子犬のワルツ

□灰色の寄り道
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俺の人生は10年前、家族を皆殺しにされたあの夜に終わっている。その後は暗く鈍い世界の中をじっとり生きている。あの夜の復讐を果たすことを芯として、息を殺し、刃を研いで。
その他のことは興味も反応も薄い自覚はある。大抵のことなら面倒くさがって適当に流してしまう俺を見たら、笛吹は警察官としての手本を見せろ、だらしない、なんて言うんだろうな。
だが、そんな俺でも裏の人間御用達の射撃場に女の子がいるのはさすがに見逃せなかった。

涼やかな髪色と瞳。顔立ちはどちらかと言えば大人びているが、明らかに未成年。南米なら分かるがここは日本だ。極道の親族か何かか。だが、特に不良らしい雰囲気があるわけでもない。
もし刑事として仕事をするならば、彼女を銃刀法違反で逮捕するか、危ない場所にいるとして保護するか、一瞬迷うところだ。
まあ、慣れた手で的を撃ち抜く様子を見る限り、もちろん前者なんだけど。

「おい嬢ちゃん、そのオモチャはあぶねーからな、手元気をつけろよ!」

数メートル先で練習をしていた2人組の男のうち1人が冷やかす。彼女が振り返るが、その顔を見た片割れが「おい、馬鹿っ」と慌ててもう1人を遠くへ引きづる。

「あの女に喧嘩売るな! 最近ここに通ってんだけど、あいつ人間に試し打ちしたくてウズウズしてんだよ」
「はあ、何ビビってんだよ」
「こないだ、絡んできた四つ葉組の若頭の股間やら頭やらを容赦なく蹴飛ばしてたぞ。やべーから関わるんじゃねーよ!」

男2人がガチャガチャと去っていくのを見て彼女は一言残念と呟く。試し撃ちの話はあながち嘘ではないらしい。
ひとつ空席を挟んで場所から黙って練習するが、いつもと違ってなんとなく気が散る。おかげで、遠くの的への命中精度がいつもより低い。

30分程度経って一通り撃てたのか、女の子は併設されている座席に腰掛けると慎重に銃をケースにしまった。そしてノートを広げると数値を色々記入し始めた。どうやら分析と再計算を繰り返しているらしい。しばらくすると、また銃を取り出し、射撃の練習を始めた。どこまで独学かは分からないが、悪くはない腕前だ。
しかし今日はどうも集中出来ない。今日は割り切って、早く切り上げることにした。帰り際にオーナーの斉藤さんにそれとなく彼女のことを聞いてみる。

「ああ、あの子は早乙女さんに頼まれてね。無愛想だけど、熱心な子だよ。なんでも兄さんのために強くなりたいんだとか」
「へぇ」

一瞬、生前の妹の溌剌とした笑顔が脳裏をよぎった。

「もし俺が兄なら、危ないところに出入りしないほうが嬉しく思うけどな」
「ハハ、確かに」

無表情な彼女と重なる要素はないはずだが、年齢が近いからだろうか。なぜか妙に心に残った。





三日後の夜、ふらりと立ち寄るとまたあの少女がいた。相も変わらず一人で淡々と撃っては再計算を繰り返す。ただ今日は命中率があまり良くない。どうやら左手での片手打ちを練習しているらしい。両手でフォームを作って、片手で撃って、を繰り返している。打率は6-7割といったところか。ため息をつくと、座席に座り、ノートを広げる。

「何か用?」

ノートに書き込みながら、そんなことを言う。誰に話してるのかと周りを見るが、近くには俺しかいない。

「あんただけど。ずっと見てるじゃない。撃ちもしないで」
「……ああ」

俺に話しかけてたのか。突然話を振られ、少し戸惑う。

「用ってわけじゃないけど。まあ、珍しいから目がいっちゃうっていうか」
「文句ある?」

一見ノートを読んでいる風にしか見えないが、彼女のすぐ手元には銃が置かれている。数日前に見た彼女はいちいち銃を慎重に閉まっていた。しまい忘れたんじゃなくて、すぐ撃てるように置いてあるんだ。俺は刺激しないように「いや、別に」とだけ答える。

