子犬のワルツ

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薄暗い射撃場に立て続けに銃声が鳴り響く。平日の昼間だからか、閑散とした射撃場には人はほとんどいない。ここのオーナーの男と、私。それと、傍で煙草をふかしながら私の様子を黙って見つめるこの男。笹塚衛士の3人だけだ。

「久しぶりの割には悪くないな」
「どうも」

彼の素性を、私は知らない。こんな後ろ暗い場所で名前以上の素性を探るのはマナー違反だ。ただ、彼がかなりの射撃の腕の持ち主で、年の離れた妹がいるらしいことだけは知っている。その妹と重ねているからか、何だかんだ気にかけてくれてるからか。射撃のアドバイスをくれるのはありがたいことではある。たまに危ないだの何だの口を挟みはするが、基本的には余計な説教をすることもない、居心地の悪くない人間だ。
そんな彼に教わり、もうすぐ2年が経つ。静止している的に対しては正確に当てられるようになった。集金時にも何度か乱闘騒ぎになったが、その時も相手が単調な動きをしていれば、狙った場所を撃ち抜くことも出来ている。

ただ、遠くから動く的を狙ったことも、人の命を奪った経験も、まだない。それが凄腕のヒットマン相手なら尚更だ。

彼の居場所に関しては、早乙女金融のトラブル処理班を監視していれば、いずれは掴めるだろう。何なら追加で長畑建設にハッキングをしかけても良い。チャンスは遠くない将来にやってくるはず。ただ、その時がやってきたとして、私は斉藤銃一を撃てるだろうか。

兄さん達以上に大切な存在はないと思うし、いざとなったら急所を攻撃することに抵抗はないが、命を奪うとなると流石に話は少しは変わってくる。そんな心の不安を振り払うかのように、私は淡々と一番遠くかつ高低差のある的に撃ち込み続けた。

「流石にそろそろ休憩したら?」

弾切れのタイミングを見計らったかのように笹塚さんが声をかける。その手には私への差し入れであろうアイスココアの缶が握られていた。
少し迷うが、「どうも」と短く答え、ココアの缶を受け取った。備え付けのベンチに腰を降ろしぐっと煽ると、強い甘みが喉に染み渡る。

「痩せたんじゃない? ちゃんと食ってる?」
「それ、そのまま返すわ」

この不健康ネタもお馴染みのやり取りだ。ただ、今日の眼差しはいつになく強い気がする。
何か言いたいことがあるなら言いなさいよと挑発を視線に込めて送る。私の意図を正確に読み取ったであろう笹塚さんは、しかしすぐには答えない。紫煙を長く吐き出してから、ようやく口を開く。

「なんかあった?」

自分の心の中を見透かされた気がして、どきりと心臓が跳ねる。

「……特に何も。それよりどうかな。高低差のある場所から遠距離の相手を狙う練習をしているんだけど」
「今の君にはない」

その素っ気ない言葉に引っ掛かりを感じたが、いちいち気にしていたらきりがない。そう、と答え缶をテーブルに置く。

「柚子ちゃん」
「何」
「銃以外にも武器があるなら、そっちを使ったほうがいい。警察を呼ぶとか、人を雇うとか、情報戦で会社に損害を与えるとか、方法はいくらでもあるし、そっちの方が絶対コスパがいいよ」

私は彼の顔をまじまじと見つめた。彼が危ないだのやめておけだの言ってくることはいつものことだが、形式美というか、言っても聞かないだろうと半分諦めている節はあった。
ただ今日は妙な迫力で具体的に迫ってきている。

「何で今日に限ってそんなこと言ってくるの」
「君の目に覚悟が宿っているから」

ああ、やっぱり見透かされている。私はココアを飲むふりをして彼からそっと目を逸らした。

「君はまだ若いし女の子なんだから、怪我したらどうすんの」
「覚悟はしてる。別にどうってことない」
「それに命は奪ったら取り戻しがつかないよ」
「今更綺麗事は要らないよ」

