのか見えない。だから、自分の感情が分からない。俺からはあいつの尻尾の動きが見える。だから、俺にはあいつの感情が分かる。それだけの話だよ」


 あぁ、そうか。はっと納得する。子犬の尻尾は子犬の真後ろについてるから、子犬自身からは見えない。


「まぁ、普通の子犬は自分の尻尾の動きくらい把握してるもんだけど、あいつは自分が兄さん達以外の人間を好きになるわけがないって根拠もなく信じ込んでるし、それに、情報を集める仕事柄か、自分の見たものしか信じないって性格してるから、自分の尻尾がどう動いているのか分かんないのさ」
「へぇ」
「で、俺からすると、そういう馬鹿なところがたまらないわけ」
「……あぁ、なるほど」


 そこで私はようやく悟り、ぽんっと手を打つ。


「今までのは、匪口さんの壮大なノロケだったのか!」
「そうそう。聞いてくれてありがと」


 匪口さんは悪びれることもなくうなづく。そんな様子に、柚子さんじゃないけど、無駄なことに時間を奪われたような気がして、私は少しむっとする。


「匪口さんったら、柚子さんのことが本当に大好きなんだねー」
「よく分かってんじゃん。さすが桂木」
「あんな痛い仕打ちされても好きって、匪口さんったら、相当のドMなんだねー」
「ははっ、そうだな。俺、もしかしたら、そっちの気がちょっとあんのかも」


 やたらと毒の含んだ私の発言にも、匪口さんは唇一つ尖らせることはない。だらしなく笑い、ストローに口をつけジュースを吸い上げるだけである。どこまでも幸せそうな彼に、私はあきれ返って溜め息を一つ付いた。もう、ノロケるのも幸せに浸るのも、ご自由にどうぞ。

 End.
 

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