「あっそう」

心なしか彼女は残念そうだ。せっかく動く的に撃てると思ったのに、とでも思っているんだろうか。

「じゃ、撃てば。練習に来てるだけなんだったら」

興味なさげな口調ではあるが、言外に挑発が滲み出ている。

俺はあえてゆっくり立ち上がると、ケースから銃を取り出し、安全装置を外した。姿勢を正し、150メートル先の的に標準を定める。手の甲に感じる空気で、湿度が分かる。室内だから無風だが、密閉されている分やや湿気で空気が重い。いつもの角度より少しだけ上向きにすると、「左手だけで」引鉄を振り絞った。

予想内の反動の後に、銃声が反響して消えていく。弾道は見えないが分かる。少しだけ浮上した後やや下がりながら限りなく浅い放物線を描き、150の的のど真ん中に穴を開けた。

手の中に残る痺れも熱も慣れたものだ。次は200の的を片目で狙う。放物線はやや大きめ。発砲した瞬間の見えた弾道は心持ち少し上向きだが、重力に導かれて鉛玉が的に吸い寄せられるのが分かる。

隣からは食い入るような視線を感じる。左手撃ちなんて普通右手を怪我した時か格好つける時くらいしかやらないけど、今回は興味を引きつけるのに十分だったみたいだ。

「何か用?」

少し意地悪にそう言ってみせる。少しは年相応に無表情を崩すかと思ったが、意外と前のめりな姿勢のまま「あんた、週に何回何年くらい撃ったらそうなるの?」と無邪気に訊いてきたものだから、逆に毒気を抜かれてしまった。




「疲れると体幹と銃口のバランスが崩れてくるから距離感も狂ってくる。そういう時こそ物理的勘を使って距離感測り直して」

どうしてこうなったかはよく分からないが、あれから1ヶ月経ち、俺は度々彼女のフォームを見てやることが増えた。
彼女の名前は早坂柚子。高校2年生だが、裏の伝手を辿って練習場に出入りしているらしい。射撃の上達を目指す理由は、兄さん達の役に立つためなんだとか。

「物理的勘ってどれだけ役に立つの」
「俺は最終的な修正は全て勘でこなしてるよ」
「そんなに?」
「そんなになるために、たくさん練習をしたけどね」
「そっか」

頭の良さや元の運動神経もあるとは思うが、彼女の強さの源は素直さだと思う。表面は無愛想で捻くれているが、兄さんのためとなると何でも吸収しようとするし、どこまでも突き進む。
それが悪いようにように作用して無理して怪我をしないで欲しいと思う。一方で、裏の射撃場にいること自体が悪影響で、危ない場所に行く機会を増やしているのではと迷う部分もある。ただ、一生懸命練習する姿に絆されて、ついアドバイスしてしまうんだけど。

「なあ、」
「なに」
「なんでここで練習を始めたんだ? こんなとこじゃなくても、射撃の練習場なんて探せばあるだろ」
「本物じゃないと役に立たないじゃない」
「何の?」

そう尋ねた瞬間、彼女の携帯電話が鳴り響く。

「もしもし、ユキ兄? お仕事終わったの? え、ご飯? 行く行く!」

いつもと変わりすぎじゃね?

「久兄は? そっかあ来ないんだ……うん、しょうがないよね。その分美味しいもの買っておいてあげよ!」

会話する間も遠くで誰かが発砲する音が反響している。心なしか彼女も若干焦っているように見える。

「え、何、今? ガッコーだよ! 銃声? エーガだよ! ガッコーでエーガ見てるの! ホントホント」

分かりやすい嘘を一生懸命付いている。ここまで嘘をつくのが下手だとかえって同情してしまう。

「うん。うん! じゃまた後でね!」

彼女が電話を切ると、「何の話だっけ」と振り返る。

「いや、いい。何となく分かった」

結局全て兄さんに帰結することは分かった。ただ、聞いておきたいことが一つ。

「君のお兄さん達にはここに通ってるの内緒にしてんの?」

彼女がむっとした顔で横を向く。

「だったら何」
「嘘をついてまでこんな危ないところに通う必要ある? 俺があんたの兄さんだったら、安全なところで幸せに暮らしててくれたほうが嬉しいし安心するけどな」
「あんたに関係ないでしょ」