この男が普段何をしているかなんて知らないが、こんな非合法の練習場に来ている時点で内に秘めている物が黒いことくらい想像がつく。

「やられる側だけじゃない。訓練を積んだ屈強な兵士ですら30%はその後のPTSDに悩まされるんだ。殺した後元の生活には戻れなくなる」
「そうは思わないけどね。私は正直兄さん以外の人間が怪我しようが死のうがどうでもいいと思ってる」

つい反論した言葉が白々しく響く。以前は本気でそう思っていたし、この言葉も何度も使っていたはずなのに、今では心からはそうは思えないる。兄さん達と喧嘩していたから? それとも、吾代さん達や匪口と仲良くなってしまったからだろうか。こんな中途半端な気持ちで計画は成功するだろうか。
まあいずれにせよ、久兄が斉藤銃一に狙われているのは事実だし、そんな危険から久兄を守りたい、そのために何かをしたいと思う気持ちに一切の曇りはない。私はモヤモヤした気持ちを振り払い、「兄さんを失うよりは全然良い」とはっきり声に出して言った。

「君の兄さんは本当にそれを望んでんの?」

それは、何度も皆に言われてきたこと。何度も自問した言葉。それに対する考えも私の中ではとうに固まっている。

「望んでいようが望んでいまいが、私はそういう風にしか生きられないから」
「……そ。じゃ、仕方ないな」

笹塚さんが立ち上がる。普段と何も変わらない、敵意のないフラットな態度。だからあろうことか、すっかり油断してしまっていた。
柔らかく右手首を掴まれる。瞬間、手首にひやりとした鉄の感覚と共にガチャリという金属音。後ろに引っ張られ、体勢を崩す。何が起きたか理解する前に危機を感じた体が振り向きざま左手を彼の顔面に叩きつけようとするが、かなり勢いのあったはずの拳を逆に掴まれてしまう。

「悪いね、柚子ちゃん」
「ちょっと!」

普段は水面でゆらゆら揺れる海藻のように静かな男だが、確かなのは銃の腕前だけじゃなかったらしい。その体躯を利用して私の体をベンチに押し込めると、左手も後ろに回され、がちゃりと拘束される。今の私はそれぞれの手首に手錠をかけられ、その片端をベンチの柱に括り付けられた状況だ。ベンチは床に固く固定され、立ち上がることは到底不可能。

「何よこれ、何でこんなことすんのよ!」
「おいたが過ぎる子は保護してやんないと」
「はあ、何冗談言ってるわけ?」
「冗談じゃない」

笹塚さんは普段と変わらないテンションで、だからこそこんな強引なことを平然とやってのけることが恐ろしい。

「今もわかったろ。顔見知りと油断したのもあるだろうけど、男の俺にあっさり捕まっちまってる。いくら銃を持ってても君はただの女の子だ。危険に首を突っ込むのをこのまま放っておけないって」

親切心で言っているように見えるが、だからと言って手錠を使って女の子をやり込める人間がどこにいる? 大体、手錠はどこから取り出したわけ? 常時携帯しているなら性癖的に怖すぎる。私はようやく気付いた。彼は優しいし親切だし、余計な説教をしない、クールな大人だけど、私はその素性を何も知らない。

「あんたのほうが危険な変質者だし!」

私は出来るだけ大声を出す。受付にいるオーナーに声が届くように。

「大体、何で保護する対象に手錠かけんのよ?」
「いや、そうしないと俺の身が危ない気がして」

彼の判断はある意味正しい。もし手が自由に使えていたら、今頃彼を思い切りぶん殴っていただろう。

「離して、離しなさいよ、離せー!」
「離してやってもいいけど、条件がある」

私は目の前にぶら下げられた希望に一瞬動きを止める。笹塚さんは煙草を灰皿に押し付け、こう言った。

「君の兄さんに電話して、ここに迎えに来させな」
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