子犬のワルツ

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次に目が覚めた時、私はいつものベッドに横たわっていた。
 一瞬、何もかも夢だったのではないかと思ったが、体中の痣や鈍い痛みや右手に巻かれた分厚い包帯、右手の熱が私を現実に引き戻す。

「夢じゃ、なかった」

兄さん達の力になりたくて無茶な行動をしたことも、吾代さんや笹塚さんに止められたことも、失敗して捕まったことも……そして、顔見知りだったはずのオーナーが仇だったことも、殺そうとして殺せなかった不甲斐ない自分も。
あれからどうなったんだろうか。吾代さん達は無事に逃げ切れた? オーナーが兄さん達を呼んでくれたの? じゃあ、斉藤銃一でもあった彼は、望み通り……ユキ兄に殺された?

考えを張り巡らせる私のベッドの脇には、突っ伏したユキ兄が疲れ切った顔で船を漕いでいた。そういえば、喉がカラカラに渇いている。起こさないようにそっと布団から降りようとした。

「柚子、」

 わずかな衣擦れの音、ユキ兄の鋭い声。

「ユキ、にい?」
「目が覚めたのか」

 疲れ切った表情。目元にはうっすらくまが浮かび、その表情は硬い。私はなんていえばいいのか分からなくて、視線を泳がす。

「ユキ兄。その」

 ユキ兄は無言で手を振り上げる。私は頬を叩かれると思い、咄嗟に目を閉じた。
 ……痛みはやって来ず、代わりにひんやりとした手のひらが額にのせられた。

「熱はまだあるな。右手は」
「……じんじんする」
「そうか」

 ユキ兄が低い声で呟く。まだ目元は厳しい色を携えており、私は目線を落とす。

「ユキ兄。心配かけて迷惑かけて、ごめんなさい」

 掠れた声を捻り出し頭を下げる。頭上のユキ兄は、すぐには何も言わなかった。

「おまえが暴行される映像を見て、俺とアニキがどんな気持ちだったかわかるか?」

 もし逆の立場だったらと考えるだけでもおぞましい。

「アニキは」

ユキ兄が頭をゆっくり撫でる。その顔はどこか安心したような、泣きそうな表情を浮かべていた。

「アニキはその日あった取引を全部キャンセルしただけじゃない、会社の力や関係者を総動員しておまえの捜索にあたらせたんだ。そのために下げなくてもいい頭を下げて、不利な条件をのみこんで」
「……ごめん、なさい」
「俺、言ったよな。太刀打ち出来ないんだから首突っ込むなって」
「……うん」
「本当に、おまえは……どれだけ心配させたと思って」

 語気がだんだん強まり、不意にぐっと飲み込まれる。それからそっと、私の肩を抱きしめた。怪我を考慮してくれたからだろうか。今までで一番優しい手つきではあったが、その手は震えていた。そっと目線を上げてユキ兄の表情を盗み見ると、今にも泣きだしそうな表情で顔を歪めていた。こんなユキ兄、見たことない。本当に心配させていたんだ、という後悔に胸が押しつぶされそうになる。

「……いくら謝っても謝り切れるものじゃないけど、本当にごめんなさい」

 お仕置きが怖いとか、束縛が激しいとか、計画がうまくいったら認めてもらえるとか。自分のことしか考えていなかった。

「私は認めてもらいたくて……」
「言ったろ。役になんて立たなくていいって」

 ユキ兄が私の頭をいつものように小突きかけて、止める。

「おまえは俺たちの大事な妹なんだから、ただ家にいて俺たちのそばで笑ってくれていたらいいんだ。本当……おまえを失うかと思った。もうあんな思いはしたくない」
「ごめんなさい。もう心配かけない。ちゃんといい子にする」

 子供のころのように右手を挙げて宣誓のポーズを取ってみせようとしたら腕がずきりと傷んだ。

「ばか、絶対安静が何してんだよ」

 怒ったような焦ったような口調。先程の余所余所しさは少しだけ薄れている。

「手酷くやられてたからな。治るまで外出禁止だからな」
「はーい」

 外出禁止という言葉に少し身構えるが、確かに私は結構な重症だし、ユキ兄に他意はなさそうだ。普通の兄として常識の範囲内で心配した上で言っているように思う。昔に戻ったような、そんなフラットで柔らかな口調だ。

「いい子にしてます」
「よろしい」

 ふざけて敬語を使ったら、ユキ兄が久兄の真似で返す。一瞬の沈黙の後、同時に噴き出し笑いあった。こんな風にふざけ合うのもいつ振りか。

「安心しろよ。家族ほど安心できる場所はないからな」
「うん」

 ユキ兄の微笑、優しい手つき。私はすっかり昔に戻った気がして、すっかり安心して彼の肩口に身を預けた。その時私はようやく気付く。

 ユキ兄、部屋の中でもコートを着てる。
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