子犬のワルツ

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家を出てから最初の1週間は、ホテルで寝泊まりし、医師の診断を受け、たまに吾代さんや社長と安い定食屋で食事を摂るなどして体力の回復に努めた。その間に社長が島を取り締まる上の「会社」の人間に話を通してくれたらしい。東京でも有数の派閥相手には、さすがの望月信用総合調査もあまり好き勝手出来ないらしい。それまでは調査員らしき人間が大勢会社前にたむろしていたらしいが、「話し合い」の後は激減したという。

ただそれでも安心はできない。それで私たちの兄さんが大人しくしているとは思えないと、定食屋で生姜焼きを食べながら社長は言った。

「あの腹黒兄貴と我慢のきかない弟がこのまま黙ってるとは思えねー。何かの機会を探ってるだろうから、隙は見せるな。縛り付けたくはないが、夜一人では歩くな。昼間でも俺か番犬を連れてけ」
「誰が番犬だって?」

吾代さんが歯を剥くが、社長は何のその。

「ホテルも毎日暮らしてりゃ金もかかるだろう。きつくなったら事務所で寝るか、俺か吾代に相談しろ」

うなづき、私は柄になく遠慮がちに社長に「あのさ」と声をかける。

「兄さんの会社に話通してって上の人にお願いしたことで、社長の立場が悪くなってたりしないよね?」

社長は顔色1つ変えずに「ガキが余計なこと心配すんな」と答える。それが真実なのか、大人の余裕で装っているのか、私にはまだまだ見抜くことが出来ない。

「俺がいつも上の言うこと聞いてやってんのはこーいう時のためなんだよ」
「よく言うよ、ただの保身のくせに」
「俺はおめーと違ってただ暴れてりゃいいわけじゃねーんだよ。マネジメントする側にはマネジメント側の重荷ってやつがあんの。ま、おめーにはまだわからねーだろうけどな、吾代」

吾代さんは「けっ」と鼻を鳴らすが、これに関しては本気じゃないと私にも分かる。ふっと口の端を緩めると、場の空気も呼応するように綻んだ。

「社長、その。ありがとう」
「お礼は体で払ってもらおうか」
「おい!」
「冗談だよ」

社長がひらひらと手を振ってみせる。

「俺もただのお人好しじゃねーからな。働かざる者食うべからず、朝から晩までみっちり働いてもらうから気にすんな」

それこそよく言うよ、と私は思う。身の安全と衣食住、働く場所を担保してくれるなんて、十分すぎる待遇だ。

「ありがとう」

私はゆっくり頭を下げる。社長はニッと満足げに笑い、吾代さんは「おまえ、少し体調崩してる程度のほうがしおらしくていいんじゃねーか?」なんてのたまった。

「ユキ兄みたいなこと言わないでよ」
「おい、あいつそんなこと言ってたのかよ」
「いや、言ってはいないけど……」

変な薬をずっと飲まされていたなんて言ったらもっと激昂しそうだ。私はさりげなく話題を変える。

「そういえば吾代さんは今日は外回りだよね」
「ああ。まさか着いて来るつもりじゃねーだろうな? てめーは当分内勤でおとなしくしてもらうからな?」
「分かってるし、別に行きたいわけじゃない」

私は頼んだハンバーグ御前をつつくが、箸は一向に進まない。
勉強も外回りの集金も銃の練習もハッキングも、全て兄さん達の役に立ちたいという思いから進んでこなしていただけだ。好きだからやっていたというわけじゃない。そう考えると今の私は本当に空っぽで、何の価値もない人間だ。

「柚子、早く食えよ」
「もう食べられない。ご馳走さま」
「いいから食え。二口くらいしか食ってねーじゃねーか」
「いや、悪いけど本当に無理」

一度縮んだ胃はそう簡単には元には戻らない。お盆ごと押し返すと、吾代さんは少し考え、お盆を自分側に引き寄せ、箸でハンバーグを切り分けた。代わりに食べてくれるのかな、なんて思いながらぼんやりと眺めていると、不意に口の中にハンバーグが箸ごと突っ込まれる。

「食えるじゃねーか。ほら、もう一回」
「……鬼」
「うるせえ。てめーに拒否権はねーんだよ。見ねー間にますますひょろくなりやがって」
「私のことなんて放っておいて行きなよ。集金間に合わなくなるよ」

押し問答を繰り広げる私達をよそに、社長はおもむろに携帯を取り出す。

「もしもし、速水か? 悪いが午後から吾代の代わりに2丁目の集金に行ってきてくんねーか? 書類が溜まってる? 大丈夫だ、柚子にやらせるから」
「社長こんな時に迅速な対応しなくていいから!」
「吾代の肩を持つわけじゃないが、マジでおまえもっと食ったほうがいいぞ」
「ほらよ、柚子、あーん」

こんな獰猛なあーん顔、見たことない!

「嫌だ! 本当にお腹いっぱいなんだってば!」
「大丈夫、食ってるうちに胃も膨らんでくから」
「従業員の体調管理や食育も上の人間の仕事だからな。さあ食え」

2人が凶悪な笑みを浮かべる。心配させた恨みをここで晴らそうとしているのか。でも、助けてもらっている以上、今までみたいに無碍にもできない。鬼、と呟けば社長が吾代さんに「お兄ちゃんだってよ、吾代」なんて嘯く。

「柚子も良かったな、困った時に頼れるお兄ちゃんがいて」
「お兄ちゃんじゃなくて鬼って言ったの!」
「でも絶対怪我はさせねーだろ? 優しく暴力を振るう兄貴とどっちがいい?」
「口で言わせようとするなんて、酷いよもがっ」

ため息をつく私に吾代さんが痺れを切らしたのか、再び無理やり口に突っ込む。私は諦めて、咀嚼した。
正直ありがた迷惑以外の何物でもないけれど、何であれ2人とも私のことを心配してくれていることには変わりない。それに対して、感謝も恩義も感じないほど図々しくはないつもりだ。その2人がこうしたいと言うなら多少は我慢して付き合うし、仕事面でも努力しよう。

「……でも、じゃせめて半分くらいまででもいい?」
「甘えたこと言ってんじゃねーよガキか」

ああ、でもこの雰囲気、嫌いじゃないな。小さい頃に兄さん達とふざけたり、高校生の頃匪口とつるんだりした温かくも懐かしい日々を思い出す。

何もない自分だけど、それでもこうして一緒に過ごしてくれる人がいることに心から感謝して、私は表情を緩めた。

(20190427)

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