まあ確かに、関係ないし訳ありかもしれない。家族の復讐のために一時テロリストに従事した俺も、同じことを言われたら放っておいてくれと思うだろう。面倒事には首を突っ込まないのが一番だ。それは自分でも分かっているが、放っておきたくない。

「近々誰かを殺す予定でもあんの?」
「ないけど」
「復讐したい相手がいるとか」
「いないよ」
「じゃあ何で」
「うるさいなあ、何でそんなに構うわけ?」

彼女が苛々と弾を詰め直す。何でだろうと自分でも考えてみる。少しして、ぼそりと口に出す。

「君が妹に似てるから、かな」
「あんたも兄弟がいるの」
「ああ、丁度君くらいの」

正確にはいた、という方が正しいが。

「そう。じゃ大切にしてあげて」

難しいことを言うな、と俺は心の中で思う。死んでしまった相手にしてあげられることなんて、それこそ餞として犯人を血祭りにあげることくらいのものだ。その犯人すら今どこにいるのか分からない。俺はぼんやり彼女の射撃を眺める。あ、また銃口が下がって命中率が悪くなってきた。

「……君さ、そのグリップだと疲れやすくない?」
「変? 本でこれがいいって書いてあったんだけど」
「確かにスタンダードの一つではあるけど、中指から小指の3本で支える形に慣れた方が楽だよ」
「こう?」

彼女が握り直すが、姿勢が若干崩れている。手が小さいから俺のようにはいかないか。俺は少し考えた後、「ちょっと失礼」と後ろから後ろから彼女の手に触れた。

「しばらくはこの関節を使って重さに慣れた方がいいと思う。肩は落として。そんなに固めないで」

何箇所か直してふと彼女を見ると、少し困った顔でこちらを見ていた。いつも基本的に無愛想な彼女が浮かべる初めての表情だ。

「あ、ごめん」

気安く触ったのが嫌だったのかと離れたら、彼女は意外にも「大丈夫」と答える。

「大丈夫だからほら、触りなさいよ」
「え……いや、それはちょっと」
「……あ、そ、そういう意味じゃないわよ!」

自分の発言の大胆さに気付いたのか、顔を真っ赤にして否定する。

「違うから、そうじゃなくて、ただ、確かに口だけじゃなくて体に触って直接教えてもらった方が分かりやすいというか、ていうか、そういう意味でもなくて! 上達への最短距離ってこと!」
「分かってるから」

言葉が上手くないのかどんどんドツボに嵌っていく様子に頬が緩む。

「じゃ、必要な時そうするよ」

俺は肩にそっと触れて姿勢を直すと、横からの姿勢が見えるように隣に立った。彼女の顔は少し赤かったが、気を取り直すように息をつくと、真っ直ぐ的を睨みつけて引き金を振り絞った。1発、2発、3発。姿勢は崩れず、ど真ん中に吸い込まれていく。
無愛想だし、人間に対して試し撃ちをしたいなんて恐ろしいことを考えているが、撃つ時の表情は真っ直ぐで綺麗だ。まるで、自分のお兄さん達への思いがそのまま表れているかのように。

「どう?」

いつのまにか撃ち終わったのか、弾を込めながら彼女が訊いてくる。俺が「いんじゃない」と答えたら、綻ぶ口角をそっぽ向いて隠していた。素直じゃないんだな、という言葉は心のうちに秘めておいてやる。

銃の扱いなんて教えない方が本人のためになるんじゃないかと思いつつ、その実はひたむきな瞳で頑張っている姿を見たらつい手助けしてしまう。
真っ当な大人としては、この少女を保護してやった方が良いのは分かる。けど、今すぐ誰かを殺すわけじゃなさそうだし、その時が来るまでは、不思議と妹と面影の重なる彼女の意思を尊重してあげても良いかもしれない。これくらいの寄り道なら俺にも許されるだろう。

→蜃気楼の檻13
 

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